昨日,東京で教育研究セミナーを終えたあと,いつものように何人かの高校教員の方と食事をしていた際,「最近,読書備忘録がサイトに書き込まれていない」との指摘をいただきました。Twitter では,それなりにツィートしているのですが,Twitter を使っていない方には不便なようです。今後は,できる限り早く,こちらにも掲載するようにします。
というわけで,9月以降の分をいっきにまとめて掲載しておきます。(最初にある日時はツィートした日時です)
2011/09/03
鎌倉政治史の説明の仕方を組み直すべく,熊谷隆之「鎌倉幕府支配の展開と守護」(『日本史研究』547号),保永真則「鎌倉幕府の官僚制化」(『日本史研究』506号),下村周太郎「鎌倉幕府不易法と将軍・執権・得宗」(『日本歴史』732号)を読み直していました。将軍独裁→御家人の合議政治→得宗専制政治,という枠組みはそろそろやめにしたい。単純で分かりやすそうに見えるんだけど,やはり,独裁と合議を対立的にのみ捉えるわけにはいきませんからね。将軍親裁と御家人の合議が共存していた時期,評定での合議のもとで執権が決裁した時期(泰時から),寄合が評定より上位の機関に位置づいた時期(貞時から),と分けて説明してみたい。クラスによっては,教科書記述とのすり合わせが必要だけど(苦笑)。
2011/10/10
出口汪『「論理力」短期集中講座』(フォレスト2545新書)を読了。野矢茂樹『論理トレーニング』の平易版がないかと探していたのですが,この出口著は使えそうです。(それでも,論述を必要とする受験生には,個人的には野矢『論理トレーニング101題』をまずは薦めたいが)
2011/10/10
與那覇潤『翻訳の政治学 −近代東アジア世界の形成と日琉関係の変容』(岩波書店)を読了。長らく積読していましたが,ようやく一気に読み通しました。琉球処分(1879)の段階では登場しなかった民族(統一)問題が事後的に現れること,「民族統一」がどのような政治的想像力のもとで現れたのかが,論争的な形で提示されていて刺激的でした。東亜共同体論での尾崎秀実,アジア主義での竹内好に似た(より明示的ですが)印象を受けました。
2011/10/28
元木泰雄『河内源氏』(中公新書)を読了。確かに,河内源氏を主題とするドラマとして面白い。
ただ,いくつか不満も残った。一つには,以前にもツィートしたが,貴族と武士とを対立的に描く部分がある点です。「公的権威より,自身の力量や思惑を重視する,すなわち自力救済が武士の行動を支える一方の原理であった」(p.iv),「王朝権威と自力救済の間で,河内源氏以下の武士は揺れ動いていた」(同)と論じられているのですが,これは「武士」だけの特性なのだろうか?第二点めは,この本の主題から言って「ないものねだり」なんだろうが,「軍事・武芸を職能とする武士」(p.4)が,いかにしてそのような存在として社会的・公的に認知されていたのか,が分からなかった。武士として動員される人々が何を基準に武士として動員されたのか,です。「東国は実力がものをいう自力救済の世界である」(p.22),「追い詰められても,あえて生きのびようとした点に,坂東の自力救済の世界を生き抜いてきた,義朝の真骨頂があった」(p.197)などと書かれるのだが,なぜ東国・坂東だけが特記されるのだろうか? 武士の行動を支える原理の一つが自力救済だと論じられていること(iv)を前提とすれば,それは畿内近国であれ,どこであれ,同じなのではないか?何が異なるのだろうか? 軍事貴族が軍事貴族の郎党になるケース(従者となっているものが実は同じ軍事貴族であること)が実例として多く出てくる点が興味深かったのだが,そこではどのような関係が結ばれているのだろうか?受領予備軍が受領の郎党になることと同様,事態としては理解できるのだが。
ところで,この本の良いところとして,ドラマとしての面白さを最初に挙げましたが,それ以外に(いや,それ以上に)指摘できるのは,武士として知られている人々の多くが,地方に土着した存在ではないことを,具体的な形で示している点だと思う。武士の多くが,地方に拠点を構えながら,京都を舞台に,そして知行国主や受領との関係をもとに,行動している様子が描かれており,その点において,新書という形で刊行されたこの本によって,武士の古典的なイメージが変わってくれることを期待したい。高校教科書で描かれる,荘園成立のあり方や荘園と国衙の関係などを相対化する事例が,さまざまちりばめられている。国衙の乱妨を防ぐために所領を寄進した,あるいは,荘官には土着の開発領主が就いた,などと思い込んでいるとズレてくる事例が,それとなく出ているのもいいな。
2011/10/30
山田康弘『戦国時代の足利将軍』(吉川弘文館)も読了。明応の政変以降,15代将軍義昭まで約1世紀も将軍が続いている,という事態は,戦国時代にあっても将軍に存在意義があったことを示しているわけですが,この著書はその具体相を論じたものです。それだけでも必読書だと思う。大名にとっての将軍の利用価値が15ほど列挙されていますが,織田信長や豊臣秀吉による惣無事政策が前代からの遺産を引き継いだものであるように思えてなりません。また,義昭を擁した信長包囲網をも「幕府」と評することができる,との指摘は面白い。戦国時代の幕府のあり様を意識することで,室町幕府のもつ特徴の一つがよりはっきりしてくるようにも思えました。何をもって「室町幕府」と称するのか,将軍分立も含めて,つめて考えておかないといけないな,という思いを強くしました。
2011/11/13
速水健朗『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)を読了。ラーメンとともに第二次世界大戦後の歴史,産業や社会の変化をみる,という構成になっていて面白い。「ご当地ラーメン」が列島改造論以降にフェイクとして形成され,「伝統」へと塗り替えられていった様子が描かれているのだが,「伝統」を装うところから,タイトルの「愛国」へどうつながるのか,その点がうまく読み取れなかった。ナショナルな気分への繋がりは読めたのだが。
2011/11/26
與那覇潤『中国化する日本』を読了。面白かった部分と,なんだかなぁという部分に分かれました。
面白かったのは,歴史を<見立て>として使って現在を語る本,としてです。「中国化」という言葉にも疑問があるし(たとえば,農業はどう位置づくのだろう?),グローバル化を「中国化」と「翻訳」することについては,ズレがあるなとの印象は受けるものの,面白さがあります。
ただ,ご本人には申し訳ないのですが,日本通史の本としては,それほど面白くありませんでした。たとえば,平清盛・後醍醐天皇・足利義満・明治維新(明治初期)の画期性を強調されていますが,案外,古典的な印象をもちました。まず平清盛に関連するところで言えば,「農業中心の荘園制社会」「農業基盤に依拠する武家勢力」といった理解が古典的です。要するに,荘園制や武士の理解が古い,との印象です。荘園制は遠隔地間交通の発達があって成り立つシステムですし,武士が流通への支配を志向していたこともしばしば指摘されます。平安貴族にしても,九州に来航する中国商船との交易には平安中期からすでに積極的ですよね。後醍醐にしても,彼の政策を鎌倉後期の公家政治,あるいは公武両政権による徳政の流れのなかに位置づける動きもありますよね。明治維新(明治初期)については,当初は官営事業が中心でしたし,公選制議会の設立をめぐる議論は,自由民権運動が始まる以前から政府内部に存在しています。教育勅語が発布され,高等文官試験が始まるとされる1890年代は,著者は「中国化」と評価されていますが,一方,明治憲法体制を政治システムの「再江戸時代化」と評されます。つまり,「中国化」と「再江戸時代化」の同時進行を指摘されているように読めるのですが..
