4



 街の中心に近づくと、さすがにダイも呑気に歩いてはいられなくなった。あちこちで銃声が聞こえ、身を屈めて逃げる人々の姿を見かけるようになった。
 大通りに出ると、若い男が道の真ん中で小銃を撃ちながら、なにかわけの分からないことを捲し立てていた。足下がおぼつかない。撃ち放つ銃弾も、どこかに狙い定めている様子はなく、適当に撃っているようだ。
(クスリか?)
 おそらくそうだろう。そうでなかったら、隠れるもののない道の真ん中で堂々と撃っているわけがない。
 銃声がビルの谷間に響き、男が胸から血を吹きだして倒れる。ダイはすかさず弾の飛来方向を探したが、銃声が建物に反響したせいで、的確には分からなかった。
 ダイは襟を立てて顔を隠し、身を屈めてその場を離れた。
 これがゲリラとの戦いなのだ。そのことを痛感する。軍事演習とは全然異なる。相手は素人、全然戦い方が分かっていない。
 訓練されたゲリラならばまた違うだろうが、あの男も少年たちも、最近集められた付け焼き刃の人員だ。統制の取れた軍なら、彼らの制圧は赤子の手を捻るより簡単だろう。
 そして残るのは、後味の悪さ。
 彼らはゲリラなのだろうか。それとも、洗脳された人質なのだろうか。
(ゲリラだ)
 理性がすぐさま決断を下す。入隊して以来、そう判断することを訓練させられてきた。迷ってはいけない。道徳を議論するのは兵士の役目ではない。
(カマラ人はどこにいるんだ)
 やはり都庁だろうか。最初の衝突で都庁はゲリラ側に占領されている。
 都庁前広場に入る道に、バリケードが築かれていた。何台もの車やトラックが道をブロックし、銃を構えた男たちが見張っている。その向こうに戦車の威容が見えた。
 そして、すぐ近くから、バボン! と戦車の発砲音が聞こえてくる。近くまで統一軍が来ているようだ。先に潜入した工作部隊はすでにこの付近にひそみ、時期を見計らっているはずだ。
 どうやって中に潜入したものか、ダイは路地に隠れて考えていたが、足音が聞こえたので振り返った。
 路地の向こうからワヒードがやってきた。少し足を引きずっている。彼が気がついたのを見て、苦笑いを浮かべた。
「どうした、その足は」
「なんでもねえよ。ちょっと疲れちまってさ」
 そう言ってワヒードは重そうな体を彼の隣に下ろした。その顔に疲労がはっきり見てとれる。
「やっぱり歪みがきついか?」
「よくないねえ。空気の薄い山頂にいるみたいだ。目の奥が痛えよ――ほかの奴らは?」
「見てない。あのバリケードを越えるには、少し花火を上げないとダメだな」
「軍がやってくれないかね」
「そうだな……」
 ワヒードの口調はいつもと変わらないが、口を開くたびに大きく息を吐きだす。体に相当負担がかかっているようだ。
「ほかの奴らもおまえみたいにへばっているのか」
「こーゆーのは個人差があるからねえ……俺、意外と繊細みたいよ?」
 へへ、とワヒードは軽口を叩いて笑う。彼は自分の限界を知っている。それを超える無理はしないから大丈夫だろう。
 二人は並んで座った。ワヒードがタバコを吸い、大きくむせる。
 しばらく沈黙が続いたあと、ワヒードが、
「たいちょー。暇だねえ」
「うむ……」
「ちょっと暇潰しに聞いていいかなあ」
「なにを」
「隊長とジャネット、どうして別れたのさ」
 ダイはすぐには返答できなかった。だが、不思議と動揺はなかった。いつかは聞かれることだろう――そう考え続けてきたからか。
「……ジャネットからなにも聞いてないのか」
「隊長の歯ぎしりが許せなかったって言ってた」
 ワヒードが肩をすくめてみせる。ダイは苦笑した。彼女が言いそうなことだ。
 彼女が同僚たちに本当のことを話していないのは、意外ではなかった。もし彼らが離婚理由を知っていたら、ダイは今この場にいなかっただろう。
「おまえも怒るよ」
 ダイは笑って言い返した。ワヒードはタバコをふかし、目の前のビルの崩れた壁を見つめながら、
「俺はジャネットより短気じゃないぜ」
「それは結構なことだ」
「で、なに?」
 ワヒードはあくまで追及をやめる気はないらしい。ダイは頭を振った。そして、ふと、隠している自分が情けなくなってくる。
(こんなことだから、ジャネットに愛想を尽かされたんだっけな……)
「俺たちが射撃訓練所で出会ったことは知ってるか」
「ああ」
