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 現在、エルシア世界――

 ふと、本を眺めていたアリーヤが窓の外を見た。
「アリーヤさま?」
 彼女の隣で資料の整理をしていた辰斗も、つられて振り向く。だが、いつもの庭園と薄雲がかかる青空が見えるきりで、とりたて変わったところはない。眺めるアリーヤの横顔もいつものとおりで、雨でも降ってきたかどうか見ている、そんな感じだ。
 どうしたのか尋ねる前に、その気配を捉え、辰斗は立ち上がった。
 次の瞬間、
 ずうう……ん
 低い、地を這う地響きが、遠くから聞こえてきた。ジェイクも顔色を変えて立ち上がる。
「やられましたね」
 苦渋をにじませ、辰斗は呻いた。
 テロリストによる二回目の犯行だ。最初の犯行があった日から三日間、警察庁と霊能庁がなんとか第二の犯行を防いできたが、とうとう警備の網をくぐられ、やられたのだ。「アリーヤ皇太子を狙った」爆破テロが。
 犯行声明があったその日に「見つかった」爆破計画書は、マスコミにばらまかれ、テロリストたちの標的がアリーヤ皇太子にあると世間に知られることになった。犯行声明に「なぜアリーヤ皇太子を狙うのか」が明記されてない以上、否応なしに「狙われるアリーヤ皇太子とは何者か」という点に世間の関心は集中している。
 マスコミは民族主義者たちの狙いを無責任に分析し、日々騒いでいた。いちばんもっともらしい説は、奥の院に閉じこもる皇帝皇后を狙うことは不可能だから、必然的に皇太子アリーヤが標的になっただけというものだった。アリーヤ個人の問題ではない、と。その説は幸いにも、多くの人々に支持されていた。
 それに昨日、一昨日と当局が頑張り、未然にテロを防いでいたので、さほどアリーヤに対しての風当たりは強くなかった。むしろ、残虐なテロの標的にされた薄幸の美少女として、同情的な意見が多かった。
 だが、二度目が起きれば、世論は変わってくる。
「辰斗、どこだ!」
「パルピック駅です、アリーヤさま、見てまいります」
「待て、辰斗」
 身をひるがえして部屋を出ていこうとした辰斗を、ジェイクが止めた。ジェイクは顔を赤くしたり青くしたりして動揺をあらわにしながら、しっかりと、
「おまえは決して表に出るな。絶対だ!」
 強く念を押す。鬼気迫る勢いだったが、辰斗は相手が動揺すると逆に冷静になるタイプなので、緊張を緩めて笑うと、
「大丈夫ですよ、ジェイク。私も余計な仕事をする気はありませんから。アリーヤさま」
 アリーヤが無言で頷く。辰斗は深々と一礼すると、部屋を出た。

       ※

 爆破されたパルピック駅はフリンカム南部にあるターミナル駅だが、美しいガラス張りののこぎり屋根があった駅舎は無惨にも天井が抜け、大崩壊していた。脆いガラス天井のおかげで爆圧が一方向から抜け、壁はさほど吹き飛ばなかったのが幸いだった。支柱が崩れて壁が倒れたら、犠牲者はさらに増えたはずだ。
 しかし、ガラスの破片で怪我をした者はすでに一千人を超え、駅前ロータリーにはフリンカム中の救急車と消防車が集まって、大騒ぎになっていた。南コンコースが壊滅し、すでに死亡者は五十三人を数えている。これからさらに増えていくだろう。
 怪我人と救急隊員が入り乱れる中、駆けつけたマスコミがさらに混乱を助長している。辰斗はうんざりしながら、駅前広場に面するいちばん高いビルの屋上から観察しつつ、救助活動を密かに手伝っていた。
 レスキュー隊と霊能庁のヌニェスが必死の救助活動を行っているとはいえ、やはり転移能力者がいるのといないのとでは違う。
(霊能庁にはあまり強い転移能力者はいないからな)
 空間転移が行えるヌニェスは意外に少ない。リュシ族は遺伝的に全員転移が行えるが、それは山奥を拠点地としてきた為、そうならざるを得なかったせいだ。
(フリンカム霊能庁の転移能力者っていうと、サライくらいかな。ほかは補助くらいにしかならないし……)
 そう考えた辰斗が、端正な顔をしかめた。途端、彼の背後の空間がプリズムを透かしたように分光し、歪みの中から一人の人間が弾きだされるように出現した。
「辰斗ちゃん、見っけえ!」
 嬌声を上げて彼女は辰斗の首に抱きついた。首を強く絞められ辰斗は呻いたが、不快ではなかった。相手が分かっていたからだ。
 辰斗は自分の首に絡んだ土埃にまみれた腕を剥がし、苦笑した。
「やっぱり見つかっちゃいましたか、サライ」
「あったり前よ。サライの鼻はよーっく利くんだから」
 サライは自慢げに、形のよい自分の鼻を指してみせた。生意気なポーズは、彼女の高慢さと色っぽさ、同時に子供らしさと愛らしさも引きだしている。むろん、彼女もそれが分かってやっている。