少し脇にそれます。明治維新の「安っぽさ」についての指摘は「逆なで」的で好みですが,「騒ぎまわった割のスケールの小ささ」については,逆に,大して騒ぎまわっていないという判断(騒ぎそのもののスケールの小ささ)もあり,じゃないですか。
ところで,江戸幕末期の「動乱」の基礎に「次三男」に見ておられるのですが,幕末の志士たちのどの程度までが「次三男」だったのだろう。統計上の根拠が知りたいところです。
一方,江戸時代についてなのですが,イエごとに家職が定まっていたかのように書かれていますが,村や町などの集団がそれぞれ固有の役を負担することによって身分に位置づけられ,人々がそれぞれの集団の成員として役を果たすことと,それぞれがどのような生業を営むかは必ずしも一致していなかったと思うのですが。百姓が必ずしも農民ではないし,無高だからといって経営が零細かどうかは分からない,という点は,網野善彦氏も強調した点だと思います。
まとめますと,清盛・後醍醐・義満・明治維新に画期性がないなどとは言いませんが,「中国化」と「再江戸時代化」という二項対立に合致しやすい部分を拾い出し,単純化し,強調している部分が強すぎる,との印象を受けました。もちろん,単純化されることによって,かえって語られていないことが燻し出されてきて,書かれていないことを探すことの面白さがありました(そこに狙いがあるのなら,僕はうまく罠にはまったわけです)。
なお,牧原憲夫氏の議論をひいて,自由民権運動を「明治政府の自由競争政策への不満と,江戸時代の不自由だが安定した社会への回帰願望によって支えられていた点を,強調する傾向が強い」と書かれているのですが,一面を強調しすぎです。牧原氏は自由民権運動を政府に向って「国民の権利」を要求する一方で,民衆に向かって「国民としての自覚」を喚起しようとする政治運動ととらえていると思いますし,秩父事件などを「異質なもののスパーク」と表現されています。
2011/12/01
桜井英治『贈与の歴史学』(中公新書)を読んでいる途中。室町時代には,現物(貨幣など)をともなわずに折紙(目録)だけを贈る,という形の贈与が行われていたことが紹介されている。面白い!
また,『へうげもの』を読んでいて(見ていて),茶器などの名物のやり取りとは,どういう類いの政治なのだろう?と疑問に思っていたのだが,桜井『贈与の歴史学』で少し取り上げられている(参照:竹本千鶴『織豊期の茶会と政治』)。「将軍家が手放した御物は,所々に流出していわゆる「名物」を形成することになる。とくに茶の湯の流行にともない,戦国武将や茶人らによって所蔵された茶器には,御物(茶の湯の世界では「東山御物」とよばれた)に由来するものも少なくなかった」(p.187-8)。「名物の創造者たりえた室町将軍とは対照的に,竹本の表現を借りれば,信長は新たな名物を生み出すことなく,すでに名物として価値が認められたものを集めるにとどまった」。「千利休らを使って新たな名物を生み出していった豊臣秀吉との違いでもあった」(p.190)。
2011/12/12
松尾剛次『太平記』(中公新書)を読了。太平記を,室町幕府を正当化する正史に準ずる歴史書・神話と位置づけている。
2011/12/15
日明勘合貿易で使用された勘合については,「常識」がくつがえされつつあるようです。詳しくはこちら→「日明勘合のカタチ」
なお,執筆者の橋本雄氏のサイトにも復元された勘合(試案)の写真が出ています。
2011/12/19
冬期教育研究セミナー(東京会場)「中世荘園の展開をどう教えるか」に関連して。
永井晋『日本史リブレット人35 北条高時と金沢貞顕』(山川)では楠木正成を静岡県(清水)出身と明記してあります(p.52)。
悪党もそれに対抗する側も同様の軍事構成(他所からの合力)をとっていたことを指摘のが,高橋典幸「荘園制と悪党」(『国立歴史民俗博物館研究報告 第104集 室町期荘園制の研究』)。南北朝期の地域的な一揆を,悪党の「合力」関係を整序するものとして把握のが,市沢哲「十四世紀政治史の成果と課題」(日本史研究2007.8,540号)。
平安末期〜鎌倉時代の荘園制についての参考文献としては,鎌倉佐保「寄進地系荘園を捉えなおす」(『歴史評論』710号,2009.6),高橋典幸「地頭制・御家人制研究の新段階をさぐる」(『歴史評論』714号,2009.10),服部英雄『日本史リブレット24 武士と荘園支配』(山川)がコンパクトにまとまっています。
2011/12/31
「1624年のスペイン船来航禁止」について。
清水有子「日本・スペイン断交(1624年)の再検討」(『歴史学研究』853,2009.5)は,スペインとの関係を,①幕府とスペイン国王(あるいはフィリピン総督など)の間での通信関係,②その通信関係に付随して行われる公的な貿易関係,③民間貿易,の3つに整理し,①②は1615年で実質的には断絶しているものの,以降も③は盛んだったとしています。
2012/01/07
野村剛史「「抄物」の世界 室町時代の言語生活」(『古典日本語の世界』東大出版会)を読んでいたら,足利学校を再興した上杉憲実が大内氏の庇護を受けた,と出てきてビックリ。憲実は,関東管領を退いた後,出家し,諸国を放浪した後に大内氏を頼って,その領内で死去したんですね。知りませんでした
2012/01/11
先日,読み終えた古瀬奈津子『摂関政治 シリーズ日本古代史⑥』(岩波新書)についてです。 摂関政治について,良房・基経のころ,忠平のころ,道長のころ,それぞれの違い(道長の権力形態の院政への継承性も含め),母后の政治的な役割などをコンパクトに学べるのが,最大の利点だと言えます。改めて,宇多天皇や藤原忠平のころの重要性を痛感するし,良房から道長までの約200年間を「摂関政治」という言葉でまとめてしまう教科書記述のアラが見えてきます。ただ気になったのは,母后を「母后」とカッコ付きで表記していた点。どのような意図があるのだろうか? 社会経済については,摂関期における平安京の民衆,受領のあり方が具体的に,かつコンパクトに説明されている点が参考になります。特に官衙町や雑色など都市民衆については,天皇家や上級貴族の,一種の企業体としてのあり様とからめて授業で活かせれば,と思います。 日宋交渉のあり方もコンパクトに説明されていますが,なかでも,入宋僧が宋で国使に準じた扱いを受けていたこと,皇族や上級貴族を後援者としていたこと(彼らは「入宋巡礼僧を援助することで功徳を積み,現世・来世の利益を願った」),浄土教の発展に呉越国からもたらされた典籍が大きな役割をはたしたことなど,摂関期における「開かれた」対外交渉のあり様が知れる事例は興味深かった。ただ異国をケガレとみなす意識と照らしたとき,両者がどのような関係にあるのか,説明があってもよかったのではないか,とも思いました。 最後に,摂関期文化についてです。「唐帝国滅亡により,中国の求心力は低下し,周辺諸国では,独自の文化が開花するようになっていく」と説明されているのだが,これは整合的な説明ではないと思います。高校教科書が菅原道真までを弘仁・貞観文化に含めて説明していることが多いため,僕も仕方なく,このような説明をすることがあります(9世紀後半には唐の衰退により中国の求心力は低下し…と説明したところですが)。それと同じことを,学者さんが教養書で書いてはダメだろう,と思うのです。そもそも,上記のように書いた,すぐ後に,「日本の漢詩文は大きな転換期を迎える。承和年間(八三四〜八四八)の『白氏文集』の受容である。(中略)『白氏文集』の受容を通じて,日本人は中国の事物ではなく,自らの周囲にある事物や生活における感情を詠むことができるようになったのである。日本独自の漢詩文の誕生と言えるだろう。その代表的な漢詩文作者が菅原道真であった」との説明が続いている。時期がズレているじゃないですか,と言いたい。とともに,『白氏文集』の受容が,なぜ「自らの周囲にある事物や生活における感情を詠むこと」につながるのか,説明がほしかったところです。
