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マカルー登山報告書

                    千種アルパインクラブ   波多野 了史

ヒマラヤ登山への想い

山登りを真剣にやっていれば、大抵の人はアルプスやヒマラヤに登ってみたいと思うことでしょう。
ただそれを実行には家庭を犠牲にするし、会社を辞めれば後悔する時が来ることも想像できた。
しかし、「憧れのヒマラヤ」として終わってしまい、後々後悔したくはなかった。
これまで、まずまずの登山経験を積んできたし、体力的にも35歳になりピークの状態である。
どうせ後悔するなら好きなことをやって、後悔したいと思うようになった。「時は来た。ヒマラヤに行こう!」と決意したのは2006年の春のことである。

登山隊への参加

ヒマラヤ登山どころか海外登山すら行ったことが無いので、千種アルパインの代表である瀧根さんに、ヒマラヤ行きの想いを伝えて遠征隊の紹介を幾つかしてもらった。
2006年秋のパキスタン7500m級の未踏峰、2007年春の天山山脈6000m級の未踏峰に参加希望をしたが、隊員不足のため計画段階で消滅してしまった。
つづいて未踏峰を含む6000m級の山3座の紹介もしてもらい、神奈川県まで行って登山内容の説明を受けたが、魅力を感じず自ら断ることになった。
「そう簡単にはヒマラヤには行けないものだなぁ」と実感する。
瀧根さんの知り合いである、平成山岳会代表の田中さんのホームページを見ていたら、2008年予定のヒマラヤ遠征の書き込みを見つけた。
瀧根さんに「田中さんの遠征に参加したい」と伝えると、後日田中さんから快く参加を迎え入れてくれた。
田中さんとは3年前に一度だけザイルを組んだことがあり、その時に好印象を受けていた。ヒマラヤに限らず国内の山も一緒に登りたいと感じていたのだった。
既に具体的な計画が決まっていると思っていたが、何も決まっておらず我々で隊を組織するか、どこかの隊に入り込むかの選択から始まった。
丁度その頃、勤労者山岳連盟からチョーオユーとシシャパンマの、隊員募集をしていたので我々はそれに募集をして、正式にヒマラヤ登山の隊員となったのは、2007年の秋のことでした。
「自分の力だけではヒマラヤに行けない」としみじみ感じました。

田中さんに受入れられたことを伝えに、黒部五郎小屋まで会いに行った

トレーニング

会社に行く前にロードのランニング8kmや東海自然歩道でのランニングを行っていたが、2007年11月に会社を辞めてからは、トレーニングの量を大きく増やした。
最初は自転車を使用してのトレーニングも行って、足の筋肉を鍛えていたが折りたたみ自転車では効率が悪いし、車が通り抜けると排気ガスが気になるので、2週間ぐらいしたらこのトレーニングは採用しなくなった。
心肺機能を高めることに重点を置いて、東海自然歩道でのランニング約30〜40kmがトレーニングの中心となった。
静かで人目を気にせずに集中できる環境が、家の直ぐ近くにあることはとてもありがたい。
僕のトレーニング理念は、「トレーニング内容を深く考えず楽しく行う」である。
よって犬山から瀬戸までの東海自然歩道を、日替わりでルートを変えながら走っていた。しかも枝道が何本も作られているので、そういったルートも通ると新鮮で飽きることが無い。またカブトムシが居そうな樹を見つけては、夏になったら子供と取りに行こうと思うのも楽しい。
走りながら「今日はLSDトレーニングをする為にフラットなルートを選ぼう、今日はインターバルトレーニングをやる為に急登のルートにいこう」とその日の気分でトレーニング内容とルートを決めていた。
ボッカトレーニングは一切行わず、山に行く時だけ必要な装備と酒を持って登り、ある程度の重荷には慣れるように心がけたぐらいである。
高所トレーニングとしては、12月に富士山の山頂で一泊した。1月2月も富士山に通ったが、やはりこの時期の富士山は手強く、残念ながら山頂まで達しなかった。
今やアルプスの山を登るのにも、低酸素室でのトレーニング利用者が少なくないことは知っている。
しかし僕はこのような施設(クライミングジム・トレーニングジム)では気持ちが燃えないので、利用することは無かった。
低酸素室で自転車を漕いでいるより、自然の中を必死になって走っている方が効果は大きいと考えていた。

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