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神奈川県川崎市多摩区サービス内容
川崎市多摩区内の粗大ごみ回収、廃品回収はお任せください。テレビ、冷蔵庫、エアコン、洗濯機、パソコン、などの区では回収できない家電リサイクル法、PCリサイクル法対象品の回収処分、車やバイクなどの大きなもの、ゴミでいっぱいになってしまったお部屋のお片づけなど、なんでもご相談してください。
安心、安全、低料金なので他社様のお見積もりと比べてみてください。1円でも高ければお申し付けください。
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不用品回収
多摩区のテレビ、冷蔵庫冷凍庫、洗濯機、洗濯乾燥機、エアコン、パソコン、モニターなど区市町村では直接回収しない家電リサイクル法、PCリサイクル法対象品、消火器、タイヤ、バッテリー、金庫、バイク、車などのやはり自治体では回収しない特殊な不用品などあらゆるものを回収し、適正処分いたします。
回収地域
生田 いくた、 和泉 いずみ、 栗谷 くりや、 宿河原 しゅくがわら、 菅 すげ、 菅稲田堤 すげいなだづつみ、 菅北浦 すげきたうら、 菅城下 すげしろした、 菅仙谷 すげせんごく、 菅野戸呂 すげのとろ、 菅馬場 すげばんば、 堰 せき、 寺尾台 てらおだい、 長尾 ながお、 長沢 ながさわ、 中野島 なかのしま、 西生田 にしいくた、 登戸 のぼりと、 登戸新町 のぼりとしんまち、 東生田 ひがしいくた、 東三田 ひがしみた、 布田 ふだ、 枡形 ますがた、 三田 みた、 南生田 みなみいくた
川崎市多摩区とは
概容
細長い川崎市の北部に位置するため、川崎中心部との商業的なつながりは薄い。区の北は多摩川で東京都と境を接する。南には多摩丘陵が広がり、生田緑地は市民の憩いの場となっている。
歴史・沿革
古代
古墳時代 - 多摩川周辺に古墳が築造される。 飛鳥時代 - 律令制の下、武蔵国橘樹郡、多磨郡、都筑郡が設置される。
中世
平安時代末期 - 稲毛三郎重成が、枡形城に拠点を構え治める。この頃より江戸時代まで稲毛領と呼ばれる。 鎌倉時代初期 -
稲毛三郎重成の子、小沢小太郎重政が小沢城に拠点を構える。 室町時代 - 寺尾若狭守が寺尾城を築城。 1504年9月 -
立河原の戦い。伊勢盛時(北条早雲)が山内上杉氏を攻める為、枡形城に入る。 1530年6月 - 小沢原の戦い。小沢城が後北条氏の拠点として利用される。
近世
1590年 - 多摩川大洪水、流路が大きく北へ変わる。 1609年 - 小泉次太夫、六郷用水、稲毛・川崎二ヶ領用水上河原幹線を完成。
1629年 - 筧助兵衛、二ヶ領用水宿河原幹線を完成。 1690年 - 菅村が多摩郡より橘樹郡に編入。 1725年 - 稲毛領52ヶ村が御鷹場となる。
1782年 - 関東地方に大地震 1786年 - 多摩川洪水、猪方村堤(現:狛江市)の堤防決壊。 1787年 - 天明の大飢饉、登戸でも打ち壊しが起きる
1790年 - 多摩川洪水、矢ノ口(現・稲城市)・菅村境の堤防決壊、中野島村では人家が流失、登戸下流では床上4尺の浸水 1791年 -
多摩川流域で梨の栽培が始まる 1809年 - 多摩川出水、堤防120間余大破 1810年 -
宿河原村字船島の稲毛・川崎二ヶ領用塩樋床替、以前の場所より145丁上流になる。 1825年 - 猪方村堤(現:狛江市)8箇所切断、新堤築立 1831年 -
寺子屋が普及 1855年11月 - 安政の大地震 1859年 - 多摩川満水、周辺11ヶ村に被害 明治以前は武蔵国、橘樹郡であった。
近代
1868年 - 東京府、神奈川県が設置 1871年 - 廃藩置県、世田谷が東京府と神奈川県にわかれる。 1875年 -
中野島村が多摩郡より橘樹郡に編入。生田村が成立。 1878年 - 郡区町村編制法により行政区画としての橘樹郡が編成される。 1889年4月 -
町村制により橘樹郡に向丘村[2]、稲田村[3]が成立。橘樹郡生田村に高石村、金程村、細山村が編入[4] 1889年4月 - 都筑郡に柿生村・岡上村が成立。[5]
1893年9月 - 大師河原(現川崎市川崎区日の出町)で当麻辰次郎が他の梨とは違う品種を発見し「長十郎」と名付ける。 1894年 - 川崎街道が県道となる。