なお,この本を読んでいて思ったのだが,平安時代は,①桓武天皇から嵯峨・淳和天皇,②藤原良房から忠平・村上天皇,③藤原実頼から兼家,④道長から師通・堀河天皇,⑤堀河没後,くらいに小分けするほうが分かりやすいのかもしれない。
2012/01/19
川嶋将生「応仁・文明の乱と美意識の転換」(『立命館大学京都文化講座 京都に学ぶ② 京の乱』)を読了。以前に話題になった「東山文化」という用語の問題性(義教期の重要さ),応仁の乱以降の都市文化(天文期文化と表現した)がコンパクトにまとめてあります。
この間,松岡心平『宴の身体 バサラから世阿弥へ』(岩波現代文庫)も再読了しました。
2012/01/21
大山喬平「鎌倉初期の郷と村⑴」(鎌倉遺文研究第4号)を読了。「重要なことは国ー郡ー郷ー村によって成り立っている一個の社会にたいして、中世における庄ー名の系列はそういう社会をさまざまに切り取ることによって形づくられていたという点にある。清水三男はこの名を実体化して把握し、名を主軸にして中世を説明しようとした。みずからの反省をも含めていうのだが、ここに清水の学説上の落とし穴、重大な欠陥が潜んでいた。清水の名の理解の系列の上に、戦後歴史学を主導した松本新八郎・安良城盛昭らの学説が位置している」。この史学史上の関係を述べるのは別の機会を待ちたい、とある。
昨日のセンター試験日本史Bについてコメントしておきます。
まずは総評から。
時代で言うと,原始からの出題が全くなかった(語句組合せ問題でのダミーの選択肢に「墳丘」があったのみ)。現代は3題(文化財保護法の制定・原爆ドームの世界遺産への登録が年代順配列問題で出てきたので,それもカウントすれば4題)。分野では,政治分野が少なく,社会経済や文化からの出題が多かった。
素材では,図版2つ,地図1つ,表2つ,史料3つ,とさまざまな素材を使って工夫がこらされている。このうち,表2つ(郡家の存続期間,大正〜昭和初期の朝鮮米の移入),史料1つ(市制町村制理由)は,内容読み取り問題となっている。
正誤問題の選択肢の作り方としては,時期ギャップで正誤を判定させるタイプのものが多く見られ,また,地域に注目させる選択肢・設問(「奈良盆地に水城」,「出羽の磐井」,近代の植民地・台湾と南樺太を地図から判断させるもの)も出題されている。
問題としては標準的だと思うが,用語を(やや)隠した選択肢など,ひねった部分が昨年度より多く,その点ではやや難化と言ってもよい。と言っても,平均点は昨年度よりもやや下るくらいで,60点台前半になるのではないか,と思います。
続いて,個別に気になった問題をピックアップしておきます。
第1問は文化財がテーマで,2007年度本試験と同じ(設問で使われた用語でも「原爆ドームの世界遺産への登録」が重複している)。
第2問(古代);「乙巳の変」が選択肢のなかで使われている点が注目される。すでに2008年度追試験(リード文中の下線部)でも使われており,高校日本史レベルの用語として完全に定着したものと出題者側は考えているようですね。
第3問(中世);14〜15世紀にかけての日明関係についての年代順配列問題で「九州の懐良親王に,明が倭寇の取締りを要求した。」との文章が出ている。山川『詳説日本史』には懐良親王はそもそも出てこないが,すでに2005年度追試験の年代順配列問題で「九州にいた懐良親王は,明の皇帝と外交関係を持った。」との文章が出題されており,過去問に取り組んでいればできた問題でしょう。
第4問(近世);全体としてやや難問といえます。
空所補充の「農業全書」と「広益国産考」の二択は,教科書の同じ箇所に書かれているにもかかわらず時期が異なる用語を使う,というセンターによくある手法ですが,間違える受験生は少なくないでしょう。
江戸時代の儒者と対外関係についての年代順配列問題では「雨森芳洲」が出ましたが,「木下順庵の門下である雨森芳洲が…」との文章のうち,「木下順庵の門下」に着目できれば時期の判断は容易です(木下順庵は2007年度追試,2003年度追試で既出)。また,19世紀前半の村社会に関する正誤問題では,「質流れにより,土地を大規模に集積する地主が現れた。」と「質流れにより,領地を集積する旗本・御家人が増えた。」という選択肢が出されましたが,「質流れ」という用語にとらわれず,土地を集積したのが「地主」か「旗本・御家人」か,言い換えると,史料(『世事見聞禄』)にでてくる「有徳人(富裕な人との注記あり)」が「地主」か「旗本・御家人」かが判断できれば容易です。
とはいえ,いずれも,主題ではない箇所に注目して時期を判断する,という解き方に慣れていない受験生は惑わされたと思います。
江戸時代における身分と村社会についての正誤問題で,「牛馬の死体処理や皮革産業に携わる者が,農業にかかわることはなかった。」との選択肢が出ました。1999年度本試験でほぼ同じ正誤問題がありましたが(「牛馬の死体の処理に携わり,かたわら農業に従事するものを非人とよんだ。」),やや難しかったでしょう。
第5問(近代);小問4つのうち,3問までが読み取り能力を問う,という,ある意味,画期的な大問でした。大正〜昭和初期の朝鮮米の移入に関するグラフ,史料(市制町村制理由)の読み取りを問うた問題は,すなおにグラフ,史料を読めば問題ありませんが,地図を使った問題は,果たして台湾と南樺太が判断できたかどうか。
第6問(近現代);リード文は市川房枝。菅直人前首相がらみでしょうか。
日中戦争期の経済政策についての正誤問題の選択肢で「地方改良運動」が使われていますが,2007年度追試験,2011年度本試験と,最近,よく使われていますね。
アジア太平洋戦争末期の労働力動員については,「ひめゆり(学徒)隊」「女子挺身隊」が出題されましたが,ともに2007年度追試験で既出です。ただ,今回は内容が問われた(「食糧増産を目的にして」「看護要員として召集するために」)ので,その点で迷った受験生がいたのではないか。