「ジャネットは射撃の落ちこぼれで、俺が撃ち方を教えて……それで、まあ、結婚したんだが……あの通り、ジャネットは気が強いし、俺はそう気がきく人間じゃないんで、喧嘩もしょっちゅうだったんだが……それでも、うまくはいってた。そう思っている。
 でも、それはやっぱり表面だけだったんだよな。彼女も、俺自身も気づかなかっただけで、俺たちは、すれ違っていた」
 ダイは空を仰いだ。ビルとビルの隙間に、うすら白んだ青空が見える。都市の外で見た空よりも色はくすんでいた。
「マーガレットが――俺たちの娘が生まれたときに、それがはっきり分かったんだ。いや、俺が悪いんだ。俺が、なにもかも悪い」
「なにかあったんかい?」
「生まれてすぐ、第三の力のレベルチェックをするだろう? 俺は知ってのとおり、まるっきりレベル0のノーマルで、ジャネットは非遺伝ヌニェスだ。だから、生まれる子供がどっちか分からなかったんだ。俺たちは、どちらが生まれてもいいように、準備をしていた」
「……」
「だけど、メグがノーマルだって分かったとき、俺は、よかった――そう言ってしまった」
「……」
「俺は言ってから、すぐに自分の失言に気づいたけど……もう遅かったんだ。ジャネットはなにも言わなかったけど、それ以来、俺たちの間はギクシャクして……それで、結局は離婚につながった。そういうことさ」
 ダイは自嘲し、うつむいた。
 なぜあんなことを言ってしまったのだろう。
(答えは分かっている。それが本心だったからだ)
 ヌニェス保護法によって差別は法的に完全撤廃されたのに、それでも自分たちにはない力を持つヌニェスを恐れ、蔑むノーマルは多い。特に保守的な田舎や、ヌニェスの少ない土地では、魔女呼ばわりされ、白い目で見られるのだ。それらは羨望や嫉妬の裏返しでもあるが、ヌニェスにはたまらないだろう。
 ダイにはヌニェスを差別する意識はない。彼の生まれ育った村にヌニェスは一人もいなかったことが、逆に先入観を持たせなかった。だから、未だ就職や結婚などで差別されるヌニェスがいると聞くと、義憤を感じたりしていた。
 だからこそ、ダイは「よかった」、そう思ってしまったのだ。自分の娘がそういった差別とは無縁になると安心してしまった。
 ジャネットはそのことはちゃんと分かっているだろう。ダイがなにに対して「よかった」と言ったか。だが、ヌニェスである彼女を前にして、言うべき言葉ではなかった。
 いや、彼女の前でなくても、頭の中で考えただけでも同じだろう。
 彼の呟きを聞いたときのジャネットの表情が忘れられない。強ばった顔で瞠目し、彼を愕然と見つめるきりだった。怒っているようにも、驚いているようにも見えた。あの気丈なジャネットが、あんな泣きそうな顔をするなんて――
 ワヒードはタバコをくわえたまま、じっと壁を見つめていたが、
「……隊長の気持ちは分かるさ」
「分かったらいけない」
 ダイはきっぱりと言い切った。ヌニェスであるワヒードは分かってはいけない。毅然とした態度でノーマルを――自分を糾弾し、啓蒙しなければならない。
 でなければ、いつまで経ってもヌニェスは差別され続けるのだ。
 ダイに即座に否定されたワヒードは、再び沈黙した。その表情はいつもと変わらず飄然として、彼が呆れているのか、怒っているのか、同情しているのか、まったく見てとることはできなかった。
 それから二人は言葉なく、その場に座りこんでいたが、
「隊長は、ルクセンの出身だったっけな」
 ぽつりとワヒードが呟く。ダイは彼を見た。
 ワヒードは彼を見て薄く笑うと、
「だから、食い違ったんだよ」
「……どういう意味だ?」
「ジャネットは柘音(チヲイン)の出身だろ。柘音ってのは、もともとキマ王朝の属国だった。キマってのは、あれだろ、瀬一族の国さ。分かるかい、彼女と隊長じゃあ、育った環境が違うのさ」
「そんなことは分かってる」
「ジャネットに、娘がノーマルだって知ってどう思ったか、聞いたかい?」
 ダイは言葉を失った。あれ以来、その話題に触れるのが怖くて、彼女の怒りに触れるのが怖くて、聞いていなかった。聞くことすら思いつかなかった。
 キマはヌニェスが治めた国。瀬一族はその王家の末裔だ。ヌニェスは平均百人に一人の割合で存在するが、東の大陸では人口の実に十パーセントはわずかなりにも第三の力を持っているという。
 そんな環境で育ったジャネットが、娘がノーマルだったと分かって、どう感じたという?
