1



 第三の力による空間転移は、世界を歪ませ、目指すポイントの座標をたぐり寄せるというものだ。これは線形代数で表される方法で、空間転移のできるヌニェスのほとんどがこの方法を取っている。稀に龍脈の流れに乗る荒技を使う者もいるが、それは例外だ。
 意識を研ぎ澄まし、高次元にシフトさせる。精神的に統制されていない者は、魔法陣を描いたり呪文を唱えて意識を一方向に整える。
 高次にシフトすれば、三次元座標は眼下の地図だ。高みからは北極に降りるも南極に降りるも大差ないように、すべての距離が曖昧になる。
 出現ポイントを目指す。三次元座標は折り畳まれ、光のごとき速さで景色が左右に流れ、ポイントをたぐり寄せていく。到達すれば、一気に肉体も高次にシフトさせ、ポイントへ引っ張る。だから、途中で特異点があったり、不自然な歪みがあったりすると、それに引き寄せられるか、或いは跳ねつけられてしまう。減衰項が付加されてしまうのだ。
 というわけで、芙蓉の宮からマチェスター市内に転移しようとした星辰斗も、途中からずるずると引っ張りの力が減衰され、しまいには中途半端なポイントに転がり出てしまった。
「おっと」
 中空に出現してしまい、浮遊姿勢を取ってそのまま着地する。彼は飛行移動もできるから無事ですんだが、飛べない者が不用意に転移したらかなり危険だ。
 これが歪みの影響のようだ。
 辰斗は周囲を見て現在位置を確認した。
 乾燥性の植物がまばらに生える、赤い荒野が広がっている。雲一つない晴天は、目が痛いくらい青い。どうやらきちんと北セファーン自治区に入ったようだ。
 すぐ近くに大きな都市の影が見えた。立ち並ぶ高層ビル、ハイウェイの橋脚、溢れる家々――それらが蜃気楼のごとく、ゆらゆらと輪郭をぼやけさせながら、乾いた大地の向こうにある。
 あれがマチェスター市だ。荒野の真ん中に出現した、現代のオアシス。
(テレオゲートまで十キロってとこだな)
 辰斗は無造作に、第三の力による感覚の触手を伸ばしてみた。いつもより伸び(・・)のスピードが遅く、しかも重い。ぬるりとした異様な感触がつきまとう。
(ポテンシャルが高いな。これじゃあヌニェスはきつい)
〈干渉〉からまる一日、未だにマチェスター市一帯には正体不明の歪みが発生し続けていた。辰斗は少し考えると、再びふわりと空に飛び上がった。空間転移に比べて難しい飛行移動も、彼にはお手のものだ。
 都市に向かって飛ぶ。途中でハイウェイを越したが、マチェスター市に向かう線は大渋滞だった。物資を積んだトラックや大型バスなどが並んでいる。どうやらハイウェイの橋架が崩落したらしく、まったく動く気配はなかった。
 ハイウェイと連動した一般道は、上下線とも大渋滞だった。そして、渋滞に業を煮やしたか、道なき荒野をもうもうと赤い土埃を上げて走っていく車が何台もあった。
 さらに進むと、真っ黒に焦げた地面が見え、巨大な金属物の残骸が落ちていた。眉宇をひそめる。飛行機の残骸だ。
 空間の歪みはヌニェスの空間転移だけでなく、飛行運動全般に影響していた。飛行機やヘリコプターが歪みの中に入ると失速し、次々と墜落しているのだ。分かっているだけでも救急用ヘリが三機墜落、調査用ジェットが一機消滅、物資搬送飛行機一機が行方不明になっている。現在では航空による輸送はすべて禁止され、地上からのアクセスのみが可能だ。機動性が損なわれ、救援作業はかなり難航していた。
 その上、こんなときに司令塔となるべき区政府が壊滅状態なのだ。
(やれやれ、この分だと復旧作業もかなり遅れそうだ)
 マチェスター市の被害は甚大だと、先行調査員から聞いていた。マチェスター市は荒野の中の都市、交通は地上よりも航空に頼っていた。それが断たれた今、まさに沙漠の孤島状態に陥っている。
(歪みの分布図を作製して、外側に仮ポートを作るしかないな。そこまで物資を空から運ばせて、地上輸送に切り替えて……)
 色々と案を巡らせて、それから自分は救助に来たわけではないと思いだす。統一議会の下らない疑心を晴らす材料を探しにきたのだ。
〈干渉〉とともに発生した北セファーンの歪みは、すぐに消滅するという推測も虚しく、未だ厳然として残っていた。残っていたどころか、想像以上の固さでもって存在していた。なぜ消えないのか、その原因は判明していない。皇帝皇后は日ごろから奥の院に籠もって世界を支えることに集中しており、謁見は叶わない。もっとも会えたところで、そのようなことを気軽に尋ねられる相手でもない。皇太子侍従の辰斗でも、皇帝皇后は次元の異なる存在なのだ。