第二次世界大戦後の政治については,「1950年代には,追放を解除された政治家を首班とする内閣が生まれた。」,「米航空機の売り込みをめぐる収賄容疑により,前首相が逮捕された。」,「造船疑獄事件をめぐって首相への批判が高まり,戦後初の長期政権が崩壊した。」のように,内閣・首相の名称を隠した選択肢の判断がやや難しかったのではないか。
以上を総括すると,一般的な勉強の仕方としては,時期ごとの違いを意識して勉強すること,地域に注目することが大切であることが分かる。そして,語句・内容レベルに注目すれば,過去問との重複が多い。過去問を解き,正答できたかどうかを確認するだけにとどまらず,すべての選択肢について時期や内容のチェックを教科書を参照しながら自分で行うこと(解説を読むだけで済まさない)が大切です。
更新情報 [東大日本史/解法の研究]のうち,2010年度第2問に別解を追加。[一橋大日本史]のうち,日本史教員一覧を修正。
更新情報 [東大日本史/解法の研究]のうち,1983年第1問(摂関政治と院政の対比)の「解法の手がかり」を改訂しました。なにぶん,いま発売されている『東大の日本史25カ年〔第2版〕』では,すでに掲載されておらず,きちんとした解説を載せておいたほうがよいと判断しましたので。
9月19日付けで「9月から論述の添削をしてもらうのが時期的に早いか」という趣旨の質問をくれた梅原くん。記入してくれたアドレスが誤っていたためか,返信したメールがきちんと送れていないようです。
なお,9月から論述の添削をやってもらうのは,時期から言って別に早くありません。身近に添削してくれる人がいるになら,積極的に持っていくといいと思います。
昨日,東大(文)の日本史教員一覧を更新しましたが,古代史の有富純也氏は助教のようでした。リストに載せている教員の方々は,教授・准教授に限ってきましたので,有富氏は削除することにしました。お騒がせしました。
原稿が山積みで,かつ遅れているためもあって,日誌を更新している余裕があまりありませんでした(もちろん Twitter はやっているのですが,あれは,ふと気づいたことをツィートすればいいし,あるいは,他人(フォローしている人)のツィートに反応すればいいだけなので,けっこう気楽に書けてしまいます)。さらに,衛星授業「センター試験対策日本史」をまとめて事前収録したため(まだ残っているが),さらに余裕ナシってところです(苦笑)。
というわけで,この間,読んだと言えるのは,『歴史評論』8月号(特集/院政期王家論の現在)に収録の遠藤基郎「院政期「王家」論という構え」,高松百香「<王家>をめぐる学説史」,佐伯智弘「中世前期の王家と家長」,野口華世「内親王女院と王家」,樋口健太郎「白河院政期の王家と摂関家」,伊藤瑠美「院政期の王家と武士」,『日本史研究』7月号に収録の小島道裕「戦国期城下町と楽市令再考 -仁木宏氏の批判に応えて-」,『思想』8月号(特集/戦後日本の歴史学の流れ−史学史の語り直しのために)に収録の成田龍一・小沢弘明・戸邉秀明「【座談会】戦後日本の歴史学の流れ」,「【インタヴュー】戦後日本の歴史学を振り返る 安丸良夫」,成田龍一「違和感をかざす歴史学」,高澤紀恵「高橋・ルフェーヴル・二宮」,木本好信『藤原仲麻呂』(ミネルヴァ書房),などです。
小島道裕「戦国期城下町と楽市令再考 -仁木宏氏の批判に応えて-」は,豊臣秀吉の「楽座令」に関連して,「特権を全部否定することは現実にはできないが,「楽座」が原則であると宣言すれば,特権はその例外として領主が認めたものとすることが可能となる。「殺生禁断」とすることで漁業権を管理下に置くのと,同じ手法である」,と指摘されていた点が非常に印象に残っています。
『思想』8月号(特集/戦後日本の歴史学の流れ-史学史の語り直しのために)の座談会は,議論がかみ合っているように思えなかったのだが,それは,参加者3名が「メタヒストリーの会」を続けてきて,そこでの議論を踏まえているからなのかもしれない。僕としては,国民的歴史学運動から民衆史へのつながりが気になるところです。
木本好信『ミネルヴァ日本評伝選 藤原仲麻呂 −率性は聡く敏くして』(ミネルヴァ書房,2011)は,『日本歴史』8月号の榎本淳一氏の小論(「歴史手帖 比較の視点」)に触発され,藤原仲麻呂政権の唐風化政策や藤原仲麻呂の「乱」を確認したくて読みました。藤原仲麻呂政権では,752年の遣唐使がもたらした唐の知識に基づき,日本の実情を加味した政策が実施されていること,鑑真の意向も汲みながら寺院粛清(三綱を通じた統制・規律強化)が図られていることなど,平安初期の唐風化政策の先取りとも言えそうな政策が取り上げられています。藤原仲麻呂の「乱」も,孝謙上皇側の主導性,王権奪取という側面が強調されている。
これら以外には,西谷正浩『日本中世の所有構造』(塙書房,2006)のうち「第2編 在地社会の所有構造をめぐる研究」を読み,さらに,海老沢衷「中世に置ける荘園景観と名体制」,水野章二「中世村落と領域構成」,安田次郎「百姓名と土地所有」,久留島典子「東寺領山城国久世庄の名主職について」(以上すべて木村茂光・井原今朝男編『展望日本歴史8 荘園公領制』東京堂出版に所収),長谷川裕子『中近世移行期における村の生存と土豪』(校倉書房,2009)のうち「中世・近世土地所有史の現在」と「村・土豪・地域権力研究の軌跡」を読みました。あるところで,中世の荘園制のもとでは荘園領主だけが土地所有権を持っている,と書かれた文章を目にしたため,そりゃないでしょう!?,と思いつつ,百姓レベルの土地所有のあり様を確認するために読み散らした,というわけです。なお,名主と作人についての高校教科書での説明は,これらの論文に示された研究状況とは隔たったところにある,と言えます。どのように対処すべきか,悩ましいところです。問題は「用語」ですね。
ところで,いまは小川原宏幸『伊藤博文の韓国併合構想と朝鮮社会 −王権論の相克』(岩波書店,2010),長谷川裕子『中近世移行期における村の生存と土豪』(校倉書房,2009)に同時に手をつけてしまっている,という非常にまずい状況です(苦笑)。原稿の執筆を考えると,読み進める余裕がなかなかなさそうです。
なお,冬期・教育研究セミナーについてです。次回も2講座を担当するよう要請をうけ,中世文化史,中世荘園史(昨年夏期と同じ)の2本をやることにしました。
更新情報 [東大/文学部・教養学部の教員一覧]を更新。古代の有富純也氏,近世の牧原成征氏を追記しました。
先日(8/21)のお茶の水での教育研究セミナーの際,ある高校教員の方から牧原氏が東大(文)の専任となっているとの話をうかがい,東大のサイトをチェックしたら,なんと古代史も専任が追加されていることを知ったので,有富・牧原両氏を教員一覧に追加しました。これで,東大(文)は古代3,中世1,近世2,近代2という構成になりました。中世は教養に桜井氏がいるとはいえ,ややバランスの欠いた構成ですね。