「ジャネットは――」
 無意識に呟いたダイの言葉を遮るように、爆発音が間近でした。地面が轟く。
 二人は飛び起き、身を緊張させた。
「動いたな」
「東だ」
 路地から広場を窺う。わあわあと大勢の声。悲鳴も聞こえる。
 発砲音が立て続けにした。小銃、小銃、機関銃――銃弾の音を確かめる。そして、地響きを伴う駆動音。装甲車か。
 バリケードを形成していた戦車が動きだす。
「ワヒードっ」
「ああ」
 二人は路地から飛びだした。

 広場では、逃げ惑う若者と銃器を持って突進する若者が、両極に分かれていくところだった。広場の中心が一気に空虚になっていく。喚声。怒声、悲鳴。そして、耳を突く銃声。機関銃の音。キャタピラの駆動音が入り交じる。
 そして、大盾を手に突進する兵士たち。装甲車の援護を受けながら、彼らはバリケードを突破し、若者たちを蹴散らし、奥へと走っていく。
 ダイとワヒードはその中を、なるべく目立たず、だが必要以上にコソコソして怪しまれぬよう、腰を屈めて銃弾を避けながら、広場へと入った。バリケードの車を銃弾除けにして、突入部隊を追って奥へ奥へと進む。
 周囲を見ると、逃げる若者たちに逆らって走るヌクラの巨体が見えた。背の高い若者よりもさらに頭一つ分高いヌクラは、ひどく目立つが、こちらにはいい目印になる。ヌクラとともにジャネットの姿もあり、ダイは安堵したと同時に、さっきのワヒードの言葉を思いだし、憂鬱な気分になった。
 だが、今は私事を考えている場合ではないと、意識を切り替える。この切り替えには慣れている。
「おい、そっちに行くな……!」
 誰かが叫んだが、当然無視する。
 広場の奥にあるのは、北セファーン自治区の都庁と区議会議事堂だ。さらに多くの車両バリケードが築かれ、部外者の侵入を拒んでいる。そして、待ちかまえるゲリラ――
 突入部隊とバリケードのゲリラたちの間で、すでに銃撃戦が行われていた。わずかの間にゲリラは倒され、突入部隊が都庁玄関に吸いこまれていく。そのあとをダイたちも追う。
「止まれ! 止まらんと撃つぞ!」
 声が聞こえると同時に、ダイは銃口を向けていた。植えこみの中から現れた男二人が、肩や腕を押さえて倒れる。その隙に、ダイたちは一気に都庁玄関に突入した。
 玄関に入ると同時に、柱の陰になっている受付の中に飛びこむ。ダイだけでなく、ワヒード、ジャネット、いつの間にかヘンリテまで飛びこんできた。壁際の死角にはヌクラと恵祐が飛びこむ。
「ヘンリテ、来たか」
「おうさ、もう大分待ってたんよ。隊長が突破口開いてくれて助かったわ」
 へらへら笑いながら答えるヘンリテの顔色も、あまりいいとは言えない。だが、隣で柱に寄りかかり、瞼をきつく閉じているジャネットよりは断然いいだろう。
 ジャネットは額に汗をにじませ、眉間に縦じわをくっきりと刻んでいた。呼吸は浅く荒く、自分で自分の腕を掴んで、なにかをこらえている。
「ジャネット、平気か」
「平気よ」
 予想外にしっかりした声で、即座に答えが来た。負けん気の強さはまだ健在らしい。ここまで来たら帰れとは言えない。あとはこちらがどう彼女をフォローするかだ。
 離れた二人を見ると、ゴーグルを掛けた恵祐がヌクラと自分を指し、手を振ってみせた。同じ転移能力者でも恵祐は元気なようだ。ワヒードの言ったとおり、歪みの影響は個人差が出る。
「トンミョンは?」
「俺は見てないよん」
「私も」
「あいつ、体動かすのは下手くそだよなあ」
 ワヒードが憮然と言う。だが、やはり玄関の外を気にしており、彼は彼なりに心配しているのだろう。
 玄関ホールには銃声が響きわたっていた。先に突入していった部隊は、すでに奥へと行ってしまい、ゲリラとおぼしき死体が三、四体倒れている。
 ダイは頭上の館内地図を仰いだ。
「ジャネット、どっちだ」
「……」
 ジャネットも彼の視線を追い、再度目を閉じる。その瞼が痙攣してぴくぴくと震えた。ヘンリテがなにか言いたげに口を開くが、それを手で制する。いちばん歪みの影響を受けているジャネットが、いちばんその中心を感じとることができるはずだ。
