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元禄赤穂事件の一部始終

お訪ねいただきありがとうございます。
赤穂市に終の棲家を決めた理由の一つに元禄赤穂事件がありました。諸先生の本を読み、要点をまとめた積もりですが、誤解があるのでは?と案じています。史実にこだわり加筆したいと思っています。

赤穂義士祭の登場人物です
サイト内のこれらの画像は赤穂義士祭のものを使用しています

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事件の概略 赤穂浪士とは?何をした人達? 四十七人の元赤穂藩士が命をかけたあだ討ち事件のあらすじ
事件の年譜 刃傷事件から開城 山科隠棲→江戸まで 江戸潜伏と討ち入り 切腹と遺族のその後
事件の詳細 江戸城刃傷事件 討入りまでの経過 吉良邸討ち入り 泉岳寺での様子
四十六士の切腹と遺子の処罰
城と浅野家と吉良家 赤穂城の古写真と規模と見取り図 赤穂浅野家 吉良家
四十七士と萱野三平 家系図や家紋、遺言や辞世句、出自、特筆事項などの一部始終を義士別に記しています

赤穂城内の藩士屋敷図

赤穂城内三の丸藩士屋敷図です

赤穂四十七士と萱野三平

赤埴源蔵重賢 享年35、二百石、馬廻、譜代、独身、徳利の別れはフィクション。下戸で寡黙な人柄。
礒貝十郎左衛門正久 享年25、百五十石、物頭側用人、新参、内匠頭に児小姓として仕える。利発で器用な人柄。
潮田又之丞高教 享年35、二百石、郡奉行兼絵図奉行、山鹿素行門下、東軍流奥村無我門下。
大石内蔵助良雄 その1」 享年45、千五百石、容姿や性格、剣術などの私的な情報と出自、家紋、家系図。
その2」 赤穂城三の丸の屋敷、開城後の仮住まい、山科での隠棲と放蕩、お軽のこと、詩。
その3」 夫婦と理玖夫人のこと、子どものこと、遺族のその後の情報。
大石主税良金 享年16、部屋住(父は大石内蔵助)、体躯に優れ十六歳とは思えぬしっかりした人柄。
大石瀬左衛門信清 享年27、百五十石、馬廻、内蔵助の曾祖父、良勝の弟で信云(のぶこと)四百五十石の孫。
大高源五忠雄 享年32、二十石五人扶持、金奉行兼腰物方兼膳番元方、俳諧に通じ文武両道の人。
岡島八十右衛門常樹 享年33、二十石五人扶持、札座勘定奉行、実兄が原惣右衛門で清廉潔白な人柄。
岡野金右衛門包秀 享年24、部屋住(亡父二百石)、恋の絵図面取りは虚実不詳、俳号は放水。
奥田貞右衛門行高 享年26、九石三人扶持、加東郡勘定方、養父奥田孫太夫、近松勘六は腹違いの兄。
奥田孫太夫重盛 享年57、百五十石、武具奉行(江戸定府)、前夜に切腹の稽古をしたと覚書に残る。
小野寺十内秀和 享年61、百五十石役料七十石、京都留守居役、和歌に秀で義理人情に厚く、妻の丹も歌人。
小野寺幸右衛門秀富 享年28、部屋住、実兄大高源五、義父母に孝養を尽くす優と豪を備えた人。
貝賀弥左衛門友信 享年54、十両三人扶持、倉奉行、吉田忠左衛門の実弟で小禄ながら信頼が厚かった人。
片岡源五右衛門高房 享年37、三百五十石、側用人兼児小姓頭、眉目秀麗な人で、主君切腹時唯一面会した人。
勝田新左衛門武堯 享年24、十五石三人扶持、札座横目、剣客、祖父は常陸笠間の農民から浅野長直に仕える。
茅野和助常成 享年37、五両三人扶持、横目付、美作森藩から赤穂藩へ再仕官し4年目で凶変に遭う。
神崎与五郎則休 享年38、五両三人扶持、歩行目付、号は竹平で文武両道の人、義憤の人。
木村岡右衛門貞行 享年46、百五十石、馬廻兼絵図奉行、学問好きの慎重な人柄、討入り時に右手指に傷を負う。