大学入試センターのサイトに今年度の「試験問題評価委員会報告書」が掲載されました。
更新情報 [リンク集]に新規リンクを追加。駿台生物科・大森先生のサイトです。
更新情報 [リンク集]に新規リンクを追加。本人からはまだ URL を聞いていないけれども,まぁいいでしょ(笑)。
「日誌」をしばらく書いていませんでした。Twitter が楽なもので,読み終えた書籍の感想はそちらへは書いていたんですけどね(苦笑)。 というわけで,この間,読み終えた書籍をとりあえず列挙しておきます。
秋山哲雄『都市鎌倉の中世史』(吉川弘文館)。一般の御家人は,鎌倉,京都,所領のどこに在住するのか,一族内で分業しあっている,との指摘は,高校日本史レベルでも強調したいところですね。そして,邸宅の所在や寺院の由来を確定する作業が面白かった。秋山氏には,次は「得宗専制」政治あたりを軸にした一般書を書いていただきたいものです。
細川重男『鎌倉幕府の滅亡』(吉川弘文館)。末期鎌倉幕府における地方分権と中央集権の相克,それと北条一門など特権的支配層との関連など,非常に面白かった。確かに室町幕府とのつながりが見えてくる。
大津透『天皇の歴史01 神話から歴史へ』(講談社),佐々木恵介『天皇の歴史03 天皇と摂政・関白』(講談社)は,それぞれ摘み読み(苦笑)。
佐々木『天皇と摂政・関白』では,平城から文徳にかけての贈太政大臣と,文徳が外伯父藤原良房を太政大臣に任じたことをつながりのなかで把握していた点が,興味深かった。
藤井譲治『天皇の歴史05 天皇と天下人』(講談社)。印象的だったのが,①豊臣政権期の末,公家関白・大臣がいなくなり,武家関白・大臣の体制になったこと。藤井氏は「秀吉が意図して作り出したのかは,いま明らかにしえない」と書いているが。②信長と秀吉の天皇に対する距離の取り方の違い。③壬辰戦争(藤井氏はこの表記を使っていないが)をめぐる豊臣秀吉の構想。まず,明軍と日本軍のあいだで50日間の休戦協定が結ばれた少し後に,秀吉が「唐入り」を放棄した点。文脈からすると,後陽成天皇から北京行幸をやんわり断られたことと関係がありそうだが..
次に,1596年に明使節を引見した際,秀吉が明からの冊封文と明皇帝から送られた常服等を受け取った点。秀吉が日本国王への冊封に激怒し,朝鮮への再出兵に踏み切ったというのは,近年の研究で否定されているとのこと。秀吉は明からの冊封自体をともかく受け入れたものの,王子を伴わなかった朝鮮使節に矛先を向け,朝鮮の「礼」なきことを責めたという。朝鮮への再出兵の動機は明示されていないが,文脈からすると,朝鮮の服属を実現するため?
読み終えて気になったのは,家康は外交交渉をめぐっては朝廷・天皇との関係をどのように扱っていた,あるいは考えていたのだろうか?ということ。壬辰戦争に関連した秀吉と朝廷・天皇との交渉が描かれていたのに対し,家康期は外交に関する記述がないので,気になった。続いて,ちょっとした不満があったのが,公家のなかに信長や秀吉,家康ら天下人に追従する人々がいたと思うのですが,そうした公家たちの動向がほとんど描かれていなかったことです。天皇を主人公に描いているのだから,仕方ないのでしょうが。
歴史的な順序が逆になりますが,1565年,正親町天皇が女房奉書をもってキリシタン追放が命じていた,との冒頭の指摘はびっくりしました。
下坂守『京を支配する山法師たち 中世延暦寺の富と力』(吉川弘文館)。中世の延暦寺について書かれた概説書はないのか,と思っていたところに,今月刊行され,ばっちり概説していただき,嬉しいばかりです。特に一番知りたかった義満期から義持没の直後までの動向が分かってよかった。
橋本雄『中華幻想』(勉誠出版)。著者本人によれば,半ば一般向け・半ば研究者向けに書いた論文集だけあって読みやすい。
「中華幻想」とは,室町・戦国期日本の国際意識を名づけたもので,「中華にあこがれ,「中華なるもの」を自在に思い描き,それとのギャップにもだえ苦しむ,という一種の≪妄想癖≫」であり,「ちょっといじらしくも複雑な,「帝国意識」の亜種」だという。
興味深い指摘①明からの冊封を受ける儀礼について,義満が明側の儀式規定を逸脱し,はるかに尊大な態度で臨んでいたことを指摘している。そもそも建文帝への国書自体,「上表」という書式を守っておらず,冷静に建文帝の足下をみていた,とも指摘している。②明からの冊封使が僧侶によって構成されていた点について,日本など使節を受けいれる側が,明の設定する外交儀礼を遵守しない場合でも明の体面を崩さないための工夫だったのではないか,との仮説を示している。③対明断交をおこなった義持期に,理想型の中国がクローズアップされたことに関連して,義持が自身の将軍就任とともに始まった応永年号を生涯変えようとしなかった点に,明の一世一元制にも擬せられる時間支配観念をみている。④室町殿が,天皇とは異なる文脈において「皇帝イメージ」をつくろうとしていたことを指摘し,<徽宗皇帝イメージ>をその中心にすえている。室町殿がもつ外交権は朝廷から奪ったものではない,という議論と同じ発想。⑤義満時代の遣明船をすべて「幕府船」と考える通説には,史料的根拠がどこにも存在しない,と言い切っている。なお,遣明船団に幕府船以外のものが参加する仕組みが分かりやすく論じられている。⑥室町幕府は現実の国際関係と<仮想の国際関係>とのギャップに苦しんでいたが,15世紀半ば以降,明使・朝鮮使節の来日が途絶えると,その悩みが消え,そのまま<仮想の対外観>が日本国内で増幅され,豊臣政権による壬辰戦争へつながっていく,と指摘。
『歴史評論』731号(2011.3)所収の渡辺尚志「近世村落史研究の課題を考える」,小酒井大悟「中近世移行期の村をどうとらえるか」,野尻泰弘「近世地域史研究の潮流」,『歴史評論』734号(2011.6)所収の長谷川裕子「太閤検地・兵農分離と中近世移行期研究」,『日本史研究』585号(2011.5)所収の渡辺尚志「中世・近世移行期村落史研究の到達点と課題」。
これらの研究史整理を読んで思ったのだが,高校教科書に出てくる<小農自立→惣村の形成>という枠組は注意が必要なようだ。室町・戦国時代の村は地侍(土豪)を軸とし,村に属することで小農の自立が進んだとしても,小農の経営が安定したかどうかは別問題;飢饉や戦乱のなかで経営を破綻させ,流浪する小農は少なくない;言い換えると,村の成員を固定的なものとみなしてはいけない,と考えておくのがよさそうだ。
あとは,『歴史評論』735号(2011.7)の特集「通史を読み直す−歴史学の「間口」と「奥行き」2」,『日本史研究』585号(2011.5)所収の跡部信「豊臣政権の対外構想と秩序観」などを読了。
黒川みどり『近代部落史』(平凡社新書,2011)を読了。明治以降における被差別部落をめぐる歴史を俯瞰するのに最適の概説書だと思います。
更新情報 [参考書・問題集の紹介]を更新。