 苦しいまでの沈黙のあと、ジャネットが忘れていたように大きく息をついた。ダイを睨み、それからその恨めしげな視線のまま地図へと視線を移して、
「中央演算室よ」
「どこだ?」
「広域ホールの地下」
 ダイは素早く中央演算室を確認した。外来者用の地図にはそんな詳細な部分まで載っていないが、おおよその道順を決める。
「恵祐」
(はい)
 微弱だが恵祐の想念が伝わってくる。彼は手を挙げて、ダイの声を第三の力で捕捉できるとジェスチャーした。
「まだ力は使えるか」
(この距離のテレパスでしたら)
 恵祐が笑う気配がした。
「どうした?」
(いえ。ほかの三人にはテレパスが届いてないようなので。やはりレベル0の方は違うなあと思いました)
(褒めてるのか、それは)
 自分も想念のみに切り替え、ダイは憮然と反論した。歪みの影響を受けていないせいで、逆に彼だけが感応できるのだろう。
 さらに考えれば、ほかの者がそうした状態であるのに、テレパスを送ってこられる恵祐自身も相当なものである。恵祐は線の細い小柄な青年で、年齢よりもかなり若く見える。ともすれば子供にも見える彼が、ふてぶてしいワヒードや負けん気の強いジャネットよりもタフだとは、ダイには驚嘆すべき事実だった。
 第三の力の不思議は、その性質や強さが見かけの体力や精神の強さとはまったく関係ないところだ。持って生まれた形質、それがすべてである。
(歪みの中心は中央演算室だ。近くに敵はいるか)
(少し離れたところにいます。玄関がやられたことにはまだ気づいていません――いえ、動くつもりはないようです)
 ダイの頭の中に、都庁一階の地図と、敵の所在ポイントのデータが流れこんでくる。いつもなら対ヌニェス妨害シールドによって相手に察知されてしまうが、今はその心配もないのでどんどん第三の力を使う。
 ダイは愛銃の残弾数を数え直した。一人一発。替えのマガジンもある。なんとかなるだろう。
「俺が先に行く。ジャネット、走れるな?」
「バカにしないでよ」
 気丈にジャネットは言い、額を拭って立ち上がった。ダイはワヒードに頷きかけ、拳銃を手にして柱を飛びだした。ロビーを通り抜け、奥へ行く廊下に飛びだす。きらりと光るものが見えた。銃口!
 ダイはひしゃげたドアを蹴り、中に飛びこんだ。直後に銃声。ダイは発砲数を数え、応戦した。一発、二発。悲鳴が上がって銃声がやむ。
 部下たちに手で合図して、ダイは再度駆けだした。

 奥へ行けば行くほど、当然のことながらゲリラの数は増えていった。ダイは着実に、一人一発の原則を守って倒していった。
 突入部隊は上へと行ってしまったようだ。上の階にはゲリラの本部が設置されてある。彼らはそこを目指したのだろう。
 だが、ダイたちの目標は違う。地下だ。地下にあるという、歪みの中心。
 そこになにがある?
 ダイは自分に向けられる銃口を、一つ、また一つと倒しながら、考えた。
 おそらく氾科学研究所もこの機会に進入してくるだろう。すぐそばにもういるかもしれない。彼らがなにもかも片づけてしまわないうちに、到達しなければ。
(一体なにがある――なにがある!)
 立ちはだかるゲリラは階を下りるにつれ、着実に戦闘慣れした者になっていった。射撃の腕も確かになり、気を抜いたらこちらが一撃で倒されてしまう。
 後ろを振り返る。まだ全員ついてきている。だが、ワヒードとジャネットの動きが鈍い。
(まずいな)
 足並みが遅れるのは命取りだ。上に行った突入部隊が結果的に陽動となっているのが助かるが、背後から来られたらしんがりの二人が危ない。
(恵祐)
(はい)
(ヌクラの調子はどうだ)
(大丈夫です。第三の力を外界と遮断しています。それで歪みの影響をかなり防げます)
(そんなことができるのか?)
(ヌクラにしかできません。私たちの中では)
 ヘンリテの後ろにいる恵祐はきっぱり断言した。
(ヌクラに、ジャネットとワヒードの世話を任せる。恵祐、おまえも転移できるか?)