 サライ・チャベス――フリンカム霊能庁に席を置く彼女は、派手という字を全身にまとったような女だ。ピンクの髪の毛はむろん染めたものだし、大きな目に収まる赤い瞳も染めている。一応作業服を着ているが、胸元を大きく開いて、豊満な胸がはち切れんばかりに揺れているのが丸見えだった。
 サライは決して飛び抜けて美人というわけではない。塗りたくった化粧の下にはそばかすだらけの肌があることを辰斗は知っているし、顎が小さくて歯並びが悪いことに文句を言っているのも聞いた。
 しかし、それは愛嬌のうちに入るし、むっちりした頬にできるえくぼは彼女のチャームポイントだ。全体としては彼女の容姿は「まあまあ可愛い」部類に入るだろう。
 だが、彼女の魅力は容姿だけではないことは、彼女から発散される空気を浴びれば、すぐに分かるはずだ。
 サライはパールに光る唇を辰斗に突きだした。
「んもう、二カ月ぶりじゃん! ほら、久しぶりの、ちゅー、は?」
「はいはい」
 求められるまま、辰斗はサライの厚めの唇を吸ってやる。サライは正面から辰斗の首に腕を絡ませると、大人の女にも生意気な小娘にも見える年齢不詳の顔に、小悪魔の笑みを浮かべた。
「やっぱり辰斗ちゃんが来ると思ってたよ。今手こずってるところがあるの、六トンの柱の下敷きになってる子供がいるんだけど、出して」
「またそういう無茶を言う」
 辰斗は呆れて言い返した。
「サライ、私の身長と体重は?」
「百八十三センチに六十三キロ。痩せてるかしらん?」
「分かっているなら気軽に言わないでくださいよ。いくら私でも百倍の質量を支えられるわけないじゃないですか。大体、そんなものの下敷きになってよく生きてますね」
「正確に言えば、柱の下敷きになった鉄骨に挟まれてるの。脚がねえ潰されちゃって、もうあれは両足切断するしかないよ。可哀相に」
 あっけらかんと言うサライの表情は、言葉ほど同情しているようには見えない。
「サライにできないなら私にできるわけないでしょ。大人しく諦めてクレーン車でも引っ張ってきなさい」
「爆破しちゃおっかっ」
 自分の物騒な考えに顔を輝かせ、サライは首にしがみついたまま跳ねた。辰斗は彼女の細い腰を抱き上げると、
「やめときなさい、また減給されちゃいますよ。あなたはあなたができる範囲で、給料分のことだけ、しっかりとやればいいんです」
 そう忠告し、もう一度サライの唇を優しく噛む。サライは果実をついばむ小鳥のように辰斗の唇にキスし返しながら、
「おっもしろおい。辰斗って、一生懸命がんばれって言わないから好き!」
 けたけたと笑うサライ。辰斗もほほえみ、サライを片腕で抱き上げながらその整髪剤で固められた髪を撫でた。
「一生懸命なんて、そんな自分を消耗するようなことをしてはいけません。ヌニェスの力は命の力、自分の命を縮めてもいいだけの見返りがないときは、その力を使わないように。でないと、ヌニェスは過剰に消耗され続けるし、世間はそれが当たり前のように思い始める。そうしたら、また世界大戦時代の道具扱いに逆戻りですよ。ヌニェスの人権はヌニェス自身が守っていかなくては」
「分かってるよお。でも、あたしはしがない宮仕え、ぼろぼろになるまで働かないと、明日のパンも買えない安月給う」
「そんなこと言ったら納税者が怒りますよ。あなたは通常の公務員の三倍は貰っているんですから」
「だってそんなの、ぜーんぶ服で消えちゃうもーん」
 サライは辰斗の腕の中から消え、背後に出現してみせた。軽い転移だ。辰斗も彼女が第三の力を発現するのを事前に感じとれるので、そうそうは驚かない。
 サライは腕をひらひら泳がせながら、辰斗の周りをくるりと回り、顔を突きだした。
「でもね、あいつらはそうは思ってないみたいだよ。どうやって爆破したか聞いたあ?」
「ええ」
 辰斗は苦々しく頷いた。転移ヌニェスともう一人が、対ヌニェス妨害シールドの張られた結界の中に強引に転移して、自爆したというものだ。この屋上から警察の会話を拾い聞きして知った。
 爆破リストに載っていたパルピック駅には、軍用シールドが張られていた。だから物体――具体的に言えば爆弾だが、それだけを転移させることはできず、術者当人も来ざるを得なかったのだろう。
 古来よりヌニェスの空間転移は、利便さとともに脅威をもたらすものだった。平和時には遠方に労力と時間をかけずに行ける手段として重宝がられたが、戦時においてはもっとも警戒すべき能力として、敵にあれば即抹殺し、味方にあっても人権や自我すら奪われ、生かさず殺さずの状態で利用されてきた。転移によっていきなり本陣に兵を送りこまれてはたまったものではない。そうやって滅びた国は星の数ほどある。
