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生物科学研究所 井口研究室
Laboratory of Biology, Okaya, Nagano, Japan

アリの歩く速さと走る速さ


更新:

最近,本研究は下記論文に引用された。クロオオアリを使ったその研究でも,移動速度分布は,本研究と同じく,右に尾を引いた(skewed to the right)形になるということで興味深い。

北村和宏・石渡信吾・平山修(2014)クロオオアリの採餌行動における経路選択の実験. 形の科学会誌, 29(3): 192-205. PDF


The walking and sprint speeds of the Japanese ant Formica japonica

Yutaka Iguchi
Director
, Laboratory of Biology
Last Updated:

There are many studies on the walking and sprint speeds of ants, but few on comparison between these speeds. We (Iguchi and Shiba, 1988) measured them for Formica japonica and found that whether they walked or sprinted, the relative variation (the coefficient of variation) in their speed was nearly constant (Fig. 1 and Table 1). The results also suggest that they usually walk at a faster pace than we do. We also found that the right-skewed distribution of sprint speeds in ants were similar to our sprint speed distribution (Figs. 2, 3, Table 2, 3).

References

Iguchi Y. and Shiba A. (1988) The walking and sprint speeds of the Japanese ant Formica japonica. Konchu to shizen (The nature and insects) 23(13): 24. PDF (abstract)


アリと人間の速さの比較

井口豊 (生物科学研究所
最終更新:

ここに紹介する井口・柴(1988)は,クロヤマアリ(Formica japonica)の歩く速さ(歩行速度,walking speed)と走る速さ(疾走速度,sprint speedを調べ,その個体差を考察し,さらに,人間の疾走速度の個人差と比較した研究である。実は,この研究は,筆者の1人,柴君が 岡谷市立岡谷北部中学校の1年生だったとき,私(井口)の研究室での指導の下,夏休みの自由研究として行った実験結果を「 昆虫と自然」に投稿したものである。本来なら,筆頭著者は柴君となるべきであるが,私(井口)が全面的に執筆責任を負ったので,井口・柴(1988)とした。ここでは,この研究結果をもとにして,さらに分析を付け加えて解説する。

アリの歩行速度の研究自体は珍しいものではなく,例えば, Topoff et al. (1972)Billen and Gobin (1996)Hurlbert et al. (2008) の研究がある。この速さは種によって異なり,気温の影響も受けるので(Hurlbertet al., 2008),一概には言えないが,20–30°C で,1–14 (cm/s) 程度になり,種による違いが意外と大きい。

アリの歩行速度に関して,多数の英語論文に目を通したわけではないが,特に定義しない限り, walking speed とも, running speed とも言うようである。日本語にすれば,「歩く」と「走る」では,かなりイメージが違うが,アリに関しては,どんな状態が walk であり,どんな状態が run なのか,人間が意図的に定義しなければ,区別するのは難しい。それを敢えて区別してアリの移動速度を測定し,考察したのが,井口・柴(1988)であった。

なお,物理学的厳密さから言えば,速度はベクトルであり, velocity と書くべきであろうが,ここでは一般的な意味での速さ(speed)として,つまりスカラーとして,単位時間当たりの移動量を,敢えて速度と呼ぶことにする。

さきほど紹介したのは海外の学術的な研究だが,日本国内でも,宮城県の仙台市立六郷中学校理科の授業において,アリの歩く速さが調べられている(仙台市立六郷中学校2年,2004)。この研究でも,アリの歩く速さが気温の影響を受けることが示され, 20–30°C で, 1–5 (cm/s) 程度と記されている。

話は脇道にそれるが,この六郷中学校の研究記事では,誰が執筆責任者か分からない。先生が全て書いたのか,生徒たちが先生の指導を受けて書いたのか,さっぱり分からないのである。しかも,この研究結果が,学術誌または学校の理科報告等に掲載されたのかどうかも不明である。理科離れを嘆く先生が多いというが,こういう研究発表の手続きのイロハを教え,論文作成まで持っていくことを指導することも大切なのである。実験・観察させ,レポート書かせて,採点しました,で終わらせてほしくないのである。もしかすると六郷中学校でも,論文作成を生徒に実践しているのかもしれないが,このウェブページからは分からない。欲張りすぎかもしれないが,知識や技術を習得するという受身の教育ばかりでなく,全国さらには全世界に向けて情報を発信できる生徒を早い段階から育ててほしいと思う。