(五メートルジャンプがやっとですが)
(それでいい。三人の援護頼む)
(了解しました)
 テレパシーを切った恵祐が、ヌクラとともに後ろの二人と合流した。
 それに気づいたヘンリテが短く口笛を吹き、
「おやおや。俺たちが特攻隊ってわけですな、隊長」
「俺の受け持ったクラスじゃ、おまえがいちばん射撃はマシだった」
「あれ、第三の力でインチキしてたって気づかなかった?」
「なら、今度も第三の力でカバーしろ」
「えええー。落ちこぼれのちょっとした茶目っ気だったのにい」
 ヘンリテは口を尖らせて文句を垂れた。だが、ここに来るまでヘンリテの射撃に何度も助けられている。
 慎重に地下四階へと下り、廊下に出た途端、
「!」
 ダイは反射的に踊り場に飛び戻った。一瞬遅く、機関銃が廊下をうがつ。
 けたたましい音が鳴り響き、壁が破壊されていく。ダイは身を縮め、急いで階段を上った。
 廊下を塞ぐ机と椅子で築かれたバリケード。その隙間から機関銃の銃身を瞬間的に見分けられたのは、一流のスナイパーならではの僥倖だろう。わずかに逃げるのが遅れたら、彼の体は蜂の巣だらけになっていた。
 廊下と階段を分ける壁は、無惨にも無数の穴が空き、今にも崩れそうだった。敵は全弾撃ち尽くしたらしく、カラカラと空回りする音がやけに大きく響く。
 上の踊り場にいたヘンリテと合流する。彼も機関銃には度肝を抜かれたようで、目を円くして強ばった顔をしていた。ダイと目が合うと、引きつった笑みを見せて、
「へへ……敵さんも本気だねえ」
「当たり前だ。恵祐!」
 さらに上の踊り場にいた恵祐を呼ぶ。少年の顔をした部下は、ライフルを背負って下りてきた。
「隊長、拳銃が無理だからって、ライフルで戦う気なの?」
「ばか、恵祐、俺を連れて、機関銃の背後に回れるか」
「ええ――ちょっと距離がありますね」
 恵祐が眉宇をひそめる。
「無理か」
「いえ、やります」
 そう答えると、恵祐は白墨で床に陣形を描き始めた。難しい転移のときは、陣形を描いて力の流れを整えやすくする。
「隊長」
 恵祐の手を掴んで陣形の中に入る。フッと足場がなくなり、地面に引きずりこまれるような、下降エレベーターに乗ったような無重力感を覚えた。視界が波打ったかと思うと、一瞬後には彼らは踊り場から廊下に移っていた。
 すぐ目の前に機関銃の銃把を握る男と、それを支える二人の男の背中がある。弾帯はすでに新しいものにつけ替えられてある。
「? うわ……っ!」
 左にいた男がダイたちに気づいて驚愕したときには、ダイは左右の男を撃っていた。機関銃を構えていた男が、動転したのか銃身を反転させようとする。その額のど真ん中を撃ち抜き、男は声も上げず死んだ。
 恵祐を見ると、彼は転移したその場に両膝をつき、身を折ってうずくまっていた。
「恵祐?」
「……ちょっと、無理しました。少し、休みます」
 こんなときでも几帳面な口調は崩さず、恵祐はうずくまったまま答える。ダイは廊下から出てきたヘンリテたちを手招いた。
「恵祐が潰れた。ワヒード、一緒に残って後援が来るのを防いでおけ」
「へへっ……ていよくサボれるみたいだな……」
 ヌクラに支えられたワヒードは、歪んだ笑顔でそう言うと、機関銃の前に座りこんだ。未使用のメタルリンクを数え、手をひらひらと振る。
「いいさ、行ってこいよ。俺はもう、これ以上は無理だ」
「任せたぞ。恵祐」
「復活したら、追います」
 ダイは頷くと、残りの二人とともに前進した。
 それから彼らは、機関銃の待ち伏せに三回会い、相手が気づく前にライフルで射手を狙撃してから進むということを繰り返し、なんとか前進した。
 だが、四回目の待ち伏せを倒したとき、射手を倒して気が緩んだせいか、相当疲労がたまってきたせいか、ダイは横から飛びだしてきた銃口に気づくのが遅れた。
 即座に拳銃を向ける。引き金を引いて――手の感触を疑った。弾切れだ!