 だから空間転移については、早くから妨害策の研究が盛んに行われてきた。もっとも有効なのは、同じ第三の力によって張られた防御結界――バリアだが、その力を持つヌニェスは多くいるわけではない。呪術を施したマジックアイテムが多く出回り、今では機械による妨害シールドが開発されている。
 転移を拒絶することに対して、妨害シールドは精神探査に次いで高い強度がある。新型の軍用なら、ほとんどのヌニェスが透過できないだろう。
 だからこそ、してやられた。誰もがやらないと考えていたことをやられたのだ。
「もー、本当にひっどい話だよねっ。たとえ主義主張があって、当人がやりたいって主張しても、それを許したら人権は守られないんだよねっ。これって、自殺したいって言ってる奴に、『そーかそーか、毒薬をやろう』って医者が言ってるようなもんだよね!」
 サライはまなじりを吊り上げ、拳を握って真剣に力説した。そのあと、ピンクの舌を出し、辰斗の機嫌を窺うように下から覗きこむと、
「そうだったよね、辰斗ちゃん」
 にやあと意地汚さを強調するように口端を上げてみせる。彼女が「ちゃん」付けで名を呼ぶときは、自分の機嫌を取れと強要する合図だ。辰斗は彼女の、呪いの入れ墨が光る額にキスをした。
「はいはい、よく覚えてましたね」
「みんな、あたしのことバカだバカだってゆーけど、辰斗の言葉はよく理解してるんだよ。なんたって愛しい人の言葉だもん」
「嬉しいことを言ってくれますねえ。愛してますよ、サライ」
「でも、いちばんじゃないでしょ。ひどいヤツ」
 挑発するようにサライは睨んだ。辰斗は曖昧な笑みを浮かべる。そのことはどちらも分かっている。言葉は真実だが、サライもそれをどうにかしようとして言っているわけではない。
 サライは決していちばんになれない。サライでなくても、誰もいちばんになりはしない。彼の心と体はすでにアリーヤに捧げてあるから。彼女の言葉一つで、彼の心と体はいつでも砕け散る覚悟があるから。
 そのことはサライも分かっている。サライだけでなく、彼と愛しあうすべての人間が分かっている。その前提があって、初めて辰斗という人間が存在するのだということを。
「ずるいよ、辰斗。久しぶりに会ったのに、キスだけですまそうとしてる」
「サライも私も仕事中ですよ」
「でも、いいの。所詮あたしは悲しい愛人の身。愛する人はいつも忙しくて、そばにいれないの」
 サライは辰斗の言葉に聞く耳を持たず、一人で喋り始めた。泣き崩れるふりをするのも、いつもどおりだ。辰斗は声を立てて笑った。
「それはすみませんねえ。私に甲斐性がないばかりに、愛人を悲しい目に会わせる」
 それを聞いて、サライは目を潤ませながら健気に首を振ると、両手を組みあわせ、ひしと辰斗の手を握った。
「ううん、あたし、自分の立場は分かってるわ。愛人は愛人らしく、大人しく愛しい人の訪れを待つわ。だからお金ちょーだい」
「そんなに寂しいなら、芙蓉の宮で一緒に働こうって言っているでしょう?」
 差しだされた右手を辰斗は叩いた。サライは口を尖らせ、
「やーあよっ。本当に宮仕えなんて、カタっ苦しくて嫌んなっちゃう。あたしは自由でいたいよ」
「別にサライに、我々のようになれとは――」
「それに!」
 辰斗の言葉を遮り、サライは彼に人差し指を突きつけた。
「それに、あたしはあんたの愛人の一人だけど、ただの愛人にはなりたくないのっ。あたしはフリンカムの霊能庁にいるから使い道がある。でも、芙蓉の宮で働く一人になったら、あんたにとってのあたしの価値は、ただの愛人になっちゃう。そんなのはいやだからね」
 なぜか怒りながらサライは断言した。辰斗は膨れっ面で彼を正面から睨んでいるサライを見つめ、くすりと笑うと、彼女を再度抱き上げた。
「サライは頭がいい。愛してますよ、霊能庁の人間であってもなくても」
「でも、利用価値があった方がいいでしょ」
「もちろん。愛しているよ、私のサライ」
 辰斗は優しく唇を彼女の白い胸に押し当てた。恍惚とサライが瞼を閉じる。しかしながら、すぐに口元を歪め、行儀悪く舌打ちした。
「ちぇっ、呼びだしがかかってるや。やっぱり仕事中にはいいコトできないね」
「楽しみはとっておきましょう」
「あたし、部屋変わったからさ。ちゃんとおいでよ。いい話してあげる」
 身軽にサライは辰斗の腕から下りた。
「今ね、うちで目えつけてる宗教団体があるの。右なんだけど、辰斗、『滅びの予言』って知ってる?」
「それは……」
「先を聞きたかったら部屋においで。じゃあねん」
 そう言うと、ふいと虹の歪みを残して消えてしまった。現場に戻ったのだ。
 辰斗は小気味いい心地で彼女を見送った。