 霊峰王子ならまだ答えてくれるかもしれない。だが、彼も気まぐれで、いつ会えるか分かったものではなかった。結局、自分の目で調べるしかない。運よく「どうなっているのか見てこい」と言ってくれる人がいたので、これ幸いと出てきたのだ。
 なにか情報はないかと周囲を探っているに、地上で手を振っている人間が目に入った。百人以上の人間と、トラックが数台見える。マチェスター市から逃げてきた人々だろう。
 面倒に巻きこまれたくはなかったが、手を振られてしまったら応えないわけにはいかない。「ヌニェスが被災者を無視した」などと不評を立てられては困る。
 彼はすいと地上に降りた。おお、と力ない感嘆が人々から洩れる。
 被災者たちは皆、大きな荷物を抱え、疲れた表情で座りこんでいた。街から逃げてきたが、住み慣れた街を離れることもできず、こうして屯しているようだ。
 灰色の作業服姿の男が辰斗に近寄ってきた。手を振っていた人間だ。
「呼び止めてすまん。俺たちはガランシアから来た民間ボランティアだが、あんた、ヌニェスだろ」
 辰斗は頷いた。空を飛んでいてヌニェスでないと言う人間は、あまりいないだろう。
 救援隊の男は自分たちをぼんやりと見守っている人々を指した。
「この人たちはマチェスターの被災者で、適当な避難場所を探してるんだが、空からどこかいい場所を見つけてもらえないか」
「食料は確保できているんですか。テントや生活物資は?」
「それは俺たちが運んできた。だが、水がない」
 男は歪んだ笑みを浮かべた。彼も疲れているのだろう。
 辰斗は周囲を見回した。地下水脈が豊富な地だが、伏流は地下深いところにある。井戸を掘るのも大変だし、自然の湧き水が今さら手つかずで残っているはずもない。
「街にいた方がよかったんじゃないですか。いくら被害が大きいといっても、公園や避難所まで使えなくなったわけではないんでしょう? こんな荒野にいるよりはましだと思いますよ、その方が救済活動も受けやすい」
「いや」
 男は被災者たちに聞かれたくないのか、声をひそめ、辰斗の耳に口を寄せた。
「俺もあいつらにそう言ったんだが、街にいるのは嫌だって言い張るんだよ。なんか重苦しい、息が詰まるって」
 辰斗は男に気づかれないよう、口の中で感嘆した。見たところ被災者にヌニェスはいないが、それでも異常に気づいたのだ。目に見えない歪みだから、皆漠然と怯えているだけだが。
 では、マチェスターに帰すわけにもいかない。本当は完全に歪みの外に出てほしいところだが、疲れきっている人々にそう指示するのは酷だろう。それに、これから先も同じ理由で、大勢の市民が外に流れだしてくるに違いない。
 とすると、この辺にとりあえずの休息所を造っておくべきか。
 辰斗は男と周りにいた被災者たちに呼びかけた。
「なにか杖みたいなものはありますか。細い棒でもいいです」
「棒?」
 男は首を傾げたが、被災者の一人が、
「こんなボロでよければ」
 と、登山用の木の杖を渡してくれた。これを使って街から歩いてきたのだろう。辰斗は丁重にそれを受けとった。ボロでもなんでもかまわない。力を一点に集中させる為の定規が欲しかっただけだ。
 辰斗は杖で、辺りを適当に叩き始めた。
「あのお兄ちゃん、なにしてるの?」
「しっ」
 幼い無知な声と、それを窘める母親らしき女の声が聞こえる。被災者たちは空を飛んできたヌニェスがなにをしだしたのかと、彼の動きを疲れたまなざしで追った。
 辰斗はそれらを意識しながら、地面をトン、トンと叩き続けた。十数分かけ、ようやくトンという音のあとに、常人では聞こえない、
 ぽお……ん
 快い反響音がする。見つけた。
 辰斗は見物客を振り返り、
「皆さん、ちょっと離れててください」
 彼の指示で人々が後退する。ざわついてきたのは、辰斗がなにをしようとしているか、彼らにも分かったからだろう。信じられない、そんなバカな、と。
 普通のヌニェスならそんなことはできない。だが、辰斗は世界でも五指に入る強力なヌニェスだった。
 狙いを定め、杖を振りおろす。と同時に先端に向け、自分の第三の力を叩きこむ!