吉川真司『天皇の歴史02 聖武天皇と仏都平城京』(講談社,2011),末木文美士ら編『新アジア仏教史11日本1 日本仏教の礎』(佼成出版社,2010)を読了。後者には,吉田一彦「仏教伝来と流通」(もっと「流通」の面を詳しく論じてほしかったなぁ),曽根正人「奈良仏教の展開」,大久保良峻「最澄・空海の改革」(教義に関わる議論にはついていけなかった),上島享「仏教の日本化」(大著『日本中世社会の形成と王権』の内容を仏教史に即してまとめなおしたもの),門屋温「神仏習合の形成」,三橋正「院政期仏教の展開」,勝浦令子「女性と仏教」,が収められている。
昨日書いた日誌は日付を間違えていた(苦笑)ので,修正しました。
今は原稿に追われてほとんど本が読めていませんが,この間,河上麻由子「遣隋使と仏教」(『日本歴史』717号,2008.2),広瀬憲雄「『東天皇』外交文書と書状」(『日本歴史』724号,2008.9),同「倭国・日本史と東部ユーラシア −6〜13世紀における政治的連関再考」(『歴史学研究』872号,2010.10)を読みました。
1つ目の河上論文は,遣隋使が仏教用語を多用していることに注目し,当時の東アジア世界での外交における仏教の役割を論じたもの,2つ目の論文は,608年の遣隋使派遣に際して倭から隋へ送られた国書についての分析です。東大で2009年に遣隋使・遣唐使の役割・意義について出題があって以降,遣隋使とその際に送られた国書については非常に気になっていて,その関係で読んだものです。このあたりの議論を読んでいていつも思うのですが,『隋書』に記載されている607年の国書と,『日本書紀』に記載されている608年の国書とを同一のものと考える,という議論はあり得ないのでしょうかね。『日本書紀』だと608年に留学生・留学僧を送っているのに,『隋書』では607年に送っているように読めるので,いつも疑問に思っているのです。『日本書紀』をきちんと読んでいないものの戯れ言でしかありませんが(笑)。
なお,推古朝あたりの情報については,石井公成氏のブログ「聖徳太子研究の最前線」が非常に有益です。
更新情報 [一橋大日本史]のうち,日本史教員一覧に中北浩爾氏を追記。中北氏は,『一九五五年体制の成立』や『日本労働政治の国際関係史1945‐1964―社会民主主義という選択肢』などの著作があるので,これで今年度以降も戦後からの出題がみっちり期待できそうです。なお,[一橋大日本史]の今年度の問題について,一部表記を修正した(カッコ付き数字と丸数字を修正)。
更新情報 [一橋大日本史]のうち,日本史教員一覧に水林彪氏を追記。
更新情報 [筑波大日本史]に今年度の問題と解答例を登録しました。
遅くなりましたが,本年度の京大・阪大・東大・一橋大の日本史の問題についてコメントしておきます(って,そろそろ合格発表だな)。
まず京大。
問題形式も難易度も例年通りですが,今年は,大問1(史料問題)が史料文の内容読解とは無関係な設問が多く,大問4(論述問題)が用語とその説明を適宜配置すれば済んでしまいかねない問題となっており,その意味では,必ずしも受験生の歴史的な思考力を試すものとなっていない。もちろん今に始まったことではないのですが(苦笑),もう少し何とかならないものかと,いつも思います。
大問1(史料問題)のB(南北朝期の守護)の空所補充についてです。
「あるいは勲功の賞に募り,あるいは譜第の職と称して,寺社本所領を押妨し,所々の[ ウ ]職を管領し,軍士に預け置き,家人に充て行う」
この空欄ウ(地頭)は,史料を見たことがないと正解できないでしょう。設問では「荘園・公領の管理者の名称」というヒントしかなく,もうひと工夫ほしかったところです。
大問4(論述問題)は,(1)が平安時代における浄土教の発展・広まり,(2)が江戸初期に幕府が出した諸法度,というテーマでした。(1)は,平安中期と平安後期とに時期を区分しながら,それぞれの違いを意識した(違いを「まとめ」と「具体例」で以て示せばよい)構成としたい。(2)は,大名,朝廷(天皇・公家),寺院(仏教勢力)の3つに分け,法度の具体的な名称とそれぞれの内容を説明すればよい。ともに,京大らしい問題といえば,そうなんですが,教員側からすると,なんだか消化不良ですね(笑)。
なお,大問1のC(大日本婦人会定款),大問2の現代文化,大問3のB(近世の製鉄・鍛冶技術)がやや難しかったですね。
次に阪大。
解答用紙が今年から横書きになった(マス目がないのは例年通り)。これが最も画期的な出来事でしたね(笑)。
内容ですが,(1)7世紀中葉から9世紀初めまでの古代国家の蝦夷政策,(2)戦国大名の,家臣団の編成・統制策と土地に関わる政策,(3)享保改革期から田沼政権期にかけての幕府の収入増加策,(4)二・二六事件からアジア太平洋戦争開戦にいたる時期の日独関係,となっています。
(1)は,駿台(関西)の年明け授業(論述演習)で全く同じ問題を扱いましたので,それを受講した人にとっては難しくなかったでしょうし,問題文に「蝦夷(中略)を服従させ,支配地を拡大していった」と書かれているので,それに即して,時期ごとに支配地が拡大していく様子を説明できれば大丈夫です。問題は,時期の間違いですね。
(2)は,政策を羅列してしまってお終い,となりそうな問題です。うまくまとめたいところですが,まずは,寄親・寄子制,喧嘩両成敗,指出検地と貫高制あたりを,きちんと内容とともに説明できたかどうかが勝負ですね。
(3)は,収入増加策が問われている点に注意することが必要です。享保改革や田沼政治のなかで行われた経済政策をとにかく列挙しよう,と考えていては,設問の要求からズレてしまいます。享保改革,田沼政治それぞれの諸政策をどのように「まとめ」るか,これがポイントです。
(4)は,難しい。まぁ,日独防共協定と日独伊三国同盟は思い浮かぶだろうが,それらを「ドイツとの結びつきを深め戦争への道を進んでいくことになる」との問題文の設定を踏まえながら(あるいは・設定に即して)説明できるかが問題です。日独防共協定がソ連(コミンテルン)に対抗するために結ばれたものであることはよいと思うのですが,日独伊三国同盟はどうか?仮想敵国がアメリカであることは知っていると思うものの,必ずしもアメリカと戦争することを想定して結ばれたわけではない(逆にアメリカの参戦を抑制することが意図されていた)ことや,ヨーロッパやアジアでの新秩序建設とそこでの指導的地位が相互に承認されている点を見逃している人が多いのではないだろうか。あと心配なのは,第二次世界大戦(欧州戦争)の勃発との前後関係を正確に把握しているかどうか。案外,混乱している受験生が多いのではないかと思う。
そして東大。