 サライはいい。あのあっけらかんとしたところが可愛い。辰斗は奔放と言われるが、実際は皇太子侍従という立場をわきまえて行動している。それで自分を律することは誇りに思えど、苦痛にすらならないが、奔放とは言えないだろう。その言葉はサライのような人間にこそ当てはまる。
「さて、と」
 辰斗は自分も切り上げることにした。いつまでも遊んではいられない。早く芙蓉の宮に帰らなくては。

       ※

 北セファーン自治区、ガランシア山脈麓にあるオーブレー県、ベルニオ町。

 崩れた我が家から瓦礫を運びだしていたジネ・エマニュエルは、三軒隣に住む幼なじみ、ピーター・ケンウォールの呼び声で顔を上げた。
 そばかすのピーターは、家は全壊したくせになぜかきれいに残った石壁の向こうから手を振り、
「ジネ! ハンナの家の前に配給車が来たってよ! 早く行かねえとなくなっちまうよーっ」
「今日はなんだってえ?」
「鮭缶だってさ!」
「絶対行く!」
 ジネは怒鳴り返した。育ち盛りの十五歳の少年には、食物配給は絶対逃がすわけにはいかない。
 ジネは手にしていた煉瓦を放りだすと、庭先に張った青いテントの中に顔を突っ込んだ。
「母さん! 配給だって、俺行ってくる!」
 小さなテントの中で入り口に足を向けて寝ている彼の母親は、なにも答えなかった。支給された毛布を頭からかぶり、なにもかも拒絶するように縮こまっている。
 ジネは眉根を寄せたが、しかしいつものことだったので、それ以上はなにも言わず、急いで幼なじみのあとを追って走りだした。
 ベルニオは小さな田舎町だ。中心地には町役場を筆頭に商店や農協、学校などが集まっているが、それ以外は広大な畑が広がっている。隣の家に行くにも歩いて半日かかるといった大牧場もある。
 ジネは父親を早くに失い、役場の隣にあるレストランで働く母親と二人暮らしだった。家はそのレストランの隣の隣の隣にある賃貸の平屋で、煉瓦とベニヤでできた、古ぼけて薄汚い家屋だった。
 ジネはその家が嫌いだった。カビのように染みついて取れない煙草の臭いがまず嫌だった。台所にある大きなシミが嫌いだった。踏むとべこりと凹む腐った廊下が嫌いだった。黒枠の、重い窓が嫌いだった。なにもかもが嫌いだった。
 蒸発した父親が床下で腐乱しているような、そんな陰気でおぞましい空気が漂っていて、息をしているのが辛かった。
 幼いころから友だちの家に入り浸り、小学校を出てからは必ず夜にならないと帰らなかった。夜は冷気が臭いを床に沈めてくれる。だから、帰ることができた。
 家は嫌いだった――だが、いざこうして崩壊してしまうと、茫然としてしまった。喝采していいはずだと気づいたのは、あの地震から一日経ってからだ。
 一体なにが起きたのだろう。なにが悪かったのだろう。砂埃の舞う目抜き通りを走りながら、ジネは考えた。
 あれが起きたのは十一時前後だったと思う。ジネはそのとき学校にいて、トイレでラッシと呼ばれる「特製の」ガムを仲間と噛んでいるところだった。だから、最初はラッシで悪酔いしたと勘違いして焦ったものだ。ラッシは習慣性が残る以外は、副作用のないクスリとして学生の間で流行していた。
 体が捻れるような感触だった。実際に顔面が尻と同じ方角を向いた気がしたが、それは一瞬だった。体の捻れがぶるんと音を立てて戻った――むろん、これも錯覚だったのだろうが――のと同時に、世界が跳ねた。
 足下をすくわれ、転倒した。仲間たちもばたばたと倒れ、大きく上下に震動する床に必死にしがみついた。大地の震動は激しく、視界がぶれてなにが起きているのか分からなくさせた。
 古い地層の北セファーンでは、地震は起こらない。ジネは生まれてこのかた、一度とて地震に遭遇したことはなかった。
 そこへ、突然襲った大地震。
 町がぶっ壊れたのは当然だ。ジネは目抜き通りに面した家々の残骸を眺めつつ、そう思った。
 この町は地震と無縁だった。地震はキマやジャンモアで起こるものだ。だから、その対策もまったくなかった。
 煉瓦を積んだアパートは崩れ、ベニヤでできた平屋は砕け散った。昼の用意をしていた家から火の手が上がり、町の南は丸焼けになった。鉄筋コンクリートの小学校だって一階が潰れ、中にいた児童百二人が圧死した。折れ曲がった鉄筋が潰れた建物から突き出て、それを見たジネはぞっとしたものだ。あれに突き刺されたらひとたまりもない。
 ジネのいた中等学校は窓が全部砕け散り、あらゆるものが倒れたものの、なんとか崩壊を免れた。五年前に古い煉瓦作りの校舎から建て直したのがよかったのだろう。
 通りには家々の残骸や倒れた電柱、枝などが散乱していた。電気はあれから止まったまま、水道もガスも供給が停止され、テレビもネットも中断している。地元のラジオ局も機能していないようで、長距離放送で隣の自治区、或いはフリンカムからの電波が届くきりだ。それも電波が微弱で、すぐに中断してしまう。北セファーン一帯に歪みが発生しているのとなにか関係しているのだろう、そう誰かが言っていた。