 ズウウ……ン
 重い地響きがして、大地が小刻みに震えた。振りおろした地点が大きくへこみ、穴となる。
 地下の深いところから低い唸りが聞こえたかと思うと、一気にそれは爆発し、岩盤を破って噴き上がった。
 わあっ。歓声が上がる。白い水しぶきをまき散らし、地下水は十メートル近くまで噴出した。
「す……っげえ」
 ボランティアの男は度肝を抜かれた様子で、生まれたての噴水を眺めていたが、ズブ濡れになった辰斗が近寄ると、
「あんた、すごいな! こんな強いヌニェス聞いたことねえ!」
 興奮に顔を紅潮させて叫ぶ。それに呼応して拍手が起きた。口々に彼を褒め、感謝の言葉をかける。
 辰斗は濡れネズミのまま、にこやかに笑い、
「できることをしたまでです。霊能庁に一報を入れておきますから、ここに避難所を設けてください。これからも大勢の人が街から逃げてくるはずです」
「あんた、一体何者なんだい、統一議会の人間か?」
「私は霊能庁の方から来ました」
 そう答える。リュシが活動するとき、霊能庁を隠れ蓑にすることが多い。警察庁とともに内務省公安院に属する組織で、ヌニェスやマジックアイテム絡みの事件を捜査担当することから、リュシの活動には使いやすかった。警察ほど身近な組織でないのも、隠れ蓑にしやすい理由だ。
「霊能庁……なら、第三の力も強いはずだな」
「ちょっと、一体どうなってるの! こんな酷い〈干渉〉聞いたことない、皇帝はちゃんと世界を支えてるの?」
 ヒステリックな怒号が割りこんだ。五十近くの、恰幅のいい女だ。辰斗は内心舌打ちしながら、そんな思いは?気にも出さず、ヒステリーがほかの者に移る前に頷いてみせた。
「確かに、三年前に匹敵するほどの大きな〈干渉〉でした」
「匹敵どころじゃないわよ、あたしの家潰れちゃったんだから! まだローンが七年も残ってたのに! 隣の婆さんは天井の梁に潰されて死んじゃったし! 一体なんの為にあたしらの税金で養ってやってると思ってんの? 本当に皇家なんて必要あるの、ええ?」
 辰斗は目を細めた。三年前の〈干渉〉はウィレン前皇太子の事故死に伴うものだった。影響は大きく、二十三世界全てに及んだが、反面各所の被害は浅かった。今回のような通常の〈干渉〉は、異世界と接した部分に強く影響が出る。
 しかし、女の言いぐさはとんだお門違いだ。皇家は税金で運営されていないし、国民に必要とされてその地位に祭り上げられたのだから。
「〈柱〉は今も世界を支えておられます」
 辰斗は空を仰ぎながら、ゆっくりと答えた。
「本当にお気の毒でしたが、〈柱〉がおられなかったら被害はさらに甚大だったと思います」
「そんなこと分かるもんかい!」
「じゃあ、〈柱〉に一度手を離してもらったら分かるな」
 横から投げやりな笑い声が上がった。それこそ辰斗が言いたかったことだが、喚いていた女の顔色がすうっと青ざめたので、本当に気の毒になった。
 彼女たちは本当に怯えているのだ。
「それは、試しでもしない方がいいかと」
「いや、いや分かってるよ」
 不安そうに成り行きを見守っていた壮年の男が、手を振って口を挟んだ。
「言葉の綾だ。みんな、大変だったんだ。本当、大変だったんだよ。世界を支えるのも大変なんだろうが、もう、あんな思いは嫌なんだよ……」
「〈柱〉は、次もちゃんと、世界を支えてくれる?」
 隣にいた若い女が怯えた声で問う。その言葉が、その場にいた人々の気持ちを代弁していた。〈柱〉を失うことなどできないと。
 辰斗は表面上は真摯な面もちで頷いた。
「もちろんです。あなた方が望むかぎり、〈柱〉はそれに応えてくれると思います。彼らは約束は違えません」
「ほ、本当かね」
「頼んだわよ。まったく、もう」
 辰斗に噛みついた女が吐き捨てるように、だが最初の勢いはなく、弱々しく呟いた。

       ※