「隊長!」
 ヘンリテが血相を変えてダイを突き飛ばす。乾いた銃声がして、ヘンリテが腹部をくの字に折って吹き飛んだ。ダイは予備の拳銃を抜き、敵を撃った。
 ヘンリテに駆け寄る。彼のシャツの腹部に鮮やかな血が見る見るうちに広がった。
「ヘンリテ、しっかりしろ!」
 救急キットを取りだし、ヘンリテのシャツを脱がす。ヘンリテは脂汗を全身ににじませ、うわごとのように呻いた。
「あ……痛いなあ……これ……痛いぞ……なんだ、これ……ああ、もう……なんで、隊長なんか、かばっちまったんだろ……ああ……痛いなあ……」
「しっかりしろ。弾は貫通した」
 止血テープを貼り、痛み止めとショック緩和剤を強引に呑ませる。出血が激しく、目が虚ろだ。
「ヘンリテ!」
 ジャネットとヌクラがやってくる。ダイは一瞬で考えをまとめた。そして、二人に向かって、
「ヘンリテが撃たれた。二人で医療班に運んでくれ、急がないと危ない」
「あなたは?」
「俺は前進する。すぐに恵祐も来る。いいな」
 先に行こうとするダイの腕を、ジャネットが掴んだ。彼女は紙のように蒼白な顔を強ばらせて、
「ヌクラ一人で運んだ方が早いわ」
「……」
「私が行くと、足手まといになる。あなたが私を連れてくべきよ」
 ダイは逡巡した。だが、それは一瞬のことで、彼は大きく頷いた。
「分かった。ヌクラ、ヘンリテを任せたぞ。いいな」
「……」
 ヌクラは震えた体で頷くと、ヘンリテを抱え上げた。そして、来た道を急ぎ戻っていく。
 それを見送ってから、ダイはジャネットを一瞥した。ほかの者たちがいなくなったせいか、急に上司と部下という垣根がなくなってしまったようで、落ちつかなくなる。
 ワヒードのあの話が、また耳によみがえってくる。
(娘がノーマルだって知ったとき、ジャネットがどう思ったか)
「ジャネット、本当に大丈夫か」
「大丈夫よっ」
 彼女はダイを掴んでいた手を乱暴に解いた。だが、彼女も気まずさを隠しきれず、ひどくピリピリしているのが肌で感じる。
 聞けるはずがない。
「じゃあ……行くぞ」
 ダイは戸惑いをひとまず横に置き、進み始めた。ジャネットがふらつく体を壁で支えながらついてくる。歯を食いしばって懸命に歩いているのが分かるが、だからといって手を貸すわけにはいかない。彼は前方に集中しなければ、二人ともやられる。
 また一つ、機関銃の三人組を倒す。三人目が倒れるのを見た直後、背中に汗が一気に噴きだした。自分がかなり緊張しているのが分かる。
(まずいな)
 ダイは焦った。疲労がピークに達している。肉体よりも精神的な疲労。緊張は「このままではやられる」という不安の表れだ。
 慎重に角を曲がろうとしたダイの腕に、ジャネットがしがみついた。見ると、彼女は汗だくになりながら、視線を合わすこともできないまま頭を振り、
「だ、め……いる、わ」
 掠れた声を洩らす。ダイは目を細めた。角の向こうに敵がいるらしい。
「どのくらいだ?」
「たくさん……だめ……多すぎるわ……」
 悔しそうに、息を切らしてジャネットは答えた。
「もう、すぐそこ……カマラ人も、いる……でも、だめ……これ以上は……」
「多勢に無勢か」
 ダイは吐息をつくと、彼にすがりついているジャネットの背に手を回し、支えた。ここまで騙し騙し来たが、さすがにこれ以上は無理のようだ。
(しかたないな……ここまで来れた方が幸運だ)
 だが、大勢のゲリラが集まっているということは、この奥には確かになにかがあるのだ。ここまで来たというのに、それが分からないなんて。
(なにかある。絶対なにかがあるのに――一体なにがあるんだ!)
 その彼の思いに呼応するかのように。
「では、ここから先は我々にお任せください」
 第三者の声に、ダイはとっさに銃口を向けた。引き金を絞り終える前に、三メートルも離れていないところに佇むのが、一風変わった服に身を包んだ顔見知りの青年であることに気づく。
「晩大林……!」
 ダイは呻き、銃口を下げた。いつの間に近づいたのだろう。ジャネットは苦しそうな表情で大林を睨んでいるが、驚いた様子はない。彼より先に気づいていたようだ。
「転移してきたのか?」
「いいえ、あなたがたのあとをついてきたんです。我々もこの中では力を使うのが辛いんです」
 見ると大林の背後には、彼と似た服に身を包んだ男女がずらりと控えていた。皆リュシだ。ざっと数えただけでも二十人近くいる。
 大林はあくまで平然としているが、ほかの者たちの顔色は一様に悪かった。だが、統率の取れた態度を崩すことなく、強ばった表情のない顔で大林が話を終えるのを無言で待っている。
 大林は深々と頭を下げた。
「ここまでご苦労でした。ターゲットはすぐそこです。ここから先は私たちにお任せください」
「ここから帰れ、って言ってるのか?」
 ダイの刺々しい言葉に、大林はとんでもないと手を振った。
「いいえ、あなたがたはここでお待ちください。障害は我々が片づけます」
「片づける……? 今、力を使うのは辛いと……」
 胡乱な話にダイが聞き返すと、大林は目を細めて微笑した。そうすると彼は若々しい、少年のように見えた。恵祐とその名前からして民族が近いのを思いだす。
「力を使えないことはないんです。この為に温存してきただけですから」
「それは――」
 さらに聞き返そうとしたダイを遮り、大林は一族の者に向かって手を振った。
 リュシたちが無言で動きだす。ぞろぞろと無感動な容貌で、同じ服を着てダイたちの前を進んでいく。
 その体が白く光りだす。
「……」
 ダイは凝然と彼らを見つめた。光は第三の力の現れだ。