 ハンナの家の前に着くと、すでに五、六人の町民が列を作っていた。最後尾にいたピーターが手を振り、ジネは彼の後ろに並ぶ。
 ピーターは頬を上気させて、
「おい、今日はピーナツバターも一緒に配給されるんだとさっ。俺、あんまり好きじゃなかったんだけど、今は猛烈に食いてえーっ」
 拳を握りしめ、たまらないといった様子で足をじたばたと動かす。ジネもピーナッツバターのどろりと舌に絡みつく甘さを思いだし、唾液で口の中がいっぱいになった。甘いものなど何日ぶりだろう。
「明日、水は何時だって?」
「七時。いいよ、起こしてやるよ」
 二人が会話している間にも続々と人が集まってきて、配給の列に並ぶ。皆うっすらと汚れた格好だ。だが、地震直後の、疲労と絶望に満ちた雰囲気はなく、生きていく為の気力に溢れている。地震前よりも活気づいているようにすら見える。
 それというのも、こうやって配給が届くようになり、生き延びる道を保証されたせいだ。未来を約束されたせいだ。自分たちは間違ったことをしたわけではないから、救助の手が届いた。この不幸は偶然自分たちに降りかかってきた災難であって、自分たちが責められているわけではないのだ――その思いが人々を活気づかせ、復興へと向かわせている。ジネはわいわいとお喋りをする隣人たちを眺めながら、そう考えた。
 エンジン音が遠くから聞こえ、砂埃を舞い上げながら一台のトラックがやってきた。人々から喝采が起きる。救助物資の到着だ。
 だが、それは区政府からのものではない。
 運転席から三人、荷台から二人の男女が降りてきた。うち二人はライフルを持っている。
「みんな、今日の配給だ! 数はあるから、順番に焦らずに並んでろよ!」
 赤いバンダナを額に巻いた男が声を張り上げる。彼の仲間が荷台からコンテナを降ろし、人々に物資を配り始めた。やはり彼らも赤いバンダナを巻いている。それが彼らの目印だ。
 民族主義団体ジオラヘカタ――通称「赤いコンドル」の目印だ。
 ピーターの情報どおり、今日の配給は鮭缶とビーナッツバターの瓶、そしてビタミン剤の袋だった。ジネは自分の番が来ると、配っていた赤ら顔の若者に向かって、意気込んで、
「ベル、俺も手伝おっか」
「おう、ジネか。いいっていいって。おまえにゃあ壊れた家を片づけるって仕事があるだろ。おふくろさんも具合悪いんだから、帰ってやりな。ここは俺たちだけで大丈夫だからよ。ありがとよ、兄弟」
 ベルはニイッと乱杭歯を剥きだして笑った。ジネも頬を赤らめて、照れくさそうに笑う。
 ジネは彼らの邪魔にならぬよう、配給を受けとるとすぐに列から外れた。待っていたピーターと連れだって家へ戻る。
 ピーターはトラックを振り返り振り返り、
「やっぱりすげえよな、ジオラヘカタは。あの人たちがいなかったら、俺たち、今ごろどうなってたんだろう」
「すげえのはマヨルカさ」
 ジネは窘めるように、そして自分のことのように誇らしげに訂正した。
 ジオラヘカタがいなかったらどうなっていただろう。ジネは考える。きっと、みんな飢え死んでいたに違いない。いや、その前に水がなくて乾上がっていただろう。ジネは若いからもっと大きな街へ逃げだすこともできたが、弱った母親を置いていくことはできなかった。
 こんなとき頼りになるはずだった区政府からの救援は、地震から十日経った今も来ない。中央からの物資は北セファーンにどんどん運びこまれているらしいが、それらはいくつかの手を経ているうちに消えてしまっているのだ。
 誰かが救援物資を横流ししている――そんな噂が広まったのは、地震から二日経ってからだ。政府の役人が物資をネコババしていると、隣町から噂が流れてきた。しかも、そうやって自分のふところに入れたものを、被災者に高額で売りつけているとも。
 いつまで経っても来ない救援、断たれた外部からの情報。そして、どす黒い疑惑。乾燥地帯の孤立した町は、絶望と焦燥、危機感、そして飢餓感がない交ぜになり、ヒステリー状態に陥っていた。
 そんなとき、大量の水と食料を持って町に現れたのが、マルキオ・マヨルカ率いるジオラヘカタだった。
 彼らは救援物資を次々と運んで、人々に配った。むろん無料で。ベルニオだけでなく、ここら一帯の被災した町々に同じことをやって回った。ジネ母子が寝泊まりしている青いテントも、毛布も、鍋も、コンロだって、彼らが配ってくれたものだ。
 彼らの行為を口さがない者たちは、一つの政治団体の機嫌とりにすぎないと蔑んだが、救援が義務であるはずの区政府はなにをやっている? と問えば、口をつぐんだ。区民の機嫌をとることこそ政府の役目のはずだ。その為に彼らは税金を払っているのだから。