 宙を飛びながら、辰斗は先ほどの一悶着を振り返っていた。
 うまく芙蓉の宮への不満を抑えることができたのはいい。このパターンで攻めれば、大半の被災者は言いくるめることができるだろう。
 だが、残りわずかな人間がもっとも厄介なのは分かりきったことである。
(うまく統一議会がさばいてくれればいいんだが……そこまで期待するのは無理か)
 今の統一議会に統轄力はない。今でなくても発足したその日から、内紛を丸抱えし、矛盾に見て見ぬふりをしてきた。絶えずどこかで紛争が起きているのはその証だ。
 体が揺らいだので、彼は姿勢を直した。やはり彼でも井戸を掘るのは力のいる仕事だった。しかも第三の力を減衰させる歪みの中でだ、かなり体力を失い、飛ぶ速度も前より遅い。
 前方によく知った気配を捉え、彼は再度降下した。
 荒野に降り立つ。そこには彼の眷族が十数人集まっていた。皆、てんでバラバラの方角を向き、突っ立っているだけだが、辰斗には彼らがなにをやっているのか分かっていた。
 彼らはその場の空間の情報を読んでいるのだ。
「あれ」
 そのうちの一人、淡い茶色の髪の細面の青年が辰斗に気づき、くすくすと笑った。
「どうしたの、ズブ濡れじゃない」
「ちょっと点数稼ぎをね」
 辰斗も笑って答える。
「なんで君が来たんだい、ちょっとあちこちに首を突っこみ過ぎじゃあないかな。皇太子侍従ともあろう者なら、ちゃんと殿下のおそばにいるべきだよ」
「おそばには今いちばん暇な老人が待機しているさ」
「皇帝侍従どのに向かってなんてことを。まあ、暇だろうけど」
 辰斗の父親でありリュシの族長たる星日鐘(リツオン)を捕まえて、ひどい言いぐさであるが、実際奥の院に皇帝皇后が籠もられると、二人の日常の世話と内宮の管理を担っている日鐘はルーチンワーク以外にやることがなくなる。同じ皇帝侍従の瀬郁は皇帝代理として次元機構に出席しているし、統一議会との調整は宮内庁侍従イブラヒム・イルハンの仕事だ。
 アリーヤの守護を頼むときは小言の山と引き換えだが、代わりが日鐘でもなければ、こんなときに皇太子のそばを離れるわけがない。
「それより大林、流れは掴めたかい」
「ちょっと難しいな。十三方向で読んでいるけど、乱れが複雑で定まらない」
 晩大林(ワンターレン)は端正な顔をしかめて答えた。彼は可愛い少年がそのまま大きくなったような、母性本能をくすぐる柔らかい輪郭を持っている。年は二十三、辰斗より二つ下で、ゆくは辰斗の片腕となる人物だ。
「せめて風水士がいればいいんだけど。リュシはその方面はあまり得意じゃない。辰斗、知りあいにいない?」
「そうだねえ。ヌニェス会館に問いあわせてみるか」
「そうしてほしいな。それより君、太股張ってるよ、なにしてきたんだい」
「井戸を掘ってきたんだ。ちょっと力みすぎたのかな、大林、休ませてよ」
「それでさっき地響きがしたんだね」
 くすくす大林が笑う。辰斗も喉を震わせて笑い、大林の肩にしだれかかった。
「若長」
 見かねたのか、隣の男が口を挟んだ。彼は地図を差しだし、
「今までに調べた境界面の地図です。今日中には終えたいので、手伝いにきてくださったのなら作業に移っていただきたいのですが」
 そうやって二人でふざけあっている場合ではないぞと、男は生まじめな表情で言外に脅してくる。辰斗は地図を受けとった。
「手伝いにきたわけじゃない、感触を確かめに来ただけだ。歪みの中で第三の力は使えるか」
「はい、少しは。でも、制御が難しいです。あまり強い力は出せませんよ」
「市内じゃヌニェスがばたばた倒れているって話だよ」
 大林が口を挟む。辰斗は地図に引かれたばかりの線をなぞり、
「ここが救済の拠点には最適だな。分析が終わったら統一軍に報告してやれ」
「軍ですか……」
 男が歯切れ悪く呟いた。
