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マリア・カラスとは端的にいって、オペラがもっとも苦手とした近代リアリズムを事実上、初めて歌唱表現に導入したオペラ歌手だった。
人間の会話や独白を音楽に乗せて運ぶオペラとは、ドラマ形式としては非常に不自然で非合理的なものだ。この舞台芸術は、合理性よりも様式性、自然さよりも形式を優先させる。しかしカラスはオペラをうたいながら、そこにリアリズムの合理性を導入し、なおかつ音楽の様式美を犠牲にしないという離れ技をやってのけた。それによってオペラの表現領域を、飛躍的に拡大した。
かつてフランコ・ゼッフィレッリが、オペラ史をカラス以前・以後に分けてBC・AC(Before Callas, After Callas)と呼んだのも故なしとはしない。事実カラスの出現以後、男女を問わずオペラ歌手たちの表現スタイルは大きく変化した。その変化の大きさは、いささかオーバーだが西洋史のBC・ADの区分にもなぞらえられる。もっとも、中にはヘタにリアリズム演技を持ち込んでオペラの美点を損ねてしまった例もないではないので、必ずしも進歩向上ばかりとはいえないが、オペラ歌唱がそうして近代化されたことは疑いない。したがって、各時代のライヴ録音をつうじてカラスの成長の跡をたどることは、とりもなおさず20世紀のオペラ歌唱様式の変化をたどることになる。
さいわい、真偽のほどがあやしい少女時代の歌から最晩年の自宅におけるリハーサル録音まで、カラスの現存する録音はほぼすべてがCD化され、市販されている。そのおかげで彼女が年齢とともに成長していく過程を私たちは逐一、具体的な音でたどることができる。オペラのライヴ録音は無数にあるが、その成長と変化の跡をこれほど系統立ってたどることのできる歌手はほかにない。
マリア・カラスをライヴで聴くべき理由は、もう一つある。重要性は、こっちの方が大きい。
カラスが実力をフルに発揮できた場は、1959年のラジオ番組(のちにLP化された)で彼女みずからが述べているように、レコーディング・スタジオの中ではなく聴衆を前にしたオペラハウスのステージの上でだった。やり直しのきかない状況に置かれたとき、そして、よきにつけ悪しきにつけ自分の芸に対する大衆の反応を直接確かめられる場に立ったとき、彼女は初めて持てる力を極限まで出し切ることができた……
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