大問1は,白村江の戦いとその影響で,例年通り,資料文を素材に考えていくタイプの出題になっている。Aの白村江の戦いに倭から派遣された軍勢の構成については,指揮官の人名など求められていないので書く必要がないのは当然のこととして,地方豪族と「兵士」を指摘できればよいのだが,問題は「兵士」です。まず,資料文(4)に「筑紫国の兵士」とあるからと言って「防人」などと勘違いしないこと,そして,「兵士」と地方豪族との関係をなんらかの形で表現しておく必要があること。この2点に注意が必要です。特に後者は資料文(4)の読み取りですね。Bの白村江での敗戦が律令国家の形成にもたらした影響については,資料文(5)の扱いが一番,難しい。地方豪族が寺院に代表される先進文物を独自に受容している動きだと判断できたとしても,それと「律令国家の形成」がどのように関連するのかを判断するのは難しかったと思う。ただ,地方豪族が先進文物を受容しているからこそ律令国家のもとで文書行政が機能する,という点を意識すれば,実は,それほど難しくはないんですが(気づかないだけかも)。
大問2は,室町幕府と守護についての出題で,昨年と同じく,表の読み取りが求められています。とともに,地図がどこまで頭に入っているのかが試された問題です。表にあがっている国名を見て共通点を探そうとすれば,地図が頭に入っていないとどうしようもない。日本史を勉強するうえで地理的な観点も不可欠であることを再確認させる,良い出題だと思います。Aは数量と地域の偏りに気づけばよく,Bは「鎌倉府の管轄および九州をのぞいた諸国」の守護一覧表が提示されている点を意識すればよい。なお,Bは領国が「京から遠い」という表現では不正確です。関東・東北や九州の守護が表から除外されていることを意識すれば,了解できるでしょう。
大問3は,江戸前期における城普請役の意義。Aの将軍・大名,大名・家臣の関係に与えた影響は,オーソドックスなテーマと気づけば難しくない。Bの全国的な経済発展にもたらした効果については,物流と新田開発の二面に気づいたかどうか。表面的にみれば,資料文には必ずしも書かれていないことがらなので,その点でやや難しかったかもしれない。
大問4は,近代における男女別労働者数の推移を工業のあり方と関連づけて考えさせる問題で,2009年(昭和初期の農業恐慌),2006年(明治・大正期の鉄道の発達),2001年(銅の生産と日本資本主義)と同じタイプの出題です。テーマとしてはオーソドックスですが,A(1920年代までの女性労働者が男性を上回っている事情)の指定字数が3行もあり,これが難しかったと思う。山田盛太郎にならって<インド以下賃金>に注目するのがいいのかな(受験生には無理だろうけど)。
最後に一橋大。
大問1は古代から現代までの法制史。2008年に古代から近世までの法制史が出題されているので,その意味では過去問の類題なんですが,近世がすっぽり抜けていること(空所補充1つのみ),近現代が含まれていることには驚いた。大問2は井上馨の条約改正をめぐる動きとその影響に関する問題で,まるで昨年の東大の大問4に着想をえたかのような出題です。東大・一橋間では,こういうパターンがそれなりにあり,別に珍しくないわけで,来年度の受験生は少し注意しておきたい(もっとも井上外交は1991年に既出ですが)。大問3は第1次世界大戦後の国際政治に関する出題で,国際協調体制とそれへの日本政府の対応については2000年に既出です。こうみると,一橋らしい出題でしたね。
ところで,駿台(関西)では今年から「高3スーパー日本史(論述対応)」という講座が新設されます。国公立2次で論述問題が出題される東大・京大・阪大(文)・一橋大などを対象とした講座です。是非受講してください>新高3生のみなさん。
更新情報 [京大日本史][一橋大日本史][阪大日本史]に今年度のデータを追加登録。
更新情報 [東大日本史]に今年度の解法のヒントを登録。
更新情報 [東大日本史]に今年度の解答例を登録。
今日,名前もメールアドレスも記載のない人から,次のような質問が来ました。
花畠教場は辞書やネットで調べると「藩校」となっているのに、教科書や用語集では「私塾」となっているのはなぜでしょうか?古い辞書では「藩校」とする記述もあるでしょうが,岩波『日本史辞典』(1999)には(ですら?)「藩校」とは説明されていません。花畠教場は,熊沢蕃山ものとにあつまった私塾的なサークルで,『歴史と地理 日本史の研究226』(山川,2009)の倉地克直「賢問愚問 解説コーナー 花畠教場」によれば,花畠のグループは蕃山の致仕などによって解散し,それとは別に,池田光政によって藩校設立が企画されたとされ,両者のあいだの継続性は,現在,否定されています。
21日夜に質問をくれた,埼玉の公立高校に通う高2生の「さとし」さんへ。返信したのですが,「メール送信エラー通知」が届いています。書いてくれたメールアドレスに誤りがあったのだと思いますので,もう一度,改めて質問コーナー経由でメールを下さい。
「日誌」のなかに,駿台文庫ほかに迷惑をかける記述がありましたので,その部分を削除しました。
この間,衣川仁『僧兵=祈りと暴力の力』(講談社選書メチエ,2010),前田勉『兵学と朱子学・蘭学・国学』(平凡社選書,2006)を読了。
衣川著は(すでに Twitter にツィートしたが),平安中期に僧侶が増加して門流が拡大・発展していくところを出発点として,寺院(延暦寺)による武力の保持・行使が段階を追って説明されていて,分かりやすい。とはいえ,その一方で,なぜ10世紀に「僧侶が増加」したのか?その点が疑問として残り,他方で,この著書の続き(少なくとも永享の山門争乱にまで至る議論)を読みたい,という思いを強くした。
前田著は,12月に見に行った,歴史民俗博物館の特別展示展「武士とはなにか」で,江戸前期において軍学(兵学)が武士イメージを形作ったという点が強調されていて(江戸将軍家が甲州流(の流れをくむ)軍学をとったのに対し,紀伊の徳川頼宣が越後流を採用して対抗したなどの指摘は,特に興味深かった),そこに触発されて読んでみた。
昨年下半期に出版された論述問題集,重野陽一郎『日本史論述問題が面白いほど解ける本』(中経),菅野祐孝『日本史論述演習141』(代ゼミ)について寸評を加えておきます。
まず,重野著です。これは,歴史用語を60〜80字程度で説明させられる,私大タイプの論述問題への対策として使えます。特に,私大の記述対策の延長線上で論述対策を立てたいと目論んでいる受験生にはよい。ただし,用語説明(つまりこの問題集のスタイル)の延長で一般の論述対策ができるわけではないことは肝に銘じておく必要があります。「論述対策“はじめの一歩”はこの本から!」とあるけれども,(編集者には)申し訳ありませんが,これはないですね。この問題集の延長線上では,資料文の分析が求められる東大,200字(程度)での論述が課される京大・阪大,400字と長い字数が課される筑波大などには対応できないと思います。
次に菅野著。東大・一橋だけに限定せず,京大や阪大,筑波大,さらに新潟大や首都大学東京,名古屋大など,多彩な大学から問題が取られている点が特徴です。論述問題集の定番『考える日本史論述』(河合出版)には自分の志望する大学の問題があまり取られていないから,ちょっと手が出せなかった,という受験生にはよい(これでZ会『日本史論述のトレーニング』は要らなくなるでしょう)。ただ,内容的に言えば,『考える日本史論述』のほうがよいと思いますけど。
