予定通り,三枝暁子「室町幕府の京都支配」(『歴史学研究』859)と山家浩樹「室町時代の政治秩序」(『日本史講座第4巻 中世社会の構造』)を読了したあと,榎原雅治「寄合の文化」(『日本史講座第4巻 中世社会の構造』)へと読み進んだところ,室町時代にも金銀をふんだんに使用した日本絵画(大和絵)の指摘があってびっくり。この榎原論文はずいぶん以前にも読んだ記憶はあるのですが,この指摘は記憶からすっぽり抜けてます(笑)。というので,辻惟雄『日本美術の歴史』(東京大学出版会,2005)をネットの「日本の古本屋」で見つけ,さっそく注文しました。
この間,佐藤博信「鎌倉府についての覚書」(『中世東国の支配構造』思文閣出版,1989),清水克行「正長の徳政一揆と山門・北野社相論」(『室町社会の騒擾と秩序』吉川弘文館,2004),高橋康夫「室町期京都の空間構造と社会」(『日本史研究』436,1998.12),田坂泰之「室町期京都の都市空間と幕府」(『日本史研究』436,1998.12)を読了。続いて,三枝暁子「室町幕府の京都支配」(『歴史学研究』859,2009.10)と山家浩樹「室町時代の政治秩序」(『日本史講座第4巻 中世社会の構造』東京大学出版会,2004)を読み進める予定。
なお,元教え子の塩崎皓平くんから三谷博・並木頼寿・月脚達彦編『大人のための近現代史 19世紀編』(東京大学出版会,2009)を薦めてもらった。日本史・朝鮮史・中国史などの研究者が集まって作った東アジア近現代史の概説書です。すでに買ってはあったものの積ん読状態でした(苦笑)。時間をみつけて読んでみたいと思っています。
高木幹夫+日能研『予習という病』(講談社現代新書,2009)を読了。「予習」ではなく「復習」が大切ですよ,なんてことが書かれているわけではない。「予習」と「準備」の間にある深い懸隔に注目し,「復習」ではなく「ふり返り」を重視している。なかでも,「テスト終了後も答案を考え直す,考え続ける」ことの重要性はまったく同感です。そもそも,僕が論述問題の解答例や解説を考えるときにやっていることなんですから。ただ僕には,それを作法化するシステムを用意できていない。その意味で参考になります。
なお,山田芳裕『へうげもの』第10巻(講談社,2009)も読み終えました。
この間,小関素明「支配イデオロギーとしての立憲主義思想の思惟構造とその帰結」(『日本史研究』322,1989.6),河島真「戦間期内務官僚の政党政治構想」(『日本史研究』392,1995.4),源川真希「普選体制確立期における政治と社会」(『日本史研究』392,1995.4),住友陽文「近代日本の政治社会の転回」(『日本史研究』463,2001.3),高岡裕之「「十五年戦争」・「総力戦」・「帝国」日本」(歴史学研究会編『現代歴史学の成果と課題1980-2000年 Ⅰ 歴史学における方法的転回』青木書店,2002),宮崎隆次「時期区分論としての戦後史」(『日本史研究』400,1995.12),原朗「戦後五〇年と日本経済 -戦時経済から戦後経済へ-」(『年報日本現代史』創刊号,1995),といった諸論文を読みました。1930年代の政治,特に「憲政の常道」が終焉して以降,ならびに戦時から戦後への転換,という2つの時期に関連する論文です。先日の教育研究セミナーで扱った分野ですが,時間的に少し余裕ができたので,もう一度,読みなおしてみようと思い,自宅の本棚をあさって出てきたものを読んでみました。近年,坂野潤治氏が1930年代半ば,なかでも1936・37年をすごくクローズアップしてきている。それに対する自分の判断をもっと明確にしておかないといけないという思いをより強くしました。
さらに,京都府立図書館へ行き,西成田豊『近代日本労働史 -労働力編成の論理と実証』(有斐閣,2007)と谷川穣『明治前期の教育・教化・仏教』(思文閣出版,2008)をつまみ読み(苦笑)。西成田氏の著書を読んで気づいたのですが,一橋大2006年第3問は西成田氏の出題だったんでしょうね。
そして,神谷利徳『繁盛論 −“人が集まる”7つの流儀』(アスキー新書,2009),田中聡『妖怪と怨霊の日本史』(集英社新書,2002)を読了。前者は店舗デザイナーの方が自分の仕事ぶりを語ったものですが,業種が全く異なるとはいえ,触発されるものが多かったです。後者は,楽しいです。イマジネーションの世界が楽しめます。ただ「妖怪と怨霊」というより,「神々の痕跡」を日本史(記紀神話を含め)のなかにたどったもの,というほうがピッタリなように思いますが。
センター試験が終わりました。日本史Bは昨年よりも平均点が上がりそうですね。2文正誤問題が減りましたし(その分,年代順配列問題が増えましたから,その点は難易度に大した違いはないかもしれませんが), 事前の予想通り文化史の出題が増えましたが,その多くは標準的です(ほとんど冬期講習「センター日本史B・文化史をきわめる!」の授業のなかで扱いました)。手応えのあった受験生が多かったのではないでしょうか。
ただ,内容面で言えば,近世(第4問)の出題のうち半分が江戸幕末期からの出題,第二次世界大戦後からの出題が実質的に1問(もう一つの設問は河上肇もしくは民俗学が分かれば解けるので,必ずしも戦後史の問題ではない),という構成になっている点が気にかかります。江戸幕末期は教科書では近代に区分されますから,今年度は近代からの出題が多く,近世と現代(昭和戦後)からの出題が非常に少なかった,ということになります。来年度はどうなるんでしょう? おそらく現代(昭和戦後)については,出題が少なかったとの批判がでそうですから,来年度は以前の分量に戻る可能性が高いでしょうね。
早くも春期の教育研究セミナーの日程と内容が確定しました。大阪会場は3月27日(土),東京会場が3月28日(日)で,内容は「解法の探究(日本史)」です。国公立大2次の論述問題の指導法についてお話します。
檀上寛『永楽帝 −中華「世界システム」への夢』(講談社選書メチエ,1997)を読了。元(モンゴル)から明初までを統一性をもった流れのなかで捉えようとするもので,永楽帝のさまざまな政策を<フビライを越える>という野望のもとに見ようとする視点が面白かったです。永楽帝の治世は日本では,ちょうど足利義満のもとで日明勘合貿易がはじめられ,遣明船が頻繁に派遣されていた時期ですが,その頻度の高さを明の永楽政権の積極姿勢ゆえと指摘する,橋本雄氏の議論(「遣明船の派遣契機」『日本史研究』479)とつながるところがありますね。
ところで,木許裕介くんが1月10日付のブログ(→こちら)のなかで使っている「ゼロ年次教育プログラム」という表現はうまいですね。今後,あちらこちらで使わせていただこう(笑)。
昨日は,お茶の水で教育研究セミナーをやってきました。先月の大阪会場と同じく,1950年代までとなってしまいましたが,1930年代から始めたのですから仕方ない結果だったかもしれません。次にまた「日本史の研究」という形でセミナーをやる場合は現代史(戦後史)をまとめて扱うことにしましょう。ただ,1945年から始めていると今回と同じ結果になりそうなので(苦笑),サンフランシスコ平和条約以降に限定するのがよさそうです。とはいえ,春期の教育研究セミナーは「解法の探究」を行うことになっています。国公立大2次の論述問題への対策をどのようにたてるのかについて,新年度の入試問題の分析・解説も交えながらお話しようと考えています。というわけで,現代史(戦後史)をご希望の方々はその次にご期待下さい。
ところで,セミナーのアンケートのなかに,僕の情報整理術を教えてほしいとの記述がありました。と言われても,整理というほどのことはやっておらず,Mac上で VoodooPad というメモパッドに,読んだ本からの抜き書きや思いついたことをまとめて流し込んでいるだけ(苦笑)。普段は iPodtouch のノートアプリにメモることが多いですね(手書きのメモ帳は使わない)。これまで HP200LX, LinuxZaurus と使ってきましたが,いまは iPodtouch に落ち着いています。キーボード入力は HP200LX が一番使いやすかったですが,辞書など他の用途からすると,もう戻れないですね(もっとも壊れてしまって使えない状態ですが)。ちなみに,僕のサイトがシンプルなのは,もともと HP200LX を使って MS-DOS 上でも閲覧できるようにしたかったからです。
なお,池田太郎『ディスコミュニケーションを生きる』(寺子屋新書,2005)を読了。
本屋で新書コーナーをながめていて「ディスコミュニケーション」という言葉につられて買ってしまいました。ネット上のある説明によれば,ディスコミュニケーションとは「対人コミュニケーションの不全状態」を指す和製英語らしいが,だとすれば,ディスコミュニケーションとは改善されなければならない,あるいは消し去らねばならない事態と言えます。しかし,僕の感覚だと(「理解」などと大それたことが言えない),ディスコミュニケーションはコミュニケーションとともに生じる事態であって,改めることはできても消し去ることのできるような事態ではない,と思います。その意味で,池田氏がディスコミュニケーションを否定するなく受け止める必要があると書くのは,感覚的に分かります。もっとも「三流小説家知事でも,戦後六十年,平和ボケした人間の内部が外部と齟齬したままでは長く耐えられるはずのないことを知っているのだ。だからこそ,わたしたちは,ディスコミュニケーションに親しまなければならない」と書かれているように,感覚的に分かるとか言うような言葉で済ませない事態が現実に存在しているわけですが。
1月7日の記事について,木許裕介くんがブログでコメントしてくれています(→こちら)。
「日本史の知識は,雑学的な小ネタなんでしょうかね?」との問いかけに,「そんなことはないですよ」と応えてくれています。その通りだと思います。受験で得た知識が内容的にみて,大学で学ぶうえでどこかで役立つことは承知しています。
ただ,僕が特に問題にしたかったのは形式面です。大学の出題者の方々は,出題を通じて受験生にどのような勉強スタイルを求めているのか,です。正解(あるいはマニュアル)を単に覚えることを求めているのか?それとも?