 最初の数人が角を曲がった途端、機関銃の連射音が空気を震わせた。腕の中のジャネットが身を縮め、ダイは彼女を抱き寄せる。
 リュシたちは歩みを止めなかった。ぞろぞろと先に行く者について角を曲がっていく。砲火にさらされることへの恐怖も不安もなく、まるで自ら海に飛びこむレミングの大群のように。
 廊下に光が満ち始める。第三の力の放出が高まっているのだ。連射音は止まらない。壁が破壊される音と、すべてを打ち砕こうとする機関銃の野蛮な音が、地下世界を支配する。それを、最後の一人が角を曲がり砲声が止むまで、ダイはジャネットを抱き締めたまま凝然と見つめていた。
 砲声が止み、再び静寂が訪れる。長い沈黙のあと、一人レミング行動に参加しなかった大林に向かって、ダイは問うた。
「なにを、やったんだ?」
「障害を取り除いたんです。もう大丈夫です」
 さらりと大林は答え、悠然とした足取りで角を曲がっていった。そのあとを、辛そうに眉根を寄せているジャネットを抱えながら、ダイはついていく。
 角を曲がったダイは呻くしかなかった。
 廊下には点々とリュシの死体が転がっていた。皆、銃弾を浴び、体中穴だらけだ。ジャネットも息を呑む。なにがあったか、容易に想像できた。人を盾にして障害を取り除いたのだ。
 道しるべのように倒れている屍の先に、バリケードが見える。大林はそこでダイたちが来るのを待っていた。確かにもう危険はないようだ。
「ジャネット、歩けるか」
 ジャネットは口では答えなかったが、しっかりと頷いた。彼女に肩を貸し、拳銃をかまえて歩く。
 顔も見分けがつかないほどボロボロになった死体をよけながら、青白い光の差しこんでくるホールへと向かう。
(なんて奴らだ)
 ダイは唇を噛みしめた。
(こんな、人を人とも思わないやり方を、平気でやるのか。それがリュシか)
 リュシ族が絶対的な序列社会を持つとは知っていた。だが、それが具体的にどういう意味を持つかは知らなかった。
(それを、こんな風に思い知るとは……!)
「……ジャネット。聞きたいことがあるんだ」
 ダイにしがみついて歩いていたジャネットが、わずかに顔を上げた。こんなときになにを言う気だと訝る気配が伝わってくる。
 ダイは大林を見つめたまま、
「君は、マーガレットが生まれたとき――ノーマルだって知ったとき、どう思ったんだ」
 ジャネットが彼を見つめる。心臓の鼓動が速い。自分はひどく緊張しているのだろう。自分にしがみつくジャネットの手も、異様に熱く感じる。
 なぜ考えなかったのだろう。ジャネットは東の人間、人種的にはリュシ族や瀬一族に近い民族の出だ。彼らがヌニェスであることを誇りにし、ヌニェスでない者を睥睨する態度をダイは知っていた。キマ王朝はヌニェスが支配していた王国だった。
 王族と同じ力を持つ者たちを、人々は迫害しただろうか? リュシ族は確かに同レベルの力を持っていたがゆえに、瀬一族と争い、負けた。だが、ヌニェス自体を否定することはなかっただろう。
 いや、彼らはエリートですらあったはずだ。
(そうだ。俺は勘違いをしていた。俺はそのことを知っていた。なのに、今まで気づかないでいた。気づく気もなかった)
 ジャネットが自分と違う考え方をしているかもしれないと、考えもしなかった。
「……」
 ジャネットがなにか呟いた。だが、それは蚊が鳴くほど小さな掠れた声で、ダイには聞きとれなかった。もう一度、と聞き返す勇気はなかった。
 長い長い屍の道を無言で越え、ようやく大林のもとにたどりつく。大林はバリケードの上から二人を見下ろし、手を差し伸べた。
「手をお貸ししましょう。そちらのかたはとても辛そうだ」
 ジャネットは下を向いたまま、頭を振って拒絶した。ダイも彼女を渡すつもりはなかった。剣呑なまなざしで大林を仰ぐ。
「……一体、なにを考えている?」
 ダイの感情を押し殺した言葉に、大林が首を傾げた。
「仲間をこんなに犠牲にして……そうまでして、任務を遂行させたいのか」
「あなたがたも、そんなに辛そうなのにここまで来たじゃないですか」
「それとこれは、意味が違う。俺たちは、この奥になにがあるか知りたかっただけだ。でも、犠牲を出すのを前提にしてきたわけじゃない」
「あいにくと、私たちは射撃がうまいわけではないので」
 大林は肩をすくめてみせた。
「こういう方法しかなかっただけです」
「それが!」
「あなたの言うとおり、私たちも任務を遂行させたいんです」
 反駁しかけたダイを制して、大林は断言した。彼はセピア色の双眸でまっすぐにダイを見つめ、
「誰の手も借りず、誰よりも先に、誰よりも正確に真実を見極める。それが私たちリュシに与えられた使命です。それを遂行しなければ、私たちはいる意味がなくなる。皇家のお役になる為に、私たちは芙蓉の宮で務めているのです。お役に立てなければ存在する必要もない」
「……」
「だから、いいんですよ。死んでいった者たちも、それを理解している。お役に立たなければ、死んだ方がマシだと」
 にっこりと大林が笑った。罪悪感のまるでない、それを心から信じている確信犯の笑み。
(狂信)
 ダイは背筋に冷たいものが走るのを覚えた。大林は一見は正気でいて、根本から狂っている。歪んでいる。それを狂信と呼ばずになんと呼ぼう。
 この青年だけではない。彼の一族全員が狂信している。同じ幻想を持ち、夢見ている。
 エルシア皇家という存在を、まるで神かなにかのように狂信している。
(そんなにすばらしいものなのか? エルシア皇家とはそこまで入れこめるほど、すばらしいのか? 崇めるのはその力か? 世界を支える――神にも等しい力を持つその力ゆえなのか?)