「どうした? 向こうも情報の提供を求めているはずだ」
「いえ、それは分かっていますが……」
「辰斗、災害派遣隊の指揮を執るのは、バルト陸軍少将らしいよ」
 答えづらそうな朝家の男に変わって、大林がいたずらっぽく目を光らせて言った。辰斗も目を瞠り、それから大袈裟に頭を抱えた。
「ああ、また面倒な方が出てきたもんだ! 災害派遣の経験なんかないだろうに」
「〈干渉〉絡みだから、国防省もバルト少将が適任だと勘違いしたんじゃない」
 大林も口調は柔らかいが、内容は辛辣である。
 ファイス・バルト陸軍少将。現在の肩書きでは辰斗たちをそれほど悩ませる存在だとは分からない。だが、「現皇帝の長男であり、マリア皇女の実兄」と言えば、少しわけ知りの者なら納得するだろう。
 柱力(ユマ)を持たない為、成人とともに芙蓉の宮から飛びだした元皇子は、その後、民間人として入隊し、頭角を現して確実に地位を登り詰めていった。そして、四十七歳の現在、少将という地位にある。
 頭が痛いのは、アリーヤが皇太子に冊立したとき、「同じ柱力(ユマ)なしなら自分にも権利があるはずだ」とファイスが主張したことである。結局、アリーヤには柱力(ユマ)を持つ婚約者がいるということで、彼の主張は退けられた。彼には民間人の妻がいるし、生まれた一人娘も柱力(ユマ)なしだ。
「ファイスさまはリュシを嫌っておられるからな」
「あのときは楽しかったね」
 くすくすと、小悪魔の笑いを洩らす大林。アリーヤの冊立を巡って、リュシ族はファイスにさまざまな工作という名の嫌がらせを仕掛けたのだ。もちろん、表立って自分たちだと分かるようにはやっていない。だが、ファイスとて犯人がリュシだと分かっていたはずだ。そして、彼は引き下がった。
「あのときの復讐に出るかな?」
「そこまで公私混同はしないだろう。あれでもファイスさまは利口な方だ。芙蓉の宮の危機は統一議会の危機だ」
 皇宮を追われて統一軍に根を下ろしたファイスが、自分の足場を自ら崩すはずはない。
「そうかなあ。ぼくにはそうは思えないけどね」
 楽しげに大林が言い返す。
「意外とああいうタイプは執念深いよ。しかも、自分で陰謀を巡らせているつもりで、誰かに操られるタイプ。彼は全然潔くなんかない」
 元皇族への敬意などみじんもない口調だ。芙蓉の宮から出た時点で敬意の対象外になっていることもあるが、なによりもアリーヤに敵対する人物に礼儀を払う気にはならないというのが本音だろう。
 それでも、やはり腐っても元皇子だ。そして辰斗は、一族を率いる星家の若長だった。
「大林、そういう言い方はしないように」
 辰斗が窘めると大林は口をつぐんで頷いたが、辰斗の気持ちは重々承知しているだろう。
 辰斗は隣の男に向かっても、
「相手が誰であろうと被災者救助には関係ない、ちゃんと連絡するように。リュシの名前を付けてな」
 最後に辰斗は意味深長に笑ってみせた。男もすべて了解して大きく頷く。
「じゃあ、私はそろそろ帰るよ」
「あれ、おいしいところだけかい。中には入っていかないの」
「時間がないんでね」
 辰斗はふわりと宙に浮かんだ。彼が皇宮を離れていられる時間は少ない。
 眼下で大林が手を振るのに、片手を上げて応え、空間転移ができるポイントまで急ぎ戻った。

       ※

 球状のエルシア世界は海半球と陸半球に分かれ、陸半球には四つの大陸が存在する。北東にシア大陸、中央にハイネルンスト大陸、南にパートリア大陸、西にガナシナ大陸、そして南極にも小さな陸塊がある。
 その中でもフリンカムのあるシア大陸と中央のハイネルンスト大陸は、ネルン山脈を境に接しており、二つを合わせた形は頭でっかちな犬が歩いているようだと言われている。その犬の尻に当たる部分に、北セファーン自治区はあった。