教科書の理解度あるいは到達度を確かめる,と言われることがあります。では,教科書は正解なのか? 記載されている知識をその通り覚えているかどうかを確かめる,という手法をとるならば,「教科書は正解」という立場です。そのような場合,「誰か」が提示する正解を覚えることを勉強スタイルとして身につけることを受験生に求めている,と言えるでしょう。
一方で,教科書に記載されているデータをもとに,そのうえで処理能力を試す,という「理解度の確かめ方」もあります。
東大の日本史は,その好例だと思います。たとえば,2008年度第4問の
原敬内閣が,第一次大隈重信内閣とは異なり,のちの「憲政の常道」の慣行につながる,本格的な政党内閣となったのはなぜか。
という出題など,教科書記述をそのまま答えただけでは設問の要求に応えることができません。
たとえば,山川『新日本史』には「陸相・海相・外相以外の閣僚を立憲政友会会員で占めた日本で最初の本格的な政党内閣」と書かれていますが,これでは「第一次大隈重信内閣とは異な」る側面が不明です。山川『詳説日本史』では,「新首相は,歴代の首相とちがって華族でも藩閥出身者でもなく,平民籍の衆議院議員だった」と書かれていますが,これでは「のちの「憲政の常道」の慣行につなが」りません。教科書記述を覚えているかどうかではなく,その知識を前提として考えること,発想することを「型」として求めている,と言ってよいでしょう。
また,京大の日本史について僕は,連想(推論)と分節化という作業に慣れることを要求していると受験生に説明することがあります。記述問題は連想,論述問題は分節化,というわけです。もちろん京大の論述問題には,教科書をペラペラめくって200字の要約に適した箇所をひっぱってきただけではないか,と思われる出題がたまにあります。とはいえ,要約するには,自分なりの理解に基づき,通時的もしくは共時的にいくつかに区分(グルーピング)しながら表現することが必要とされます。ですから,京大の日本史(論述問題)は,物事を分節化しながら考えることを「型」として求めている,と判断しています。
この2つの事例は論述問題ですが,記述問題や選択問題の形式であっても処理能力を試す形式はありえると思うのですが,それはともかく,出題者の方々がそうした「型」,大学での学びにつながる「型」にどの程度意識的なのか? ちょっと疑問を呈してみたのです。
当然,僕自身にも戻ってくる問いかけですが。
なお,大学に入ってから気づく「ありがたさや面白さを受験生時代に気づかせてやれるように教えることが大切なんじゃないか」との指摘は,深く胸に刻んでおきたいと思います。
更新情報[京大日本史の研究/文学部・総合人間学部の教員一覧]を修正。
この間,平尾誠二・金井寿宏『型破りのコーチング』(PHP新書,2010),石見清裕『世界史リブレット97 唐代の国際関係』(山川出版社,2009)を読了。
前者は,ラグビーの平尾誠二の対談本だというので手に取りました。「型破り」というタイトルがついていますが,「型」が要らないという話が展開しているわけではなく,豊かなイマジネーションを培うため,「型」の意味・本質を教えることの重要性が指摘されています。ところで,大学入試問題は大学受験生の勉強スタイルと内容を「型」にはめてしまう性格を強くもっていますが,入試問題の作成者の方々は,そのことをどの程度意識しながら作問されているのでしょう?
「入試問題は大学への招待状であり,同時に大学からの挑戦状でもある」。これは,日本経済新聞2007.7.23に掲載された「まなび再考」に耳塚寛明氏(お茶の水大学)が書かれていた文章で,非常に気に入っているので『東大の日本史25カ年』でも使わせていただいているのですが,もう一つ,僕が以前から意識していることがあります。予備校業界で仕事をし始めた頃ですから,今から20年は以前のことですが,友人の八幡英幸氏(熊本大学)から指摘されたことです。大学受験で日本史を選択している生徒のほとんどが大学で日本史を専門的にやらない,という事実です。教える側は好きで日本史を教えているかもしれないが(そうじゃない人もいるとは思うが),受験生のほとんどは受験で必要だから,仕方なく日本史を選択し勉強している,というギャップです。そういう受験生に対して入試問題が「大学への招待状」かつ「大学からの挑戦状」として示されているわけです。日本史の知識は,雑学的な小ネタなんでしょうかね?