1898年9月 - 多摩川出水、宿河原取入口大破損 1910年 - 多摩川氾濫。稲田村など5ヶ村民が村区域変動で争う。宿河原の一部が切れて、狛江と地続きになる。
1912年4月 -
府県境界変更により多摩川を東京府と神奈川県の境とし、上布田の飛び地、下布田の飛び地、和泉の飛び地が稲田村に編入、宿河原の飛び地が狛江村に転出。 1912年 -
この頃より稲田村、生田村で梨・桃の栽培が盛んになる。 1920年 - 多摩川砂利鉄道が南武鉄道となる。 1923年9月 - 関東大震災 1924年7月 -
川崎市が成立。(現在の多摩区にあたる地区は橘樹郡のまま) 1926年 - 向ヶ丘遊園開園 1927年 - 小田急線、新宿-小田原間の運転開始、豆汽車開業
1927年 - 神奈川県が「二ヶ領用水改良事業」を計画 1928年 - 登戸郵便局で電話業始まる 1929年12月 - 南部鉄道(現:JR南武線)全通
1932年6月 - 稲田村が町制施行して稲田町となる。 1935年 -
多摩川原橋が開通により、「上布田の渡し」が廃止、「下菅の渡し」と「矢野口の渡し」が結合し「菅の渡し」となる。 1936年 -
「二ヶ領用水改良事業」に基づく用水路工事開始 1938年10月 - 橘樹郡の稲田町、向丘村、生田村が川崎市に編入される。 1939年4月 -
都筑郡柿生村、岡上村を川崎市へ編入。 1940年 - 「堰の渡し」廃止 1941年3月 - 二ヶ領上河原堰の改造工事に着手 1944年 -
南武鉄道が国鉄になる。 1945年6月 - 二ヶ領上河原堰完成
現代(多摩区発足以前)
1949年5月 -
二ヶ領宿河原堰完成(コンクリートの固定堰) 1950年3月 - 豆電車開業 1951年 - 川崎市稲田公民館(後の多摩区民館)完成 1952年5月 -
川崎市稲田公民館に図書室を開設。 1953年 - 「多摩水道橋」完成、「登戸の渡し」廃止 1959年3月 - 東京都水道局長沢浄水場通水 1960年 -
宿河原堤の桜植樹開始 1960年 - 多摩川梨もぎとり連合会発足 1961年 - 登戸電報電話局開設 1962年4月 - 神奈川県警稲田警察署開設。
1963年10月 - 稲田図書館開館 1964年 - 稲田保健所ができる。 1964年9月 - 読売ランド開園 1966年4月 -
小田急向ヶ丘遊園モノレール線開通 1966年 - 二ヶ領用水、矢上川、平瀬川などで水があふれ、または決壊、床上浸水の被害。 1966年 - 南武線複線化
1966年 - 多摩川、一級河川に 1967年 - 日本民家園開園 1969年 - 東名高速道路開通 1970年 - 多摩川サイクリングコース開設
1971年4月 - 京王相模原線、京王多摩川駅〜京王よみうりランド駅間(2.7km)開業
現代(多摩区発足後)
1972年4月 -
川崎市の政令指定都市移行に伴い、多摩区発足。政令都市化に伴い稲田公民館、稲田図書館、稲田保健所、稲田警察署がそれぞれ多摩区役所・多摩区民館、多摩図書館、多摩保健所、多摩警察署に名称変更。
1973年 - 菅の渡しが廃止 1975年 - 住居表示施行に伴い高津区より長尾が編入。 1975年9月 -
多摩川水害で狛江市側住宅流失。二ヶ領宿河原堰を爆破。 1977年11月 - 多摩図書館新築開館し, 対面朗読室を設置。 1978年 - 多摩自然遊歩道完成
1982年7月 - 麻生区を分区 1988年6月 - 川崎都市計画事業登戸土地区画整理事業施行条例施行 1989年2月 -
川崎都市計画事業登戸土地区画整理審議会会議要綱制定 1995年 - 多摩川梨もぎとり連合会解散 1997年 - 多摩区総合庁舎開庁 1999年3月 -
可動式のゲートを備えた二ヶ領宿河原堰完成 1999年 - 生田緑地内に川崎市岡本太郎美術館開館 2001年2月 - 小田急向ヶ丘遊園モノレール線廃止
2002年3月 - 向ヶ丘遊園閉園(ばら苑は市に移管され生田緑地の一部となる)
著名な出身者
織田裕二(歌手・俳優)
西田ひかる[6](歌手・俳優) 大平貴之(プラネタリウムクリエイター・メガスター製作者) 信平和也 -
元プロバスケットボール選手(bjリーグ・東京アパッチ所属) 平野恵一(プロ野球選手/オリックス・バファローズ→阪神タイガース所属)
松沢成文(神奈川県知事)杉野正(実業家、政治運動家) 矢島悠子(テレビ朝日所属のアナウンサー)