「さあ、行きましょう。この中に、あなたがたが、私たちが見たかったものがある」
 リュシの青年は身軽にバリケードを越えた。ダイはジャネットを励まし、引っ張り、なんとか越えた。
 ホールに降り立つ。
 最初に見えたのは、青い光だった。
「これは……」
 ダイは目を細めた。
 これは一体なんだろう。
 ジャネットが彼にしがみついた。その目が大きく開かれ、足は震えて萎えそうになりながら、それを凝視している。
 中央演算室という言葉が示す機械はどこにも見当たらなかった。ホールにはリュシとゲリラの死体、銃器が散らばっている。
 そして、二本の柱。
 高さはダイの背丈の二倍ほどだろうか。妖しいまでに黒く輝く、のっぺりした柱が、並んで立っている。その間には青い光の膜が張られている。
(ああ……)
 それはまるで、水槽のガラスだった。光る水のたゆたう、揺らめく神秘的な青。
 一体、これはなんだ?
「な……に……これ……」
 ジャネットが呻く。
「まさか……でも、この感触は……そんな、バカな……」
「ジャネット? どうした」
 引かれるように青い膜に向かって身を乗りだすジャネットを、ダイは押しとどめた。彼女はダイを無視して、揺らめく光の膜に見入っている。
「これがなにか、あなたは分かるんですか」
 大林が厳しい表情でジャネットに尋ねた。
「あなたは界渡り能力者だ。これがなにか、あなたには分かるんですか」
「これは……この波動は……」
 うわごとのように呟いていたジャネットが、ハッとダイと大林の間を振り向いた。二人もつられて背後を振り返る。
 すぐそばに倒れていた死体が、いきなり飛び上がった。なにをする暇もなく、男は柱に飛びつき、なにかを叩いた。そして、三人を見て、凄まじい形相でわけの分からないことを怒鳴る。
「な、なんだ?」
 ダイは面食らった。気がおかしくなったのだろうか、そう思ったが、
「カマラ人!」
 ジャネットが悲鳴を上げると同時に大林が動いていた。男の間合いに飛びこむと、優しい顔立ちに似合わず、鋭い肘打ちを鳩尾に食らわせていた。男が吹き飛び、床に叩きつけられて血反吐を吐く。
「今なにをした?」
 激しい不安にたまらずダイは叫んだ。追いつめられた窮鼠がすることは分かっている。今、この柱になにをした?
「だめだわ!」
 ジャネットが恐慌に満ちた声を上げた。彼女はこぼれんばかりに目を開き、凍りついた表情で、
「だめだわ、逃げなくちゃ! 扉を開いた、そう言ったわ! おまえらはもうおしまいだって、なにもかも消えるって! ああ、扉が……〈扉〉が、開く……!」
「〈扉〉?」
 問い返したダイの言葉を遮って。
 カッと、青い透明な膜が閃光を放った。ダイは金縛りにあったように立ちすくみ、瞠目した。
 めくるめく光の中、膜がゆっくりと、縦に二つに割れていく。扉のごとく開かれていく。
 その向こうに、新たな青い膜が――より青い世界が見えてくる。
 薄暗い地下室とは異なる世界が、姿を現してくる。
(空)
 地下四階の部屋から、蒼穹につながる扉が開いたかのごとく――
 そう思った次の瞬間、膜を破り、空が怒濤のごとく溢れてきた!


←back

next→