後者の『世界史リブレット97 唐代の国際関係』は,唐の成立(という形をとった中国の統一)を南モンゴリアと華北との抗争のなかで把握しようとしたもので,日本を中心に東アジアを考えてしまう僕にとって新鮮でした。日本史にひきつけて言えば,もっと樺太・アムール地方やカムチャツカ方面へも意識を向ける必要があると言えます(さしあたり思いつくのは佐々木史郎『北方から来た交易民 絹と毛皮とサンタン人』〔NHKブックス,1996〕)。
それらに加えて,橋本雄「再論,十年一貢制 −日明関係における−」(『日本史研究』568,2009.12),古瀬奈津子「摂関政治成立の歴史的意義 −摂関政治と母后−」(『日本史研究』463,2001.3)も読了。橋本論文は遣明船派遣で指摘される「十年一貢」の「十年」は「足かけ十年」(満ではなく数え)であることを論証しています。国会開設の勅諭(1881)でしばしば言われる「十年後の国会開設」の「十年」,鶴見俊輔が提唱した「十五年戦争」の「十五年」も,同様の数え方ですものね。
なお,川島真・服部龍二編『東アジア国際政治史』(名古屋大学出版会,2007)を並行しながら,少しずつ読んでいます。最近の研究状況を概説的に俯瞰するのに手ごろだと思います。
あけましておめでとうございます。
昨年は12月31日まで講習,新年は今日から講習なので,昨日は元旦とはいえ,冬期講習中のふだんの休日と同じような感覚でした。違うのはおせちが食卓にならんだこと,息子たちにお年玉をあげたこと,初詣に行ったことくらいですね。ただ,初詣は最近,京都の下鴨神社に行くことにしているのですが,元旦に行ったのは久しぶりです。昨年までと異なり,今年は正月早々にお茶の水で講習ってことはないため,少し余裕があるのです。とはいえ,正月気分はこのくらいでいいでしょう。
さて,あと2週間ほどでセンター試験となります。半年ほど前にも書きましたが,今年は文化史がやや増える可能性がありますし(政治・外交などと組み合わせた総合的な問題として出題されることが多いでしょうが),年代順配列問題が6択で出題され,知識での判定が求められる出題内容となる可能性が高いと思います。受験生のみなさんは,心して,最後の仕上げを行ってください。
この間,田嶋信雄「東アジア国際関係の中の日独関係」(工藤章・田嶋信雄編『日独関係史一八九〇−一九四五』第1巻,東京大学出版会,2008),野村克也『野村ノート』(小学館文庫,2009)を読了。
田嶋氏の論文は,先日の教育研究セミナーのあと,1930年代後半,日本はなぜ提携相手としてドイツを選んだのか,との質問をいただいたのですが,今まで取り立てて疑問に感じていなかったことがらだったため,その前後の日独関係の動向が非常に気になり,読んでみました。日中戦争開始当時,中国国民政府にドイツが軍事顧問団を派遣していたことを考えると(つまり,日本の味方が,敵の味方でもあった,ということ),日独の提携は「自明」ではありませんからね。
一方,『野村ノート』は,同僚講師の田中(暢)くんがさんざん野村克也を読めと薦めるので,とりあえず最新刊の文庫ということで,読んでみました。いろいろと感心したことがらはありますが,観察(見えるものを見る)と洞察(見えないものを見る)との区別は,僕が曖昧だった点です。さっそくどこかで使ってみようと思っています(笑)。
この日曜日に教育研究セミナー(大阪会場)をやってきました。会場は関西大学だったのですが,駅から案外遠いうえ(関大前駅なんだが),公認会計士の試験とある予備校の関関同立模試が重なり,ごったがえし。余裕をもっていたつもりが,ぎりぎりの到着になってしまいました(苦笑)。そして,日本史だけ教室が離れていて,講師控室から教室へ移動するのに,いったん外へ出なくてはならず,寒くてかないませんでした。だからというわけではないのですが,結局,1930年代から始めて1950年代までしかしゃべれませんでした(東京会場も似たような進度になりそうな予感)。1960年代まで入ろうというのは欲張りすぎだったようです。
次回は,戦後史全体を扱うか,それとも無視して(笑)文化史に移るか,あるいは原始・古代史に戻るか.....。悩むところです。
ところで, iTunes Store のオーディオブックに山川の『詳説日本史(改訂版)』がでています。なかなかよさそうです。ただ,全13集で,一つ300円なので,全部で3900円となります。ちょっと高いなぁ(三省堂は全5集,各500円で,合計2500円だからなぁ)。
いま駿台名古屋校で講習中(日本史論述)なのですが,近現代の教育史についての東大の問題を扱った際,生徒からの指摘で,山川『新日本史』の誤植が見つかりました。
学校令が公布された。(中略)ここに帝国大学を頂点とする近代日本の教育体系が確立した。この教育令は,太平洋戦争の敗戦まで,日本の学校体系の基本となった。(p.302-303)
このなかの「この教育令」(p.303)なのですが,これは確実に「この学校令」の誤植です。山川『新日本史』を使っている受験生のみなさんは,訂正しておきましょう。
上里隆史『目からウロコの琉球・沖縄史』(ボーダーインク,2007)を読了。琉球・沖縄史の概説として,うってつけの一冊じゃないでしょうか。高校生にも読みやすいと思う。オススメです。
ところで,本屋でつらつらと本をながめていたら,今田洋三氏の名著『江戸の本屋さん −近世文化史の側面』が平凡社ライブラリーとして再刊されているのに気づきました。講談社学術文庫といい,岩波現代文庫といい,古典的な名著・好著が再刊されるのはありがたいことです。しかし,採算は合うんだろうか?
伊藤毅『日本史リブレット35 町屋と町並み』(山川出版社,2007)を読了。近世の京都・江戸・大坂における町と町屋の形成を概観できます。
駿台教育研究所のセミナーが次の13日(日),関西大学であります。1930年代から60年代にかけてを概括する,とぶち上げたものの,果たして6コマで終わるだろうか(苦笑)。しゃべりすぎなきゃ大丈夫なんだろうけどなぁ....
冬期講習(センター日本史・文化史)について質問をくれた森本くんへ。返信したのですが,「メール送信エラー通知」が来ています。入力してくれたアドレスが間違えているようです(苦笑)。それはともかく,テキスト(空欄ならびに練習問題)の8〜9割が答えられる程度にしておいてくれれば,授業を受けるのが楽になりますよ。
この間,井原今朝男『中世の借金事情』(吉川弘文館,2009)を読了。近代については,銀行に代表される金融機関も債務者であることが看過されており,評価がズレているように思います。近代への言及を脇におき,中世の債権・債務関係のあり様についてのみ読み進めれば,非常に勉強になります。
さらに,『ユリイカ』11月号が伊藤若冲の特集だったので,これも読了。東京国立博物館の「皇室の名宝」展があったからなのか,「動植綵絵」への言及が多かったのですが,個人的には水墨画(同誌に紹介されているものでいえば「芭蕉叭々鳥図襖絵」)のほうが好きです。ちなみに,同誌でも紹介されている,新発見の「象と鯨図屏風」は,滋賀県のミホミュージアムの「若冲ワンダーランド」で公開中です。
なお,『歴史学研究』2009.12に,高橋典幸『鎌倉幕府軍制と御家人制』の書評(高橋修氏執筆)が掲載されていますが,京都大番役の在地転嫁について「それを在地社会が受け入れた条件についても論じてほしかった」と書かれていて,専門家も疑問に思ったところなのだと分かり,なんだか嬉しかったですね(笑)。
まだ読みかけてもいないのですが(苦笑),上里隆史氏の『目からウロコの琉球・沖縄史』,『<琉球の歴史>ビジュアル読本 誰も見たことのない琉球』,『琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻』(すべてボーダーインク)を購入しました。最近,呉座勇一氏から『琉日戦争』を紹介していただいたのをきっかけに,3冊まとめて出版社から直接取り寄せました。
この間,宇田川武久『真説 鉄砲伝来』(平凡社新書,2006),小林一岳『日本中世の歴史4 元寇と南北朝の動乱』(吉川弘文館,2009),高橋典幸『鎌倉幕府軍制と御家人制』(吉川弘文館,2008)を読了。そして,伊藤俊一「「自力の村」の起源 −14〜15世紀の在地社会をめぐって−」『日本史研究』540,2007.8),同「中世後期荘園制論の成果と課題」『国立歴史民俗博物館研究報告第104集 室町期荘園制の研究』(2003),小林一岳「悪党と南北朝の「戦争」」(『歴史評論』583,1998.11;『展望日本歴史10 南北朝内乱』所収)を再読。
宇田川氏の『真説 鉄砲伝来』は,1990年に刊行された中公新書の『鉄炮伝来』と同じような内容です。山川出版社の『新日本史』が,ポルトガル人の種子島漂着(いわゆる鉄砲伝来)を「おそらく1542(天正11)年」と記していたため,それを検証する目的もあって読んでみたのですが(中公新書の『鉄炮伝来』では「どちらが正しいともいえない」としか書かれていない),その検証はありませんでした。そもそも種子島への伝来は鉄砲伝来ルートの一つにすぎず,それ以前に倭寇によってもたらされていた蓋然性が指摘されているので,宇田川氏の関心はそこにないのかもしれません。