ところで,これらに共通して言えるのは,何をどのように書くのかを判断する道筋が明示されていない,という点です。問題を分析・批評するという意識が薄い,いいかえれば,知識(知識に対する理解も含めて)が整えば論述問題に対応できる,という立場から作られているのではないか。しかし,受験勉強が「ゼロ年次教育プログラム」(ⓒ木許くん)であるとすれば,知識(とその理解)もさることながら,問題文(や資料文)を分析するトレーニングが大切だと思うんですがね。
「日本的経営」について質問をくれた lionelさん。返信したメールが,「送信先のメールアドレスが、現在利用できない状態になっています」との理由から送れていないようです。質問を送ってくれるときに,メールアドレスを誤って記入されたのかもしれません。再度,アドレスを書き送ってください。
センター試験となると雪が降る。不思議なものですね。
それはともかく,今年の日本史Bについて寸評しておきます。
大問のテーマ設定から。まず,第1問のテーマ史が再び「歴史の追究」に即したテーマに戻りました。昨年は武士をテーマに扱い,「歴史の追究」関連のネタ切れなのかと思わせましたが,昨年だけの気の迷いだったようです。次に,近代(近現代)の人物を扱った大問が第6問(配点23点)でなく第5問(配点12点)に変わった。なかなか一人の人物を素材として近現代を俯瞰するのは難しいですから,配点の少ないほうに回ったのでしょう。
次に,設問形式について。まず,年代順配列問題が減ったことが一つの特徴です。そして,2文正誤問題(2つの文章それぞれの正誤を判定させる問題)が増える一方で,正しい選択肢を2つ選択させるタイプの正誤問題も増えています。こうした形式面からのみ判断すれば,昨年よりは取り組みやすかったのではないかと思います。
そして,設問内容について。社会経済史と文化史からの出題が多く,外交史は昨年と同様,出題が少なかった。なかでも社会経済史の出題が増えたことが特徴的で,それにともなって政治史の比重が減ったことは,やや難化という印象をもちます。ただし,文化史については標準的な事項がほとんどで,さほど難しくはなかった(冬期講習「センター日本史・文化史をきわめる」で扱ったことがらばかりだった)。
時代でいうと,原始は今年も古墳文化からの出題に留まりましたが,現代史(第二次世界大戦後)からの出題が4問弱とやや増加した。現代史が増えたのは,昨年の近現代の出題について「明治時代に集中している」とバランスの悪さを指摘されたことへの対応でしょう。なお,1970年代以降の事項が,ドル危機,第一次石油危機,第二次石油危機,プラザ合意,イラクのクウェート侵攻,と出題されたものの,ドル危機は固定相場制から変動相場制への流れがわかっていれば問題なく,第二次石油危機とイランのクウェート侵攻は他の選択肢がわかれば気にする必要はなく,プラザ合意は高度経済成長期でないことを知っていれば大丈夫だった。唯一,第一次石油危機に際して「トイレットペーパーの買いだめ」が生じたことの正誤を判断できたかどうかがやや難しかったのではないか,と危惧している。
このように見てくると,平均点は昨年をやや下回る程度,と予想されます。
更新情報 [日本史論述のトピック]のうち,「26 江戸時代の貨幣制度」から「53 近現代の教育」まで全てを登録しました。
この間,早島大祐『室町幕府論』(講談社選書メチエ,2010),斎藤光政『偽書「東日流外三郡誌」事件』(新人物文庫,2009),和田竜『のぼうの城』(小学館文庫,2010)を読了。
「日本史論述のトピック」のなかで表示されないものがある,との問い合わせが,何件か届いています。原因がよくわかっていないので,まだ有効な対処ができていませんが,表示されないページがある場合は,下記のような措置で対応してください。
表示されないページを開いた状態で,表示の「テキストエンコーディング」を「Unicode(UTF-8)」に変更する。 これで,正常に表示されるようになるはずです。
2008年に絶版になった『本番で勝つ!日本近現代史』(1999年刊)の自炊版(誤植訂正済み)を登録しました。興味のある方はどうぞ。
小さめのデータ(約37MB)がこちら。めっちゃ大きいデータ(約140MB:自炊の原本)で良ければ,こちら。 ただし,ダウンロードにすごく時間がかかりますからご注意を。
更新情報 [日本史論述のトピック]のうち,「23 江戸時代の経済と大坂」「24 江戸時代の地域経済の発達」「25 江戸時代の経済と株仲間」を登録しました。
更新情報 [日本史論述のトピック]のうち,「20 太閤検地」「21 江戸時代の村」「22 江戸時代の町」を登録しました。
この間,古田亮『俵屋宗達 −琳派の祖の真実』(平凡社新書,2010),深谷克己『日本史リブレット人52 田沼意次』(山川出版社,2010),外村大「植民地に生きた朝鮮人にとっての日本 −民族指導者尹致昊の日記から見えてくるもの」(『日本の科学者』2010.12)を読了。
古田亮『俵屋宗達』は,いろいろと面白い指摘があったのですが,これを読んで装飾画というものの規定が明確になりました。もともと尾形光琳については,要するにデザインでしょという意識はあったのですが,宗達については「風神雷神図屏風」を見てもいまいちピンときませんでした。ところが,この本で了解できました。そのなかでも,「風神雷神図屏風」の構図が扇面を意識したものだとの指摘は面白かった(さっそく一昨日までのお茶の水での冬期講習「日本文化史(近世・近現代)」では使わせてもらった)。深谷克己『田沼意次』は,田沼の人柄が知れたのが収穫です。外村大「植民地に生きた朝鮮人にとっての日本」は,主題とはあまり関係ないのかもしれないが,最後に紹介されている日本人女性の挿話が印象深かった。
この一週間は,18日(土)にお茶の水で教育研究セミナー「荘園の形成をどう教えるか」,19日(日)の午前中に佐倉の歴史民俗博物館へ特別展示展「武士とはなにか」を見て,その午後から22日までお茶の水で講習2つ,23日(木)は大阪校で京阪神大入試研究会,と忙しくしていました。そして,今日から31日まで休みなしで講習(神戸ほか)。ぼちぼちやらんと,もたんね(苦笑)。
なお,教育研究セミナー「荘園の形成をどう教えるか」ですが,関西会場では次の3月にやります。
この間,塚田孝『近世身分社会の捉え方 −山川出版社高校日本史教科書を通して−』(部落問題研究所,2010),「g2」vol.6(森功「同和と橋下徹」,安田浩一「在特会の正体」,渡瀬夏彦「我喜屋優 野球バカをつくらない始動哲学」,古市憲寿「ポスト1991 27歳天才企業家の物語」,久坂部羊「世界一おもしろい医学概論」などを所収),大門正克「高度成長の時代」(『高度成長の時代1 復興と離陸』大月書店,2010)を読了。