「おい、知ってるか。ショーハルクじゃあ村長が救援物資を受けとって、そのままずらかっちまったんだってよ。でも、逃げる途中で車が襲われて、命だけは助けてもらったけどボコボコにされて、標識から吊る下げられてたんだとさ」
「うっへえ、悲惨でえ」
 言葉のわりにはピーターはげらげら大声で笑う。義務を放って逃げだした首長に同情などしない。いや、逃げだしたからこそ、それくらいの刑罰は因果応報のことわりで当然なのだ。ジネもそう考えている。
 ベルニオの町長とて同じだ。地震が起きた直後、家財道具一切合切を持って真っ先に逃げだしたものの、広大な沙漠で事故を起こし、救助を待つ間に死んだという噂が、まことしやかに町中に流れていた。
 町長を失い、町議会も満足に機能しない状況で、ジオラヘカタの援助は人々の間に速やかに浸透していった。多大な感謝と希望と、そして尊敬の気持ちとともに。
 そして、そのジオラヘカタを指導しているのが、マルキオ・マヨルカだ。
 ジネはその名を知らなかったが、大人たちの話では、彼は以前から世界各地で活動している政治家らしかった。今まではその考えが急先鋒、或いは時代の逆行だと、世間で認められていなかったが、今回のことで彼の主張が正しいと証明されたのだ。
「すげえよなあ、マヨルカは」
 もう一度、ジネはくり返した。
「マヨルカは、世界統一体制は不自然だって、前から主張してたんだろ。なにかあったとき、命令が全然伝わんないって。まったくそのとおりだよな」
「俺たちがピーナッツバター一つ食えないのも、統一議会がのろまなせいなんだよ」
 ピーターも強く同意する。
「管理能力ってえの? それがないんだよ。どうせ俺たちのことなんか対岸の火事ぐらいにしか思ってねえんだ。フリンカムは遠すぎらあ」
「政府はもっと小さな単位で独自に行うべきなんだ」
 ジネは大人の受け売り――大人もまたマヨルカの演説の受け売りだったが――を力説した。受け売りでもなんでも、ジネにはその主張が正しいものにしか思われなかった。実際、彼らを救ってくれたのはマヨルカで、政府は彼らを見捨てたのだから。
「俺、ジオラヘカタに入りたいな」
 多感な思春期の少年の純粋さで、ジネは目を輝かせて呟いた。
「ジオラヘカタに入って、マヨルカのそばで、あの人の理想を実現させるのを手伝いたいよ。だって、あの人は正しいんだ。世界の誰が知らなくても、俺が知ってる。あの人は正しい」
「俺『たち』だろ」
 ピーターが気分を害した口調で言った。二人は互いを見つめると、噴きだした。
「マヨルカばんざーい!」
「統一議会なんかクソくらえ!」
 二人は救援物資を天高く放り投げると、声を上げて笑いながら走りだした。

       ※

「オーブレー県を中心に起きている救援物資強奪事件は、本日で三十七件に達した」
 モニター代わりの天幕に映しだされた地図を指しながら、今回の作戦で全軍を預かる将軍ロパス・オズワルトが説明した。
 北セファーンの民族主義者が思いも寄らぬ強力な火力を持っていると知られてから、三日目。それまで前線で活動していたスクランブル隊は後衛に退き、代わって世界各地の基地――おもにガランシア基地と南セファーン基地――から集められた部隊が、北セファーンの荒野に集結した。彼らはゲリラとの戦闘に慣れた強者だ。
 現在、区都マチェスター市にほど近い荒野に設営されたキャンプには、ゲリラ掃討の為に三千人が集められていた。物資搬送能力の問題上、それ以上の数は賄えない。やはり空輸手段を断たれているのが痛い。
「これによって救援物資が届かず、多くの人民が苦しんでいる。だが、実際に町や村を訪れると、物資が少なからず流通している。住民に尋ねると、それらはすべてオマス、サッカド、ジオラヘカタ、或いはユグラヘカタなどの反体制組織から受けとったものと証言を得た。それらのほとんどは、緊急物資として統一議会が搬送してきたものだった」
(つまり泥棒は民族主義者だってことか)
 天幕の片隅で、ほかの士官とともに話を聞いていたスクランブル部隊隊長ダイ・ウォーレン少佐は、暗澹たる心地だった。ゲリラのやり方は分かっている。議会から奪ったものを人々に配り、議会の立場を悪くして自分たちの株を上げる――相対的にその差を開かせることによって、人々の人気を強引に勝ちとるのだ。そうして支援者を増やしていく。
(悲惨なのは、奴らの偽善を鵜呑みにしてしまう人々だ。なまじ自分たちにはよくしてくれたから、彼らの罪を認めることができない……)
 ゲリラをかばう村は戦闘区域になり、最後にはゲリラに見捨てられて裸で残る。そのころになってようやくゲリラの過ちを認めるが、もう遅い。