それ以外のものは,小林氏の『元寇と南北朝の動乱』を読み始めたところ,なぜか,高橋氏の「武家領対本所一円地体制」が非常に気になり,『鎌倉幕府軍制と御家人制』を読んでしまい(収められている論文は2つほど以前に読んだことがありましたが),本所一円地からの動員という話のなかで伊藤氏の論文が参照されていたので,そっちへ移っていった,というわけです(伊藤氏も早く著書をまとめていただけると,雑誌論文をあちらこちらから探さなくて済むんだけどなぁ)。
永井晋『日本史リブレット人35 北条高時と金沢貞顕 −やさしさがもたらした鎌倉幕府滅亡 』(山川出版社,2009)を読了。最後の得宗北条高時は,滅んだ側の人間であるがゆえでしょうか,暗君のイメージがつきまといますが,そのイメージをくつがえすことに成功している,と思う。そして,波乱を避け,協調を重んじた高時政権が崩壊していく過程を,丁寧に,かつ説得的に描いています。
そういえば,坂野潤治『近代日本の国家構想 一八七一−一九三六』が岩波現代文庫に収録されましたね。このなかの「第三章 明治憲法体制の三つの解釈」は,旧版(岩波書店,1996)が出たころに読み,参考にさせていただきました。増田知子『天皇制と国家 −近代日本の立憲君主制』(青木書店,1999)とともに再読しておかねば,と思っています。
藤田覚『日本史リブレット人 53 遠山景元 −老中にたてついた名奉行』(山川出版社,2009)を読了。時代劇でおなじみ(?)の「遠山の金さん」を通じて,天保改革の都市政策と江戸のあり様をかいま見ることができます。受験生にも読みやすいと思うので,藤田氏は東大教授だし,東大受験生は読んでおくよいですね。
川合康『日本中世の歴史3 源平の内乱と公武政権』(吉川弘文館,2009)と,山内晋次『日本史リブレット75 日宋貿易と「硫黄の道」』(山川出版社,2009)を読了。
前者は,川合氏のこれまでの鎌倉幕府成立をめぐる研究を概括できる好著と言えますが,頼朝没後から北条政子が実質的な「4代鎌倉殿」となるまでの鎌倉幕府政治史についての記述があっさりしすぎの印象を受けました。特に,2代頼家と13人の合議制との関係についての「新たに鎌倉殿になった頼家の権力を,むしろ補完する政治体制」との理解など,もう少し詳しい議論を読みたかったところです。参考文献としてあげられている仁平義孝氏の論文にあたるのがよさそうですね。
野中広務・辛淑玉『差別と日本人』(角川ONEテーマ21,2009)を読了。
更新情報 [リンク集]に登録していたサイトのなかで URLが変更となったものがありましたので(マウスバードさんの「本気で嫌いな英語を何とかする方法」),変更しました。わざわざご連絡をいただき,ありがとうございました> マウスバードさん。
高橋昌一郎『理性の限界 −不可能性・不確定性・不完全性』(講談社現代新書,2008)を読了。木許裕介くんが以前,ブログNuit Blancheで紹介していたので,それに触発されて読んでみました。高橋氏の文章がうまいからなのでしょうが,楽しかったですね。
東大立花ゼミが駒場祭での企画として,「二十歳の君への宿題」という企画を立ち上げているとのことです。趣旨としては,「立花ゼミでは駒場祭の企画として、みなさまから「二十歳の君への宿題」と題して、「二十歳のころにこれをしておけ!」というアドバイスを募集しております」(木許くんのブログNuit Blancheより),というものだそうです。公式サイトはこちらです。興味のある21歳以上の方は,のぞいてみてください。
古川愛哲『江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた −サムライと庶民365日の真実』(講談社+α新書,2008)を読了。授業でしゃべるネタにいいですね。
筒井清忠『近衛文麿 −教養主義的ポピュリストの悲劇』(岩波現代文庫,2009)を読了。
現在,来年の『東大の日本史25カ年』の改訂にむけて原稿を書いている(厳密には書こうとしている(苦笑))ところで,今年度第1問のネタ本とも言える大津透『日本古代史を学ぶ』(岩波書店,2009)に目を通しています。そのなかで気になる記述があったので,ちょっとコメントしておきます。
まず,遣隋使が隋へもたらした国書についてです。
607年の遣隋使が持参した国書は『隋書』に記載がありますが,それについて大津氏は「問題は,倭王が「天子」だと名乗ったことでした」としたうえで(他国では「天子」対「皇帝」という事例があるわけだから,国書に倭王・隋皇帝の双方を「天子」と称したことのほうが問題だと思うが),この国書が『日本書紀』に記載されていないのは,まもなく「倭王が「天子」を名乗る立場を撤回したため」,『日本書紀』編者が意図的に載せなかったのだ(東野治之氏の立論に基づく),と書いています。では,どのような立場に修正されたのか,と言えば,『日本書紀』によれば「東の天皇,敬みて西の皇帝に白す」というものです。ここから大津氏は,推古朝における天皇号の成立を論じていく(堀敏一氏の立論に基づく)のですが,気になるのは,607年の国書には日出づる処(東)の「天子」,日没する処(西)の「天子」とあったものが,608年の国書では東の「天皇」,西の「皇帝」と修正されている点です。東の「天子」が「天皇」に修正されている点も気になりますが,西の「天子」が「皇帝」に修正されている点も気になります。こうした双方における修正に意味はないんでしょうかね。
ところで,大津氏はここで天子に変わる号として天皇号が成立したと論じています(堀敏一氏の立論に基づく)。しかし,唐に対して天皇号が使われなかったこととの整合性はどうなんでしょうか。ここは「一般的に言えば,対外交渉の場面に,君主号成立の契機があるだろうというのは,説得的ではないでしょうか」として,論証を抜いてしまっています。
なお,大津氏は「すめらみこと」という和訓に対応する漢語として「天皇」号が作られた,と論じ,そのうえで「天皇制は」「氏族制社会に起源をもつということが言えるのです」と論じ,「天皇制は律令制の一環として隋・唐の皇帝制を継受した」との議論を否定し,それを通して天皇号の天武朝成立説を批判しています。しかし,ここで大津氏が論じているのは,「すめらみこと」が「氏族制社会に起源をもつ」「古いレジーム」だってことだけでしかないです。必ずしも天武朝成立説の批判になっていないと思います。ところで,大津氏は何も言及していませんが,「すめらみこと」はいつ成立した称号なんでしょうか。
次に,日本という国号についてです。
大津氏は「日本の国号は,倭国のときも日本になってからも,一貫して「やまと」でした」と論じています。しかし同時に,702年の遣唐使に参加した山上憶良が唐で作った和歌に関連して,「かりに「やまと」とよむにしても表記は「日本」とすべきですし,おそらくは,「はやくにほんへ」と読むのが憶良の真意だったでしょう」と書いています。702年の遣唐使に参加した人びとのなかでは,「やまと」ではなく「にほん」こそが新しい国号だと意識されていたと論じているのですが,「これは特殊な例です」と断じて,さらっと流してしまっています。ということは,「日本」という漢語は唐(唐での外交儀礼の場面)でも「やまと」と発音されていたということを意味しているのでしょうか。まさかねぇ。
なお,「『古事記』では天皇は「日本」ではなく「天下〔あめのした〕」に対応する君主号なのです」と論じたうえで「「日本」は天皇よりも成立が遅れる可能性を示しているでしょう」と評しているのですが,「日本」と「天皇」が必ずしも連関する言葉なのではない,という用法の問題とは考えられないのでしょうか。つまり,天皇号が唐に対しては用いないものの,新羅や渤海に対しては使用された,という問題との関連で考えることも必要じゃないかと思うんですが....。
iPhone/iPodtouch の辞書アプリ「大辞林」が,グッドデザイン賞の受賞記念ということで,セールが行われています。辞書を引く,という行為そのものが楽しめるアプリなので,iPhone/iPodtouch ユーザの方で,2500円という定価に躊躇されていた方は,プチっといってみてはいかがでしょうか。「大辞泉」とは比べ物にならないくらい楽しめます(収容している語彙は「大辞泉」のほうが多いのですが)。詳しくはこちらをどうぞ。
更新情報 [リンク集]に新規リンクを追加登録しました。
9/27に「解法の研究(ipod touch版)をダウンロードするページが開けません」との問い合わせをくれた「廣見」くんへ。
返事をしたのですが,「メール送信エラー通知」が届いています。もしかすると,アドレスが間違えているのかもしれません。とりあえず,返事の内容を下記に転載しておきますので,これを読んだらまた連絡下さい。
*****ここから*****
http://www.ab.auone-net.jp/~tsuka21/ronjutu/toudai/toudaidic.html
のページが開けないのでしょうか?