 総面積五二万平方キロメートル、人口二千万人。レタ海に面しているが、海岸沿いはガランシア山脈が立ち塞がり、山脈以南はハイナ・セファーン沙漠の一部として乾燥地帯が広がっている。降雨量はそれなりにあって、地下水脈も豊富だ。産業の中心は放牧による肉牛生産だが、北西部では灌漑農業も盛んで、赤い大地から小麦をはじめ多種多様な農作物が作られている。
 住民の四十パーセントがマルセン民族、二十パーセントがセファーン民族。人々は大らかで堅実だが、排他的なところがある――それが地勢データに記された北セファーン自治区の概要だった。
「いやあ、沙漠沙漠と言うから、不毛の砂丘を思い浮かべてたんですけど、違うんですねえ」
 助手席に座っていたグレン・ワタ・イプが、外の景色を眺めながら感嘆した。ハイナ・セファーン沙漠に来たのは初めてのようだ。
 運転席のダイ・ウォーレンは情報端末を操作する手を止め、部下に倣って辺りを見回した。
 南セファーン自治区から北セファーンに入ったスクランブル部隊は、現在、ガランシア山脈を左手に見ながら人気のない荒野を北上しているところだった。大陸の中央に行けばグレンが望む砂沙漠も見ることができるが、北セファーン辺りは比較的植生が多い。
 乾燥に強い灌木が生える、茫漠たる平原をダイは眺めながら、
「ハイナ・セファーン沙漠は南のリプス・ロノイドと違って降水量が多いからな。年間一○○ミリ以上は降るそうだ」
「そのようですねえ。いやあ、残念だ。娘に砂丘の砂を持って帰る約束をしたのに。いや、残念」
 グレンは防塵除けの眼鏡を押さえながら、鼻歌でも歌いそうな声で呟いた。どうもこの最年長の隊員は軍人としての自覚がないようで、従軍調査隊の学者とでも紹介した方が似合っている。うっすら埃をかぶった軍服もてんで合っていない。
(まだ入隊して半年だ、しかたないな。ずっと会社員をやってきたんだし)
 ダイは細かいことにこだわらないたちなので、グレンに自分を変えろと強制するつもりはなかった。人間が大勢集まっているのだから、それぞれ個性があって当然だ。そんな考えだから、体よく厄介部隊を押しつけられてしまったのだが。
 グレンが端末に目を落とした。
「報告書は書けましたか?」
「いや、どうも俺はこういうのが苦手でね。今のところろくに報告する内容もないし」
 南セファーンにある第十基地まで飛行機で運ばれ、そこから四台の軍用車で北上すること、丸一日。目の前には西から北に向かってそそり立つガランシア山脈が見える。このまま走れば一時間で最初の目的地の村に着く。その前に部隊はいったん休止して、情報を仕入れていた。
 ダイたちの車の後部ボックスでは、三人のオペレーターが最先端の機器を駆使して、フリンカムや付近の自治区、基地などと連絡を取りあい、情報を処理している。機動部の隊員たちも外で銘々第三の力を使って、独自に情報を集めている。ダイは本部から送られてきた歪みの分布図をもとに、進行ルートを弾きださせていた。空間の歪みはヌニェスに悪い影響を与え、それ如何によっては今後の活動にも支障が出てくる。
 グレンは今のところ待ちの状態なので、こうしてダイに付きあってくれているのだ。
「それにしても、こんなにのんびりしてていいんでしょうかねえ。緊急出動(スクランブル)の名が泣きますよ」
 そう言ってグレンが笑う。悪意はない発言だ。ダイも苦笑した。
「大戦時代の名称をそのまま引き継いだからな。今の俺たちは入国管理隊とでも名乗った方が適しているよ」
「本当は情報部の管轄じゃないんですか」
「いや、それは――あっ、間違えた。くそっ」
 操作ミスをして、ダイは舌打ちした。書くことがないときの報告書ほど嫌なものはないのに、そういうときにかぎって何度も書き直す羽目になる。
 グレンが憐れみのまなざしで、
「私が書きましょうか。そういうのは得意なんですよ」