「こうした民族主義者の行為に騙され、多くの青少年が彼らに迎合しつつある。健全な青少年の育成の為にも、一刻も早くゲリラを掃討しなければならない」
 ロパス将軍の話は続く。その話がゲリラ対策に始終しているのも、ダイの気持ちを暗くさせた。
 以前は応援を要請しても梨の礫だったくせに、ゲリラが絡んだ途端、すぐに統一軍は動いた。要請した翌日には必要な人員は揃い、キャンプも設営され、情報が続々と集まり始めた。今は山岳地帯に逃げこんだゲリラの行方を捜索中だ。
 統一軍が打てば響く反応をしたのは、ひとえにフリンカムで起きたテロ事件のおかげだ。
(フリンカムのテロが北セファーンのゲリラの仕業と分かった瞬間から、この態度だ。まったく嫌になる)
 彼らがシボーレ村で襲われたときは、他組織への連絡もきちんとやらなかったくせに――とダイは心の中でぼやいた。これは彼だけではなく部隊全員、特に副隊長のジャネット・倣が強く憤慨していたことだ。統一議会はフリンカムの治安が最優先事項なのだと。
(これじゃあ、ほかの地域の心は統一議会から離れる一方だな)
 道徳的正義心を刺激されるのと同時に、フリンカムの一市民として迅速にテロ事件の解決を求める自分がいるのも、ダイは分かっていた。そのギャップがさらに暗澹たる心に追い打ちをかけている。
 そんなことを考えているうちに、将軍の話は終わり、あとは全体の事務連絡が行われて解散となった。
 ダイが司令天幕を出て、自分の部隊へ戻ろうとすると、
「よう、ウォーレン」
 見覚えのある顔に呼び止められた。士官学校で同期だったミロスラフという男だ。
「やあ。君も来ていたのか」
 ダイは力なく応えた。ミロスラフとはあまりつきあいはない。気落ちしたときに昔話で気晴らしできるような相手ではなかった。
 ミロスラフは彼の心中を見抜いたように、過剰な同情に満ちたまなざしで、
「おまえんとこ、一人死んだんだって?」
「まだ死んでない」
 ぶっきらぼうにダイは反論する。だが、地雷を踏んだイーゴリ・キルヤスクが、予断を許さない状況なのは当たっていた。おそらくもうだめだろうというのも、軍人としての勘で分かる。
「おまえも大変だな。あいつら、ヌニェスには致死地雷を使うんだ。俺たちノーマルは足だけ吹っ飛ばされるんだが」
 ミロスラフは肩をすぼめた。一人の兵士の足を吹き飛ばせば、一人以上の兵士が負傷兵の運搬に割かれる。なまじ殺してしまうよりは、重傷を負わせた方が戦略的にはいい。
 だが、ヌニェスには転移能力者もいるし、絶対的な数を減らした方が有利なのだ。だからイーゴリは死ぬだろう。ダイはため息をつきたくなった。
「おまえ、さっさと転属願いを出した方がいいぞ。おまえの射撃の腕ならどこでもやってける、ヌニェスのお守りにしておくなんて宝の持ち腐れだ。別れた嫁さんに義理立てするなんて、そんなふざけた考えは捨てた方がいい。じゃあな」
 ミロスラフは言いたいことだけ言い、手を振って去っていった。一体なんのつもりで話しかけてきたのだろうと、ダイは憮然と考える。
 同期のよしみで死亡者を出しつつある彼を励ましにきたつもりだろう。だが、ダイには神経を逆撫でされるような話ばかりだった。
(俺はそんなに酷い顔をしてるのかな)
 親しくもない同期に心配されるほど気落ちしているのだろうか。そう思うとますます気が滅入ってくる。
 そんな彼の視界の隅に、見慣れぬ格好の背中が映った。
 薄茶色の軍服に混じって、ひときわ目立つ白く長い上着。活動的とはまったく思えない服装は、従軍記者でもない。細い線の体は、彼が決してノーマル軍人ではないことを示していた。考えられるのは、肉体を鍛える義務のないヌニェスだが、
(あれは……)
 あれはリュシの制服だ。戦闘用の。
 そう思ったとき、ダイはその背を追って走りだしていた。リュシの服など一般人は知るよしもないが、彼はこの間調べたばかりだった。戦闘服は会見などで見かける礼装とは異なる、第三の力を最大限に引きだす呪術を施してある。
「そこのリュシ! 待ってくれ!」
 声をかけると、リュシ族の人間は振り返った。セピア色の双眸が彼を捉える。ダイは息を弾ませながら、身を固くした。違った。
(星辰斗かと思ったのに……)
 若い青年だった。二十歳そこそこだろう。白い細面で、優しい顔立ちをしている。少年っぽさが抜け切れていない。
 言葉を失ったダイに、青年は不思議そうに首を傾げた。まるで世間知らずを装った小娘の素振りだ。こういう作った態度をとるタイプは苦手だ。
 相手はダイの心境を知ってか知らずか、
「スクランブル部隊のダイ・ウォーレン少佐ですね」
 想像していたよりも幾分低い声色で、青年は尋ねた。ダイは数度瞬いて、それから、自分で呼び止めておきながら口ごもっている失態に気づいた。