それとも,このページは開けるけれども,
「ダウンロードはこちらから」の「こちら」をクリックしてもページが開けない
ということでしょうか?
ちなみに,「こちら」をクリックすると自動的にダウンロードが始まります。
ダウンロード先を確認してもらえればファイルがあるはずです。
*****ここまで*****
宮城大蔵『「海洋国家」日本の戦後史』(ちくま新書,2008)を読了。
この間,諏訪哲二『間違いだらけの教育論』(光文社新書,2009),河西晃祐「「帝国」と「独立」」(『年報日本現代史』第10号,2005),須崎慎一「総力戦理解をめぐって」(『年報日本現代史』第3号,1997)を読了。
この間,鎌倉佐保『日本中世荘園制成立史論』(塙書房,2009),石井寛治・原朗・武田晴人編『日本経済史3 両大戦間期』(東京大学出版会,2002)のうち武田晴人「景気循環と経済政策」,加瀬和俊「就業構造と農業」,平智之「帝国主義世界体制と中国」を読了。
なお,駿台教育研究所の冬期・教育研究セミナーで,また講座を担当します。今度は「日本史の研究−昭和戦前・戦後をどう教えるか−」というテーマで,1930年代から60年代を扱います。日程は大阪会場が12/13(日),東京が1/11(月)となっています(予定です)。
更新情報 [阪大日本史/教員一覧]を更新しました。三重の高校教員の方から,古代の梅村喬氏が退官されているとの指摘をいただきましたので,内容を更新しました。
この間,佐藤泰弘『日本中世の黎明』(京都大学学術出版会,2001)のうち,「国の検田」と「立券荘号の成立」を読み,西谷正浩『日本中世の所有構造』(塙書房)のうち,「第一編 荘園制の所有構造をめぐる研究」を再読。そして,惣領冬実『チェーザレ』第7巻も読了。
先月あった教育研究セミナーのアンケートに,どのようなソフトを使っているのか,という質問があったのに,それに応えるのを忘れていました。
僕は基本的にMacユーザですが,ふだん使うのは, Jedit というエディタ,Tree というアウトラインプロセッサ,InDesignという dtpソフト,Logophile という辞書閲覧ソフト,Voodoopad というメモソフト, Illustrator あたりです。そして,サイトは Code をつかって作っています。なお,Word は持っていませんし,買おうとも思っていません(笑)。 OpenOffice.org があれば十分ですから。
質問を書いてくださった方,こんなところで宜しいでしょうか(といっても,サイトをご覧になっているかどうか不明ですが)。
更新情報 [阪大(文・外)日本史の研究][一橋大日本史の研究][筑波大日本史の研究]を更新しました。
[阪大(文・外)日本史の研究]は構成を変更し,[一橋大日本史の研究]は教員一覧を追加,[筑波大日本史の研究]は今年度の問題を追加しました。
なお,先日,国府台女子高(千葉)の谷口さんから,森武麿氏が一橋大を退官されたとの話を聞き,サイトを更新しておかなければならないな,と思っていたのですが,実のところ,一橋大の教員一覧を登録していませんでした(苦笑)。毎年3月末に関西で行う京阪神大入試研究会の資料には,毎年掲載していたので,てっきり登録しているものだとばかり勘違いしていました。というわけで,今回はじめて一橋大の教員一覧を登録しました。
加藤陽子『それでも,日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社,2009)を読了。高校生相手の講義を書籍化したものだけあって,非常に読みやすい。ただ,突っ込みたい疑問点がけっこうありますけど,それはまた後日ということで.....。
更新情報 [京大日本史/論述問題の研究]を更新しました。今年の問題を追加登録するとともに,すべてに「発問の類型」(展開過程,対比,関連,多面的な説明の4タイプに分類)を追記しました。
夏期講習を終え,東京での2日間のセミナーも終えたので,ようやく休みです。7月に家族旅行に行ったので,この休み期間中はどこにも出かけず,家で過ごす予定です。出かけるとしても,奈良国立博物館の「聖地寧波」を見に行くくらいでしょうか(本当は清涼寺の釈迦如来立像が展示されている期間に行きたかったのですが...)。そして,この休み中に,まったくやっていなかったサイトの更新を少しでもやっておこうかと思っています。
なお,昨日のセミナー「センター試験日本史Bの対策」のなかで使った「試験問題評価委員会報告書」は,2007(平成19)年度以降のものに限定されますが,こちらに公開されています。
それから,「近代外交史をどう教えるか」のなかで,<アメリカによる日米通商航海条約の破棄通告は,日本軍が天津租界を閉鎖するなか,イギリスが日本に対して宥和に傾きがちな状況のなかで,イギリスを支えるための行為であった>と指摘した点について,そのように断定したのは何が典拠なのか,と個別的に質問を受けたとき,ソーン『太平洋戦争とは何か』かなぁ,と答えたのですが,間違っていました(苦笑)。自宅で確認したところ,細谷千博編『日米関係通史』(東京大学出版会,1995,そのなかの細谷「真珠湾への道 1931〜1945」)でした。そして,永井和『日中戦争から世界戦争へ』(思文閣出版,2007)も触れていました。
『歴史の足跡をたどる 日本遺構の旅』(昭文社まっぷる選書,2007)を読了。「遺構」という言葉から,考古学関連の本だと思われるかもしれないが,取り上げられた遺構22件のうち,前近代のものは十三湊,鎌原村(浅間山の噴火で滅んだ村),安濃津,草戸千軒などの10個で,残りは,渋谷のどまんなかにあったロープウェイ「ひばり号」や,長崎の「軍艦島」など近現代のものです。
書き忘れていました。山本博文『天下人の一級資料 −秀吉文書の真実』(柏書房,2009),孫崎享『日米同盟の正体 −迷走する安全保障』(講談社現代新書,2009)を読了しました。山本著は,福岡校での講習中に天神の丸善でみつけたもので,刀狩令,身分法令(人掃令など),バテレン追放令を史料紹介しながら分析しています。孫崎著は,「日米安全保障条約は実質的に終わっている」とのフレーズから始め,冷戦終結前後から現在にいたるアメリカの動きと日米関係を分析しています。勇ましく核武装論や敵基地攻撃論をぶつ前に,冷静に考えることの必要性を痛感させてくれます。
木許くんのブログNuit Blacheによれば,東大のオープンキャンパスで彼がこのサイトを紹介してくれたとのことで,ありがたいことです。アクセスされた受験生のみなさん,十二分に利用してください。
山田芳裕『へうげもの』第9巻(講談社,2009)を読み終えた。千利休の切腹シーンが見物です!