倉橋伝助武幸 享年34、二十石五人扶持、扶持奉行、吉良邸の探索に力を尽くした人。
菅谷半之丞政利 享年44、百石、馬廻兼郡代、容貌魁偉といわれた人で美男説は史実と異なるらしい。
杉野十平次次房 享年28、八両三人扶持、札座横目、剣客、浪士中では比較的裕福だった人。
武林唯七隆重 享年32、十五両三人扶持、馬廻、祖父は明国の人、炭部屋で上野介を捕らえた功労者の一人。
近松勘六行重 享年34、二百五十石、馬廻、忠僕甚三郎は討入りを門外で待ち十二月二十四日迄江戸に留まる。
千馬三郎兵衛光忠 享年51、百石、馬廻、殿の不興をかい脱藩直前に事件を知る。私憤を捨て忠義を貫いた人。
寺坂吉右衛門信行 享年83、三両二分二人扶持、足軽、吉田忠左衛門配下、討入後泉岳寺迄の間で隊を離れ播磨に戻った唯一の生存者。討入り時は三十八歳、晩年は寺男となり江戸で病没した。
富森助右衛門正因 享年34、二百石、馬廻兼使番、父の没後十四歳で長矩に仕え寵愛を受ける。
中村勘助正辰 享年48、百石、書物役、出身の陸奥国白河に家族を送り届けたあと同志の待つ江戸に向かう。
間喜兵衛光延 享年69、百石、勝手方吟味役、間十次郎、新六の実父、裏門隊作戦参謀。
間十次郎光興 享年26、部屋住(中小姓説あり)、父は間喜兵衛、弟は間新六、吉良上野介の第一発見者。
間新六光風 享年24、浪人、間喜兵衛の二男で十次郎の弟、切腹の際、実際に腹を切った唯一の人。
早水藤左衛門満堯 享年42、百五十石、馬廻、刃傷事件の第一報を赤穂に知らせる、弓は赤穂藩一といわれた人。
原惣右衛門元辰 享年56、三百石、足軽頭、大石内蔵助を補佐する三長老の一人、討入り時に足をくじく。
不破数右衛門正種 享年34、元百石、元馬廻、浪人(平時に不向きな性格が災い)、討入時の働きは義士中第一。
堀部弥兵衛金丸 享年77、隠居料二十石(前三百石)、前江戸留守居番で子(養子)は堀部安兵衛。
堀部安兵衛武庸 享年34、二百石、馬廻、高田の馬場の助太刀が縁で婿養子になる、終始一貫仇討ちを主張。
前原伊助宗房 享年40、十石三人扶持、金奉行(江戸詰)、吉良邸近くで古着屋を営み探索世才に長けた人。
間瀬久太夫正明 享年63、二百石役料五十石、大目付、表門隊参謀、間瀬孫九郎の父。
間瀬孫九郎正辰 享年23、部屋住、間瀬久太夫長男、従兄弟に中村勘助がいる、浪居中父に孝養を尽くした人。
三村次郎左衛門包常 享年37、七石二人扶持、酒奉行兼台所役、低い士分ながらまことの武士、忠節の人。
村松喜兵衛秀直 享年62、二十石五人扶持、扶持奉行(江戸詰)、長男は村松三太夫。
村松三太夫高直 享年27、部屋住、残って母に孝養を尽くせと諭す父を振り切り義盟に加わる。信念の人。
矢田五郎右衛門助武 享年29、百五十石、馬廻(江戸定府)、討ち入り時に火鉢で刀を折り敵の刀を奪って奮戦。
矢頭右衛門七教兼 享年18、部屋住、仇討ちを前に大坂で病没の父(二十石五人扶持勘定方)に代わり義盟に加わる。
横川勘平宗利 享年37、五両三人扶持、徒目付、討ち入り時に負傷、お軽勘平のモデルは萱野三平で別人。
吉田沢右衛門兼定 享年29、部屋住(十三両三人扶持・蔵奉行説あり)、父は吉田忠左衛門、叔父甥貝賀弥左衛門。
吉田忠左衛門兼亮 享年64、二百石役料五十石、足軽頭兼郡奉行、寺坂吉右衛門の主で長男は吉田沢右衛門。実弟に貝賀弥左衛門、叔父に甥岡嶋八十右衛門(妹の養子)がいる。和歌に秀でる。
萱野三平重實 享年28、十三両三人扶持、孝と忠の板挟みで苦悩し、亡君の月命日に自宅で切腹して果てる。

赤穂城周辺の義士屋敷跡

赤穂市内地図
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