話を元に戻すと,柴君が調べてみようと思ったのは,アリの歩行速度と疾走速度の比較であり,さらにその結果を人間(ヒト)の場合と比較することであった。単純にアリの速度とヒトの速度を比較したら,ヒトのほうが速いことは実験するまでもない。しかし,柴君のアイデアがユニークだったのは,アリとヒトにおける歩行速度(walking speed)と疾走速度(sprint speed)の比を調べてみようと思った点である。疾走速度は歩行速度の何倍なのか,あるいは,歩行速度は疾走速度の何分の一なのか,それをアリと人間で比較しようと思ったのである。

学術的な研究とすれば,多数の人の歩行速度と疾走速度を調べてみる必要があるのだが,残念ながら,そこまで標本調査ができず,本研究では,柴君個人のデータとクロヤマアリの実測データを比較にとどまった。それでも以下に述べるように,興味深いことが分かったのである。

アリの歩行速度は,巣から1m離れた場所に置いた砂糖まで,アリが歩く時間をストップウォッチで計測し,その数値から算出された。一方,アリの疾走速度は,柴君がアリを追い立てて 5 秒間走らせた距離から算出された。なお,論文(井口・柴,1988)の中では,前者を通常速度,後者を逃走速度と名づけている。

次の図1が,クロヤマアリの歩行速度と疾走速度の頻度分布である。

クロヤマアリの歩く速さと走る速さの頻度分布
Fig. 1 Frequency distributions of walking and sprint speeds of the ants Formica japonica. For both experiments, n = 50. Data from Iguchi and Shiba (1988).
図1. クロヤマアリの歩行速度と疾走速度の頻度分布. n = 50. データは,井口・柴(1988)より.

疾走速度のほうが,右に尾を引いた分布となっている。ただし,このウェブページを書くに当たって,新たに検定してみると,いずれも正規分布と有意に異ならなかったShapiro-Wilk test, walk p = 0.13, sprint p = 0.32)。

また,これらのデータの基本統計量を,次の表1にまとめた。

表1. クロヤマアリの歩行速度と疾走速度の基本統計量.SDは標準偏差,CV(= SD/Mean)は変動係数.データは井口・柴(1988)より.
Table 1 Basic statistics for walking and sprint speeds of the ants Formica japonica. SD is standard deviation and CV (= SD/Mean) is the coefficient of variation. Data from Iguchi and Shiba (1988).
クロヤマアリの歩行速度と疾走速度の基本統計量

この表1をまとめるにあたっては,柴君に,標準偏差とか変動係数とか,通常の中学1年生が学んでない計算についても,その概念を教えた。たかが中学1年と侮ってはいけない。若い人たちに科学の世界に慣れ親しんでもらうためには,教員や研究者が,彼らを一歩でも先の世界に連れて行く姿勢こそ大事なのである。

表1を見ると,アリの歩行と疾走では変動係数がほぼ同じであり,平均値の違いを考慮すれば,相対的なバラツキ具合(relative dispersion)は,ほぼ同じであった(井口・柴,1988)。

またこれも新たに,歪度(skewness)と尖度(kurtosis)とを計算してみると,以下の表2のようになった。

表2. クロヤマアリの歩行速度分布と疾走速度分布の歪度と尖度.
Table 2 Skewness and kurtosis of the walking and sprint speed distributions of 50 Formica japonica ants.
クロヤマアリの歩行速度と疾走速度の歪度(skewness)と尖度(kurtosis)

いずれも,右に尾を引いた(skewed to the right)平べったい(platykurtic)分布であると分かる。

北村ら(2014)によるクロオオアリ(Campontus japonicus)の移動速度研究でも,本研究と同じく,右に尾を引いた速度分布となることが示されている。

「右に尾を引いた」とか,「平べったい」とか言っても分かりにくいと思うので,疾走速度の分布に対して,正規分布の確率密度関数(normal density function)とガウス型カーネル密度関数(Gaussian kernel density function)を適合させたのが次の図2である。

なお,このグラフ作成に当たっては,古生物学や生態学の分野で有名なフリーの表計算・統計分析ソフト PAST を利用した。PAST は,フリーウェアながら,t検定から,F検定,カイ二乗検定,分散分析,Kruskal-Wallis 検定,Friedman 検定,正規性検定,さらには,重回帰分析,多変量解析なども可能な優れたソフトである。もちろん,以下のようなグラフも書ける。このPASTは,海外では有名な統計解析ソフトなのだが,日本ではあまり知られてない。ウィキペディアのカーネル密度推定の項目には,その実装例として,いくつかのソフトウェアが紹介されているのだが,ここにもPASTが書かれてなかったので,私が追記した。

クロヤマアリの疾走速度に適合させた正規密度関数とガウス型カーネル密度関数
Fig. 2 Normal and kernel density curves fit to the sprint speed distribution of 50 Formica japonica ants.
図2. クロヤマアリの疾走速度の頻度分布に適合させた正規密度関数とガウス型カーネル密度関数.

