貫汪館 久留米支部
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久留米の武道史

 はじめに


 久留米で行われた武術各流派について記していきます。逐次増補し、解説を加えます。



剣術

[大石神影流]

 久留米藩においては大石神影流は組織的に教育される事はなかったものの、柳河藩の大石進のもとで修行するものがあった。写真は大石神影流諸国門人姓名録の一部であるがこの中に久留米藩士の名も見える。
 奥村七助は後に園田円斎と称したが、久留米藩士で加藤田平八郎の門人であり加藤田新陰流奥免許12人の内の一人である。大石進のもとで竹刀稽古を学んだ。

『大石神影流『諸国門人姓名録』の一部



[浅山一伝流]

 久留米藩では白水大学一教を祖先とする津田一左衛門教正が浅山一伝流の免許を得て(15代)久留米藩の師範となった。はじめ江戸詰であったが、文化9年4月に国詰となった。 しかし、津田家より出た伝書には写真のように津田一左衛門教正以前に津田家の人物を二名入れたものも発行されている。 
 父、津田教正のあとをうけ、その子、津田伝教明が師範となり、その子津田一左衛門正之は嘉永6年家督をついで師範となったが、のちに久留米藩主の意により津田一伝流を開いた  浅山一伝流は剣術、柔術等の内容を含む多岐にわたった流派であったが久留米においては剣術として発展した。
津田伝教明が発行した伝書の系図


浅山一伝流伝書の一部


[愛洲陰流]


[加藤田神陰流]


[岩流]


[直心影流]


[津田一伝流]


[当流]




[新以心流]

 新以心流の流祖は小倉の大津山有眼斎信時。大津山の前名は渡部甚吉である。大津山は小倉藩士の三井此右衛門に以心流、無天流を学び、さらに木村源之丞から無眼流を授けられ新以心流をはじめた。居合のみではなく剣術も伝える。
 久留米では大津山に習った日比生の井上要左衛門勝寛が文久9年に浪人格を仰せ付けられ月に数回、久留米城下で藩士を指導した。常に子に「人は忠孝を第一とし治世といっても常に身を乱世に置くと心得よ」と教訓したという。
 次男の井上直次郎も大津山有眼斎信時につき修行。文政10年父亡きあと浪人格を相続し父と同じく月に数回、久留米城下で藩士を指導した。直次郎は咸宜園の広瀬淡窓にも学び、淡窓の許しを得て日比生』村に塾を開き塾生を指導した。嘉永5年には学業・居合ともに習熟、かつ門弟指南行き届きにより御祐筆格、七人扶持を給せられた。


[新田宮流]


[田宮流]



 槍術


〔大嶋流〕

 久留米藩は妙見自得流が大きな勢力をもっていた流派であり、他藩からの門人も引き受けていたが、柳河藩の大嶋流槍術師範 加藤善衛門に入門していた久留米藩士が「旅弟子姓名録」によって少なくとも4名確認できる。(写真の左、4名)
 これらの人物が大嶋流のみを修行していたのか、久留米の流派を修業して後、さらに修行を深めるために加藤善衛門に入門したのかは不明。
 しかし、久留米藩において大嶋流の組織的な稽古は行われなかったと考えられる。

柳河藩の大嶋流槍術師範 加藤善衛門 「旅弟子姓名録」の一部


[田派宝蔵院流]


[宝蔵院流]


[妙見自得流]
 
 妙見自得流は管槍の流派で黒田藩に仕えた井上兵左衛門照一を流祖とする。兵左衛門は妙見明伝流を杉本宗真に学び、妙見自得流を開いた。
 久留米藩へは甥の井上三太夫が伝えた。井上家でもっとも有名だったのは井上照算で他藩からの多くの門人を引き受けた。明治14年没
 井上兵左衛門照一 ― 井上三太夫久豊 ― 井上順蔵照邑 ― 井上三太夫照敬 ― 井上弥左衛門照算 ―井上順蔵照続

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       井上弥左衛門照算石碑     妙見自得流伝書


 薙刀・長刀


[楊心流]

 加藤田神陰流の加藤田平八郎は天保八年、肥後浪人の星野勘左衛門正福に楊心流の薙刀を学びその皆傳を得た。平八郎の子の大介は父より加藤田神陰流と楊心流の薙刀及び鎖鎌を学び、明治8年自宅に道場を開設し剣術と薙刀を教授し、久留米高等女学校においても薙刀の師範をした。

 柔術


[扱心流]


[新々関口流]


[新関口流]

 久留米藩には佐田門兵衛の門人の浅田忠次郎がいた。


[関口新心流]

 久留米藩の師範は赤松十郎左衛門義直(寛保元年没)−赤松要助祐直(安永6年没)ー赤松忠太夫則直(文政4年没)ー赤松要助升直(天保3年没)ー赤松忠太夫ー赤松三次郎と代々赤松家出受け継がれている。
 赤松十郎左衛門義直は赤穂浪士の武林唯七の酒友で武林が泉岳寺に引き上げた時、これを尋ね、形見として仇討ちの際に用いた鎖鉢巻を授かったという。


[関口流]


[良移心頭流]


 棒術


[昭心流]


[真三貫流]


[奥山真貫流]


 弓術


[日置流道雪派]

 山村只松の門人に大日本武徳会教士 青木正義がいた。青木は櫛原町に道場を設け、久留米商業高校などの師範を勤めた。


[日置流竹林派]



 馬術


[大坪流]


[人見流]


 泳術


[千歳流]


 砲術


[磯流]


[荻野流]


[自縁流]


[西洋流]


[種子島流]

 種子島時尭の臣 笹川小四郎が主命によりポルトガル人から火薬・鉄砲の製法を学んだのが始まりとされる。久留米藩では師範に青木半次、青木伴作がいた。青木伴作は明治19年に没している。


[千歳流]

 千歳流は久留米藩最後の11代藩主 有馬頼咸によって始められた砲術。頼咸は砲術各流派を研究し、慶應3年には千歳流伝書を著した。頼咸は士卒の全てに新式の銃器を携行させようと考え、城門外に射的場を設け、技を練り、藩士には従来学んだ各流の砲術を捨てさせ、藩士全てを千歳流に統一した。


[鳥居流]


[若松流]

 久留米藩には平山武薫の門人の浅田門次(文久元年没)がいた。
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