昨日までお茶の水で講習,そして今日,京都に戻ってきました。蒸し暑い(苦笑)。
昨日は,講習が午後からなもので,午前中に東京国立博物館へ行き,「伊勢神宮と神々の美術」展を見てきました。式年遷宮に関する展示がメインだったのでしょうが,僕としては,伊勢神宮(やその神官)への仏教の浸透に関する展示のほうが興味深かった。そして,図録(買わずに読んだだけなのだが(苦笑))では,伊勢神宮での神仏習合が進んだのは17世紀後半,江戸幕府の政策によるものだとの指摘に,驚きました。保科正之,恐るべし,というところでしょうか。
そして講習が終わってからは,木許くん&杉田くんという教え子と,神田で寿司を堪能しました。
ご馳走したからかどうかはわかりませんが(笑),木許くんのブログNuit Blacheをみると,僕への言及があるじゃないですか。褒めすぎじゃないの?と思うものの,予備校での勉強が大学での活動に役立っている(内容的にではなくね),と思うと,それは嬉しいものです。もっとも,それは東大日本史の問題そのものが,大学での勉強・活動につながる基礎学力(内容的にではなくね)を養成することを意図している,という性格が強いからでもありますが。
そう考えると,京大の日本史も記述問題を70小問も出さずに,論述問題をもっと増やしてくださいな,って思います。
木村茂光『日本中世の歴史1 中世社会の成り立ち』(吉川弘文館,2009)を読了。コメントしたいことがいろいろありますが,時間的な余裕があまりないので,後日にまわします。
高橋昌明「六波羅幕府という提起は不備か ー上横手雅敬氏の拙著評に応える-」(『日本史研究』563,2009.7)と小原嘉記「平安後期の任用国司号と在庁層」(『日本歴史』735,2009.8)を読了。
高橋昌明氏は『平清盛 福原の夢』(講談社選書メチエ)で,平氏政権を「六波羅幕府」と呼ぶという,刺激的な提起を行っていますが,高橋昌明「六波羅幕府という提起は不備か ー上横手雅敬氏の拙著評に応える-」は,それに対する批判への反批判です。
平氏政権と鎌倉幕府の間には,鎌倉幕府が中央から独立的な地域的軍事政権である点以外はさほど違いはない,という点においては両者の懸隔はないようですが,中央から独立した広範な地域を支配することをもって幕府の要件とするかどうかが,大きな論点のようです。
素人判断としては,内乱の過程を通して武家が軍事を基軸としながら政治権力(の一端)を握り,内乱から平時に移行するなかで成立した政権を武家政権=幕府と呼んでおけばいいんじゃないの?と思います。平氏政権にしても内乱(京都という局所的な空間に限定されますが)の過程を通して成立したわけですしね。それに,「中央から独立した広範な地域を支配すること」をもって幕府の要件とするならば,室町幕府はまず「幕府」としての要件を充たしていないと言えます。他方,右近衛大将への任官をもって「現に存在し役割を増大させつつある武家権力」を「権威づけ,シンボライズするもの」と理解するという議論は,室町将軍家においても代始めの基準が征夷大将軍よりもむしろ右大将の方にあったと指摘する議論(橋本雄「遣明船の派遣契機」『日本史研究』479,2002.7)もありますし,納得できるものがあります(鎌倉幕府においても右大将に大きな意義が認められていたのかどうか知りたいところですが)。もしかして,右近衛大将という地位は,内乱の過程で独立性を強めた武家権力と朝廷(天皇を頂点とする政治秩序)との関係を調整する橋渡しだったんじゃないの?(それに対して「大将軍」は<強い>独立性を象徴するもの?),とも思えます。
小原嘉記「平安後期の任用国司号と在庁層」は,平安中後期における任用国司について論じたものですが,10世紀以降,任用国司が揚名(職掌も給付もない名誉職)となっており,都と地方を往還しながら院宮王臣家に奉仕していた地方氏族が名誉職として得たものであると論じています。山川『詳説日本史』では,新課程になって以降,「受領以外の国司は,実務から排除されるようになり,赴任せずに,国司としての収入のみを受け取ること(遥任)もさかんになった」(p.70)と説明されるようになっていますが,なんとなく納得しがたいものあったので,こういう議論を読むとスッキリします(笑)。
渡辺尚志『百姓たちの江戸時代』(ちくまプリマー新書,2009)を読了。江戸時代(特に後期が対象ですが)の百姓の生活ぶりを,さまざまな具体的事例とともに紹介してあります。一橋大志望者は読んでおいて損はないでしょう。
『ZEAMI 04 足利義満の時代』(森話社,2007)所収の桜井英治・高岸輝・松岡心平・小川剛生「座談会 足利義満の文化戦略」を読み終え,続きで高岸輝「美術史の15世紀」(『日本史研究』546,2008.2)を読了。
今日の毎日新聞の書評欄では,生誕100年というので花田清輝が取り上げられていました。以前はよく読んだのですが,最近は開いてもいませんね(苦笑)。これをきっかけにまた読みなおしてみようかと思っています。最初は「小説平家」かな。
今年度のセンター試験試験問題評価委員会報告書が7月10日に発表されています(→地歴分はこちら)。そのなかの「問題作成部会の見解」で,年代順配列問題が6択になったことについて,次のように書かれています。
四つに絞るためには問題内容以外にテクニック的な様々な配慮が必要で,受験者にも問題内容以外のことに気遣いさせる懸念があるため,すべての配列可能性のある六つを並べることにした。併せて,それによって難度が上がらないよう問題レベルに配慮した。(p.80)
要するに,4択にするのは面倒だし,4択だと受験生がテクニックだけで解いてしまう恐れがあるから,ということのようですが(「曲解」かな?),だったらもっと難度を下げて欲しかったものです。「配慮」が足りません。いや,そもそも選択肢を4つに絞るためには「テクニック的な様々な配慮が必要」という判断そのものに「思慮」が不足しているように思えます。年代順配列問題を作るとき,特に何を問いたいのかを考えれば,「テクニック的な様々な配慮」など使わずとも4つに絞り込めると思うんですがねぇ....
それはともかく,来年度はどうなるか。「出題に対する反響・意見についての見解」のなかに次のようなコメントがあります。
年代順配列問題について,今年度復活させた配列すべてを掲げる選択肢の6択方式は,「年代配列の選択肢を6択形形式とし,あいまいな理解のまま正解に至ってしまう可能性を排除しようとしたこと」で「作題部会の問題改善への意欲がうかがわれる出題内容であった」との評価がされており,今後も継続することの要望へも配慮していきたい。(p.84)
要するに,来年度も年代順配列問題は6択で出題され,知識での判定が要求される出題内容となる可能性が高い,ということのようです。
もう一つ気になるのが文化史ですが,それについては次のようなコメントがあります。
「文化史に関する出題はここまで減少させなくてもよかったのではないか」という指摘もあり,これまで文化史の出題への意見を踏まえて対処したものであったが,今後は更に時代別・分野別ともにバランスのとれた出題にも心掛けていきたい。(p.84)
どうしろっていうんだよぉ,という溜め息が聞こえてきそうですが(苦笑),それなりに文化史は増えそうですね。
ところで,「高等学校教科担当教員の意見・評価」のなかで非常に気になる表現がありました。
不戦条約は,対中国強硬外交を主導する田中義一内閣下で調印された。時代の流れに主眼を置いた授業では不戦条約を大きく扱うことは少なく(以下略)(p.65)
思わず,あなた(たち)の想定する「時代の流れ」が不適切だから不戦条約をうまく位置づけることができないんですよ,と言いたくなります。田中義一内閣も英米協調外交を推進していた,という判断を組み込んだ「時代の流れ」を考えてみましょうよ,と言いたいですね。英米と共同歩調をとることと対中国強硬外交(軍事介入)とは必ずしも矛盾せず,十分に両立しえる,という視点(現実)を組み込んで,「時代の流れ」を考え直す必要があります。