「あ……俺の名を?」
「上司から話を聞いています、星辰斗をご存じでしょう」
「ああ……」
 相槌ともなにともつかない声をダイは洩らした。「上司」。あまり年は離れていないように見えるが、それでもこの青年にとって星辰斗は上司なのか。厳格な上下関係で縛られたリュシ族のすべてが、その一言に凝集されている。
「私は晩大林、北セファーンの歪みを調査しています」
「あ、ああ、よろしく」
 ダイは手を差しだしたが、大林はその手を取ろうとしなかった。リュシには握手をするという風習はないらしい。民族による風習の違いはダイもよく分かっているので、すぐに手を引っこめた。
(あまり感じがよくないな)
 とは思いつつも。
「それで、なにか」
「ああ……その、歪みのことだが、なにか分かったことはないかと思って」
 まさか星辰斗と間違えたとは言えない。大林は彼のごまかしを見抜くかのように彼を凝視した。ゆっくりと、
「原因は未だに〈干渉〉が続行中である為と、〈柱〉の君から発表があったはずですが」
「それは聞いた」
 さすがに公式発表なので、ダイも本部からその情報は受けとっていた。エルシア世界とカマラ世界の一部分が引っかかってくっついている為、歪み続けているのだと。
「だが、この歪みはゲリラに力を貸している。逆に言えば、歪みさえなければとっくに奴らは捕まっているはずだ。ゲリラは歪みが発生するのを見越していたのか」
「ゲリラのことはあなたがたの方がいろいろとご存じでしょう」
 熱を帯びてくるダイの問いを、大林は素っ気なく一蹴した。だが、上司に言いつけられたことを思いだしたのか、不承不承といった態度もあらわに、
「〈干渉〉による歪みは、世界の外側からの圧力による座標空間の変形です。もし見越していたとしたら、ゲリラに強力な予知能力者がいるのかもしれませんね」
「予知能力者か」
 ダイは眉宇をひそめた。数日も前から予知ができるヌニェスは厄介だ。予知能力はピンからキリまであって、数秒前に危険を察したり、数日も前から不安を抱いたりと、漠然としたものが多い。近日中に歪みが発生し、それに乗じて作戦が練れるほどの予知とはどんなものか。それにどう対処できるのか。
 歯がゆい思いだったダイだが、ふと閃いたことを大林に尋ねてみた。
「なあ、皇帝陛下にこの歪みを補整してもらうわけにはいかないのか」
「北セファーンの二割を〈特異点〉化しろと?」
 大林は冷笑した。
「生物の住めない世界がお望みなら、提案してみますけどね」
「しかし、〈柱〉ならくっついている世界を分離することができるのではないか。世界群を支えているなら、それくらいは」
「あなたがたは〈柱〉の君をなんだとお思いなのですか」
 ダイの言葉を大林は遮った。口調こそ静かだが、その冷ややかで鋭利なまなざしに、ダイは口をつぐむ。これ以上なにかを口にしようものなら、その目で切りつけられるような、危うい空気があった。
 大林は感情を消した、ことさら抑揚のない声で、
「これ以上彼らに無理をしろとおっしゃるのですか」
「いや、俺はなにも」
「できないからこの状態が続いているのです。なんの為にアリーヤさまが十六の身空でご結婚なさるとお思いですか」
「……」
 ダイは大林を見つめた。
 一体彼はなにをそんなに怒っているのだろう。
 なぜ、そんなに自嘲めいた笑みを浮かべているのだろう。
(怒っているのは〈柱〉をないがしろにするエルシア人に対して。自嘲するのは自分もまたエルシア人の一人だから……?)
 なにを言えばいいのか分からぬまま、ダイが口を開いたとき、大林がなにかに気づいたように空を仰いだ。
「どうした――」
(ウォーレンさん)
 問いかけたダイの脳の中で、覚え慣れた思念が囁いた。以前乱暴に接触し、ダイに怒られて懲りたのだろう、おっかなびっくり触れてくるのが分かる。彼の部下グレン・ワタ・イプだ。
(どうした)
 平静を装いながら問い返す。グレンはキャンプの外で、ほかの仲間と索敵をしていたはずだ。
(マチェスターで銃撃戦が始まりました。相手は民族主義団体、幾つかの組織が混合されています。市街の為、統一軍は苦戦、もう本部にも連絡が行きます)
(分かった、そのまま観察してろ。なにかあったらすぐに呼び戻す)
(了解)
 コンタクトを切ると、大林と目が合った。彼もまた同じ情報を仲間から得たのだろう。やはりヌニェスだ。
「急用ができましたので」
「こっちもだ」
 大林は会釈すると、するりと空間の割れ目の中に消えた。
(なんの急用かは教えてくれないか)
 すっきりしない気持ちで、ダイは自分たちの部隊がいる天幕へと急いだ。

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