「いや、俺の仕事を取らないでくれ。それより、斥候に出した奴と連絡取ってくれ」
「はい」
 頷くと、グレンは耳に手を当て、瞑想するように瞼を閉じた。
 グレンの第三の力はテレパシー能力に特化している。ヌニェス・レベルは低いがテレパシーの強さは軍一で、最近技術開発研究所が開発した九十八パーセント第三の力を遮断できるという妨害シールドも、まったく問題なく透過できる。
 もっともヌニェスによる妨害にはまったく歯が立たないところが、レベルの低さを表しているのだが。
 グレンが眉間にしわを寄せている間に、誰かが車に近寄ってきた。
 浅黒い肌に鋭い野性的な目つき――ワヒード・バシャル軍曹だ。彼はダイと目が合うと、軽く手を挙げた。
「たいちょー、いいっすかあ」
「あー、えっと」
「私ならもう少し時間がかかるので」
 にこやかにグレンが答える。ダイは頷くと、車を降りた。
「どうした?」
「例の歪みの件だけどよ」
 そう言うと、ワヒードはその場に屈み、小枝で地面に線を描き始める。
「特異点はどうも二、三カ所あるみたいだぜ。波動が干渉しあってて、うまく突き止められねえや」
「オルニカ市の〈特異点〉は?」
「引きずられてるよ。龍脈を読める奴がいりゃあいいんだが、あいにくと俺らん中にゃいねえしな。んで、ここと、ここと、ここが強いところだから、みんな近寄りたくないと。ここら辺が比較的薄いところだから、ここから攻めていかねえ?」
「地図でいうとどこら辺なんだ」
 とてもなにかを表しているようには見えない、ぐじゃぐじゃの線の集まりに閉口して、ダイは車から地図を取りだして広げる。
 ペンで地図の上に線を描き直すワヒードを横目に、ダイは少し離れたところで三々五々集まり、車座になって瞑想のていに入っている隊員たちを見た。
 ヌニェスでないダイには、彼らがどのような方法で探査を行っているかまったく分からない。ただ、彼らの力には相性があって、増幅する波長を持つ者同士がグループを組んで、ああやって輪になって調査をしているのだ。もっとも力の相性は性格には関係ないらしく、しばしばもめごとも起こるが。
「たいちょー」
 ワヒードが進入ルートを描きながら話しかけてくる。
「リュシさんの方は、なにか進展があったのかねえ」
「さあな。氾科研からぽつぽつ本部に情報が入ってるみたいだが」
「相変わらずの沈黙主義って奴かい」
 せせら笑うワヒード。ダイも苦笑を浮かべた。
「リュシを敵に回してるってのは、こういうとき嫌なもんだぜ。氾科研の情報網から締めだされちまう」
「外務省があるだろう」
「瀬一族がなにしてくれんのさ、あいつらはてめえらのことしか考えてねえもん。リュシの方がまだ外面いいよ、ヌニェス会館とのつながりも強いし」
 なにかおもしろい冗談だったのか、ワヒードはげらげらと声を立てて笑った。
「もともと瀬一族は征服者で、リュシはゲリラなんだ。征服者は服従を求めるし、ゲリラはできるだけ仲間を作ろうとするのがさがなんだよ。今は両方とも〈柱〉に取りこまれちまってるけど」
「……」
「どっかで氾科研とコネ作れると楽なんだけどな。みんな、そうぼやいてるぜ」
 最後のセリフは声をひそめる。ワヒードは隊員の不満をこうしてダイに伝えてくれる。ヌニェスでないダイの役割は、そういった不満の解消であり、外部との交渉だ。
 つまり、ダイに「氾科研とコネを作ってこい」と言っているらしい。彼は頭を掻いた。
「コネなあ……氾科研なんて、とんと縁がないなあ」
 頭の中にふと閃いた名前があった。
(でもなあ、あいつはなあ……)
「隊長、あれ」
 ワヒードが指す先を見ると、荒野の向こうから人影が近づいてきた。大きな荷物を背負って、どうやら被災者のようだ。
「マチェスターから逃げてきたのかな」
 二人は立ち上がり、人影を待った。




←back

→next