『ZEAMI 04 足利義満の時代』(森話社,2007)所収の論文から,桜井英治「足利義満と中世の経済,高岸輝「足利義満の造形イメージ戦略」,大田壮一郎「足利義満の宗教空間−北山第祈祷の再検討」,桃崎有一郎「足利義満の公家社会支配と「公方様」の誕生」を読了。なかでも,桃崎論文が特に興味深かったです。足利義満が公家たちを動員する際の「正当化の論理の不在」に注目しながら,義満が天皇との関係による旧来の「公」(オフィシャル)を相対化し,公共(パブリック)の秩序を統一的に体現する,新しいオフィシャルな権力を創出しようとする過程を描いています。義満の「皇位簒奪」計画がだんだんと相対化されてきているんですね。 あとは,同誌所収の桜井英治・高岸輝・松岡心平・小川剛生「座談会 足利義満の文化戦略」をまだ読んでいないので,それに手をつけようと思っています。
前期の授業が終わったと思ったら,新型インフルエンザ休講の補講もあって,休みなく夏期講習に入ってしまった,という人も多いのではないでしょうか(京阪神間だけか?)。
とはいえ,忘れてはいけないのは前期の復習です。地歴にそんなに時間をかけるわけいかない,という人もいるとは思うのですが,だからといって,授業うけっぱなしでは,アウトプットしやすい状態で知識が定着してくれません。
少なくとも,授業でやったことを<自分なりに説明できるようにする>作業はやって下さい。とりわけ,論述対策が必要な人は,時期ごとの推移を,変化(違い)を意識しながら説明してみる,同時代をいくつかの観点(政治面・外交面・社会経済面など)から説明してみる,という,2タイプの作業をやっておきたい。なお,お茶の水で特単を受講した人は「トピックの論点整理」を自分なりに説明できるように復習しておきましょう(もう少し詳しく説明するならどうなるか,ということも試してみたいですね)。
野島博之・井之上勇『東大日本史問題演習』(東進ブックス)が発売されていますね。さっそく僕も購入しました。駿台や河合塾の実戦問題集と同じく実戦問題が掲載されていますが,それに加えて過去問研究がついている点で,ややお得感がありそうです。ただ,過去問研究という視点から言うと,もう少し問題分析が欲しいなという印象があります。その点で,知識を活用しながら問題の分析と答案の構成をいかに行うか,その作法とはどのようなものか,に焦点をあてた僕の『東大の日本史25カ年』の独自性は崩れていないな,と自信(笑)を持ちました。
師茂樹氏のブログ「もろ式:読書日記 2009-06-02」に誘われて『アジア遊学122 日本と≪宋元≫の邂逅』(勉誠出版,2009)を購入し,そのうち,自分の興味のある分だけ(苦笑),読了。読んだのは,細川涼一「鎌倉時代の律宗と南宋」,原田正俊「日本の禅宗と宋・元の仏教」,横内裕人「重源における宋文化」,野村俊一「栄西の建築造営とその背景」,箱崎和久「泉涌寺伽藍にみる南宋建築文化」,追塩千尋「日本と異国の神について」,橋本雄「皇帝へのあこがれ−足利義教期の室町殿行幸にみる」,です。
寺院建築に関する横内論文,野村論文,箱崎論文も興味深かったのですが,僕としては橋本論文がもっとも面白かったです。橋本氏は,明皇帝からの「日本国王」冊封に国内政治における意義(天皇を上回る権威づけ)を強調する今谷明氏らの議論に批判的な立場から,これまで議論を展開してきていますが,この論文では,現実の日明冊封関係とは別次元で進行した,室町殿の「皇帝性」を確保・補強し新たな政治文化をつくりあげようとする動きを論じています。
足立力也『丸腰国家 −軍隊を放棄したコスタリカ 60年の平和戦略−』(扶桑社新書,2009)を読了。軍隊がないことを最大の防衛力と考え,積極的中立という外交姿勢のもとで軍事紛争の解決・調停にあたるコスタリカの試行錯誤がまとめられている。非武装であることが軍事紛争の調停に役立つことを強調する伊勢崎賢治(『武装解除 −紛争屋が見た世界』など)に通じるものがある。
『歴史評論』6月号・7月号も主要論文を読了。両号は「歴史を学びなおす−教科書記述と歴史研究」という特集が組まれています。『歴史評論』は定期購読していないので気づいていなかったのですが,松井秀行さんのメルマガ「高校日本史講座」で紹介されていたので(と言いつつ実は読み飛ばしていて,他人から指摘されるまで気づいていなかった(苦笑)),ジュンク堂書店まで行って買ってきて読みました。
僕が注目したのは,6月号の 鎌倉佐保「「寄進地系荘園」を捉えなおす」, 湯浅治久「中世村落論と地域社会史の課題」, 若尾政希「書物・出版と日本社会の変容」。7月号の 木村直也「「鎖国」の見直しと教科書記述」, 稲葉千晴「世界から見た日露戦争」です。
鎌倉氏の論文は,中世荘園の成立過程に関する近年の見解がコンパクトにまとまっているので貴重です(この論文にも書かれていますが,鹿子木荘の史料をいい加減,教科書から削除してほしいものです)。湯浅氏の論文では,農民・地主といった個ではなく村や町という社会的集団に注目が当たってきている点が明記されている点,惣村と言われる「自力の村」だけではなく「非力の村」も存在していたことへの指摘が注目されます(二点めの視角は授業では活かしにくいですが)。若尾氏の論文は,寛永期における仮名草子流布の前提として本屋(出版業)の成立を指摘している点が注目点です。最近刊行された小学館の日本歴史シリーズの別巻,青木美智男『日本文化の原型』につながります。木村氏の論文は,教科書での「鎖国」の扱いの変化が丹念に追ってあるので面白いですが,「かつての「鎖国」概念を単に切り捨てるだけでなく,その当否を改めて考察し」と書かれている点が共感できました。ただ一つ気になったのは,「鎖国」概念は「開国」概念と対になって存在しているものですから,「鎖国」の見直しは必然的に「開国」の見直しをともなわなければならないはずなのに,それへの注目が弱いと思われる点です。人によっては,授業のなかで「鎖国」という言葉を用いず,「海禁」という言葉をメインにすえて説明しているケースもあると思いますが,その場合,日米和親条約(さらには日米修好通商条約)によって生じた事態を何と表現するのか。相変わらず「開国」という言葉で説明しているのなら「鎖国」概念を否定していないのと一緒です。それならば「鎖国」という言葉を,「開国」と対比しながら定義し,その言葉を使いながら説明したほうが適切じゃないでしょうか。
最後に稲葉氏の論文は,日露協商論=満韓交換論と日英同盟論の対立という図式が消えていることが確認できる点,教科書記述とは微妙に異なる開戦と講和の過程がコンパクトに説明されている点が注目されます。
夏期の教育研究セミナーについてですが,またセミナー終了後に懇親会(「史のべの会」)を私的にやろうと思っています。大阪会場は8/15(お盆の最中なんですけどね(苦笑)),東京会場は8/21にやる予定です。セミナー参加(予定)者で懇親会への出席を希望される方がいらっしゃいましたら,僕までメール下さい(→こちらから)。
並木誠士『絵画の変 −日本美術の絢爛たる開花』(中公新書,2009)を読了。15世紀から16世紀における,新しい絵画の形成過程について狩野派を中心に論じたものです。図版も掲載されていますが,僕は『室町時代の狩野派』(京都国立博物館,1996),『狩野永徳』(京都国立博物館,2007)という図録を脇におきながら読みました。
6月5日の朝に質問をくれた「あや」さん。回答を送ろうとしても,入力してくれたアドレスが "Domain not found" とサーバーからはねられているようです。というわけで,ここに質問への回答を書いておきます。
> 摂津職は国司の役割を兼ねていたことがわかっているのですが
> 郡司、里長を置いていたのかどうかがわからず、
摂津職は,摂津に難波宮という副都があったために特別に置かれたものです。ですから,難波宮の管理という特別な任務を除けば基本は国司と同様で,
摂津国の行政も担当しています。そして,摂津国に郡・里という行政区画が存在していただろうと想像できると思いますから,そう考えれば摂津職の下に郡司や里長が置かれていたことも想像できると思います。
実際に設置されていました。
> また、京職や大宰府といった役所の他にその地では国司、郡司、里長を置いて
> いたのでしょうか?
> それとも摂津職のように置かないでその役所自体が兼ねていたのでしょうか?