この論文(井口・柴,1988)には書かなかったが,柴君が学校へ提出した夏休み自由研究には,彼の男子同級生の 100 m 走の頻度分布も書かれていた。体育の先生に事情を説明し,その数値データをもらってきて,それを分析したのである。次の図3が,その頻度分布である。

中学生の100m走の頻度分布
Fig. 3 Normal and kernel density curves fit to the 100-m sprint speed distribution of 40 male junior high school students.
図3. 岡谷市立岡谷北部中学校1年男子40人(1988年)の100m走の速さの頻度分布.

そしてこの 100 m 走データの歪度と尖度を計算したのが,次の表3である。

表3. 岡谷北部中学1年男子40人(1988年)の100 m 走の速さの頻度分布の歪度と尖度.
Table 3 Skewness and kurtosis of the 100-m sprint speed distribution of 40 male junior high school students.
中学生の100m走の歪度と尖度

図2と3および表2と3を比べると,良く似た速度分布であることが分かる。左スソが切れたような分布(truncated distribution),つまり,走るのが極端に遅いアリや人が少ない分布となっているのである。ただし,全くに逆に,ごく少数の走るのが速いアリや人(右スソ)に引っ張られた分布と言えなくも無い。しかし,いずれにせよ,アリと人で似た速度分布を示すのである。

さらに,井口・柴(1988)は,柴君が 10 m を普通に歩いたときの速度(歩行速度)と,彼の 100 m 走の速度(疾走速度)を比較した。

その結果,彼の歩行速度は 1.42 (m/s),疾走速度は 6.80 (m/s) であり,したがって,
疾走速度/歩行速度 = 4.8
であった。

一方,表1より,クロヤマアリの場合は,
疾走速度/歩行速度 = 2.6
であった。

このことから,柴君と比べると,クロヤマアリのほうが相対的に歩行速度が大きい,つまり,普段から早足だと結論づけられたのである(井口・柴,1988)。

なお,柴君のクラスの疾走速度の平均,つまり図3の平均は, 6.00 (m/s) だった。それゆえ,柴君の疾走速度は平均より大きかった。また,本論文発表後,松本ほか(2009)が,様々な年代における,性別ごとの人の歩行速度を調べ,15–30 歳の平均歩行速度は 1.42 (m/s) と算出した。したがって,柴君の歩行速度は,この平均値に等しかったと言える。

冒頭述べたように,井口・柴(1988)およびこのウェブページは,柴君の中学時代の夏休み自由研究をまとめたものである。元々は柴君自身の興味から行った実験ではあるが,私のほうが一層興味を持ってしまった。生徒たちが,鉢巻締めて,がむしゃらに勉強するのも悪くはない。しかし,そういうのは大概,答えが既に存在する勉強である。一方,どんな些細なことでも良い,しかし未だ他人が調べたことがない研究,少し大仰に言えば,独創的な学問というものもある。それを,中学や高校の生徒にもやってもらいたいと思うのである。面白くなければ学問じゃない,そんな心意気の生徒・学生(大学生)が増えてほしい。

参考文献

Billen J. and Gobin B. (1996) Trail following in army ants (Hymenoptera, Formicidae). Netherlands Journal of Zoology 46: 272–280. PDF

Hurlbert A.H., Ballantyne F. and Powell S. (2008) Shaking a leg and hot to trot: the effects of body size and temperature on running speed in ants. Ecological Entomology 33: 144–154. PDF

井口豊・柴明 (1988) クロヤマアリの移動速度. 昆虫と自然, 23(13): 24. PDF (abstract)

北村和宏・石渡信吾・平山修(2014)クロオオアリの採餌行動における経路選択の実験. 形の科学会誌, 29(3): 192-205. PDF

松本直司・清田真也・伊藤美穂 (2009) 街路空間特性と歩行速度の関係. 日本建築学会計画系論文集 74(640): 1371–1377. PDF

Topoff H., Lawson K. and Richards P. (1972) Trail following and its development in the neotropical army ant genus Eciton (Hymenoptera: Formicidae: Dorylinae). Psyche 79: 357–364. PDF