京職が管轄する地域は「京」で,そこには「国」はありません。ですから京職が国司の役割を兼ねることはありませんが,職務内容は基本的には国司と同じです。ただし京のなかには郡も里もありませんから,京職の下に郡司や里長が置かれることはありません。
一方,大宰府ですが,大宰府の管轄地域は西海道諸国ですから,それら諸国にはそれぞれ国司が置かれ,その下には郡司や里長が置かれています。
苅部直・片岡龍編『日本思想史ハンドブック』(新書館,2008)を読了。
いろいろ気になったのがありますが,なかでも新保祐司「「大東亜戦争」は日本思想にとって何だったか」は,非常にひっかかりました。特に「「大東亜戦争」が,「東亜百年戦争」の終幕であったとすると」や,「「大東亜戦争」で「東亜百年戦争」が決定的に終わったとすれば」という仮定です。
まず,「この「東亜百年戦争」の開始は(中略)ペリーの黒船渡来よりも前である。外国艦船の出没が激しくなり,日本は,西洋列強との事実上の戦争状態に入る」と書かれているものの,アジア太平洋戦争から100年前といえば,中国でアヘン戦争が生じていた頃である。なのに新保氏は,どうして「日本」だけの視点で考えているのだろうか。「東亜百年戦争」と称するのならば,「東亜」に視点をすえて考えるのが妥当ではないのか。
そして,アヘン戦争からアジア太平洋戦争までを「東亜百年戦争」と総括するとして,なぜアジア太平洋戦争(大東亜戦争)で「東亜百年戦争」が「決定的に終わった」という仮定がでてくるのか? アジア太平洋戦争における日本の敗戦後もまだしばらくは継続している(いつまでだろう?)という仮定を立ててみてもいいんじゃないか? (もっとも,継続していたとすると東亜「百年」戦争にならないが(笑))
ところで,なぜ「大東亜戦争」という名称にこだわるのだろう? 戦争がくり広げられた地域をとって「アジア太平洋戦争」でいいじゃないですか,と思うんですが,やはり禁句(忌み避けるべききまりの語句)だからですかね。いいかげん,その「呪縛」から解き放たれたらどうですかね。
下村周太郎「鎌倉幕府不易法と将軍・執権・得宗」(『日本歴史』2009年5月号)を読んだ後,その脚注のひとつに導かれて,保永真則「鎌倉幕府の官僚化」(『日本史研究』2004.10),秋山哲雄「北条一門と得宗政権」(『日本史研究』2000.10)をまとめて読みました。<合議>と<専制>は必ずしも対立概念ではないよ,と授業でもしばしば指摘するのですが,やはり鎌倉幕府の政治史を<将軍独裁→執権政治(御家人の合議制)→得宗専制政治>という枠組みで説明してしまいます。言っていることが矛盾してます(苦笑)。そろそろ改めないといけませんね。
最近,本を読む時間がほとんどとれていないのですが,『日本史研究』561号(2009.5)に,佐藤泰弘「領家職についての基本的考察」という論文が掲載されていたので,なんとか時間を作って読みました。荘園研究に新風を吹き込んだとも言える川端新・高橋一樹・西谷正浩各氏の議論について,「上位者優位という論理構成のなかで領家や領家職の位置付けが不明確なままに残されていることは否めない」としたうえで,領家と領家職について考察した論文です。
佐藤氏によれば,本家は「人や土地の帰属という関係性において用いられる」,「二者間の関係を示す言葉」であり,土地所有の主体を端的に示す言葉ではなく,それに対して,領家は「領主・地主と同じく,土地の所有者を表すもの」とのことです。それに対して,領家職とは「預所職を補任して荘園を経営し,年貢・公事を収取するという荘園の所有権が物権化したもの」だと論じます。そして,本家が領家職を保持しているケースをあげながら,「領家職が示すのは,領家そのものの地位ではなく,荘園の所有権である。したがって領家職を所持する者が領家と呼ばれるか本家・本所と呼ばれるかは荘園によって異なる」と論じています。
領家と領家職が異なる次元のものであるとされると,頭のなかが混乱しかねないですが(授業では使えないな(苦笑)),近年,立荘時においては<本家−預所職=領家−下司職>と図式化されるような支配体系があったと論じられてきたことを念頭におけば,なるほどと首肯できるものがあります。
では,この「領家職」が生じたのはなぜか,と言えば,佐藤氏は,「寄進主の領家は荘園に対する権利が当初から強かった。恩給の預所職であっても伝領されることで相伝の家領のようになる。どちらの場合も,本家と領家・預所との関係は原理的に相反するベクトルを含み,荘園の領有構造は当初から矛盾を内包していた」という点に求めているようです。この「構造的な矛盾」への対応として,「土地所有者を端的に示す領家という言葉が選ばれ,その領家の権能をもとにして,一二世紀末期に根本的な所有権を意味する領家職という言葉が生まれた」とまとめられています。
ここで素人の僕が気になるのは,「領家職」という言葉がいったい誰との関係のなかで用いられるのかという点で,本家と領家の関係においてだけでなく,一般に相論の対手との関係のなかでも用いられているのではないかという,素朴な疑問があります。それに関連して,桧牧荘の領家職・預所職は(荘園の譲与を含め)佐藤氏の議論のなかでは重要な位置にあるように思いますが,佐藤氏は<長厳が七条院に寄進した際,領家職には任じられず預所職に任じられた>としています。ところが,世界大百科事典(執筆・橋本初子)や国史大辞典(執筆・朝倉弘)では,長厳が領家職をもったと書かれています(国史大辞典では領家職と預所職を兼帯したと書かれている)。佐藤氏の解釈のほうが妥当なんでしょうか。気になるところです。
ところで,「おわりに」の脚注のなかで佐藤氏は,次のように説明しています。
「領家職という言葉を用いて荘園の寄進を説明すると次のようになる。領家が荘園・所領を寄進して本家を戴くことによって,本家は領家職を保持し,領家を預所職に補任する。(以下略)」
しかし,上位者優位という論理構成を相対化したい佐藤氏は,他方で,「寄進後においても領家つまり荘園の領有者としての地位が保持されていると考えるのが妥当である」とも論じています。そもそも「領家職という言葉を用いて寄進を説明」しようとすること自体,佐藤氏が行っている「領家職」の定義からすれば全く不必要な行為だと思うのですが,それは脇におくとしても,ここの議論は矛盾していないんですかね。
さらに,あるところでは,「荘園経営が安定し,両者の関係が円満に継続することによって,預所職の補任という形式をとる必要がなくなり,当事者間における関係性の確認を荘園の安堵として行うようになる。そして本家は現地を把握することを放棄し,荘園を領家に委ねる」と書いているのですが,佐藤氏のいう<荘園の安堵>が多く見られる13世紀後半は,本家と領家の相論が頻発していた時代じゃありませんか。実際,佐藤氏も「一三世紀後半の公家新制にみえる本家・領家の相論は,荘園の構造的な矛盾が政治問題化したものである。その要因は本家と領家の不和,つまり世代交代や本家・領家の浮沈により,両者の関係が揺らぐことにある」と書いています。ここも議論が矛盾していないんですかね。
なお,本家・領家の関係が貴族間の主従関係と密接であるのなら,その主従関係の不安定さ,兼参という問題や承久の乱以降の揺らぎなどへの注目もほしい,と思いました。
もう一つ。p.20の下段に「七条院への寄進後も寄進主の道厳から長厳へと継承されたと考えられる」とありますが,この継承関係は逆ですよね。
今日の18時すぎに質問を送ってくれた「岩田」くん。記入してくれたアドレスが間違っているようで,「メール送信エラー」の通知がきています。改めて正しいアドレスを送って下さい。
今日は,新型インフルエンザの影響で大阪・神戸地区が休講になったため,自宅で仕事しています。と言いつつ,ネットでこんなブログを見つけました(→こちら)。参考になるんじゃないでしょうか。ただ僕の解答例では,「大名知行制」どころか,「石高」も削りましたけどね(笑)。
藤田裕嗣『日本史リブレット76 荘園絵図が語る古代・中世』(山川出版社,2009)を読了。専門的な内容が多く,読みにくかったです。
昨日,ジュンク堂京都店へ行きました。自宅近くにある大垣書店にはぶらりと入ることがあるのですが,ジュンク堂のような大型書店は久しぶりでした。やはり,書棚を見ているだけでも楽しいですね。そして,『百兵衛』という美術系の雑誌(No.9)を買ってきました。表紙を飾っていた「浅井忠さんを勉強しませんか?」というフレーズに誘われてしまったからです。以前,京都市美術館で開催された「浅井忠展」で,高校日本史で語る浅井像とは違った部分をいろいろと(といっても少ししか展示はなかったが)見せられて以来,ちょっと気になる画家さんだったからです(浅井から教えをうけた画家に梅原竜三郎や安井曽太郎がいるんですよね)。
ところで,駿台教育研究所のサイトに,夏期の教育研究セミナーの概要がすでに掲載されています(→こちら)。春期につづき,近代外交史をテーマとしたセミナーを大阪会場(8/15),東京会場(8/21)にやります。そして,東京会場では「センター試験日本史Bの対策」というセミナーも担当します。駿台教育研究所のサイトには「3/22」となっていますが,そんなわけはない(笑)。正しくは「8/22」です。ただ,「センター対策」という概論的なネタで6コマも何をしゃべるのか,正直言って,いまだに悩んでいるところです。もう教材作成の〆切が近づいているんですけどね(苦笑)。