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韓国が認めないベトナムでの残虐非道

2014.2.3

 

<目次>

はじめに

1.韓国はベトナム戦争で30万人派兵
2.ベトナム戦争中に非道を告発される
3.韓国人が自国軍の所業を明らかに
4.ベトナム民間人を多数虐殺
5.今も残るライダイハン問題

6.韓国政府は謝罪していない

7.朴槿恵大統領の身勝手な姿勢

結びに

 

補説 韓国がベトナム戦争で慰安所を経営決定的証拠

 

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はじめに

 

 旧日本軍の慰安婦の実態は、超高給取りの売春婦だった。だが、河野談話が慰安婦の強制連行を何の根拠もなく認めたため、韓国政府は慰安婦を「性奴隷(Sex Slave)」だとして国際社会に虚偽の宣伝を行っている。米国議会や国連の人権機関までが、その宣伝によって日本への誤解を膨らませている。
 朴槿恵氏は、本年(平成25年)2月、大統領に就任以来、「加害者と被害者の立場は1000年経っても変わることはない」、「日本は慰安婦を侮辱している」などとことあるごとに、日本に対して謝罪を求めている。今年5月には、米紙『ワシントン・ポスト』に「日本は鏡を見て責任ある歴史認識を持て」と話した。11月にイギリス、フランス、ベルギーを訪問した際にも、日本を貶める発言を繰り返している。
 だが、朴大統領は韓国軍がベトナムで行ったことを知らないはずはない。韓国人研究者が、ベトナム戦争に参戦した韓国軍による大虐殺や現地婦女子への性的暴行を報告している。またベトナムには、韓国軍が無辜の民を多数虐殺したことを刻んだ記念碑が今もしっかり残っている。
 わが国では、ベトナムにおける韓国軍の暴虐を、いくつかの雑誌・書籍が伝えてきた。このたびは、『SAPIO』が2013年(平成25年)12月号で「韓国が背負う『嘘の代償』」と題した特集の中でこの問題を取り上げ、『週刊新潮』が同年12月12日号に、韓国が目を背ける不都合な真実 朴槿恵大統領が認めないベトナム戦争の大虐殺 老若男女を皆殺しにした『韓国軍』残虐非道の碑」と題した記事を掲載した。
 本稿は、韓国がベトナムで行った虐殺と性的暴虐等について書き、韓国政府は残虐非道の所業を認めるとともに、日本に対する根拠なき非難をやめることを求めるものである。

 

1.韓国はベトナム戦争で30万人派兵


 ベトナム戦争は、第2次世界大戦後の民族独立闘争が国際的な戦争に拡大したものだった。同時に米ソの冷戦下で、自由主義と共産主義のイデオロギーが激突した戦争でもあった。韓国は、ベトナム戦争に軍を送った。
 朝鮮半島では、大戦に続く朝鮮戦争の結果、南北の分断国家が生まれた。朴槿恵大統領の父・朴正煕氏は、大統領として1961年ケネディ大統領(当時)にベトナム戦争への自国軍の派兵を提案した。朴正煕政権は北朝鮮に対抗するため、反共を国是としていた。米韓首脳会談から3年後の64年、韓国から最初の軍隊が南ベトナムに送り込まれた。医療部隊とテコンドーの教官だった。権力を握ったばかりの朴氏にとって、ベトナム派兵はアメリカに軍事独裁政権を認めさせ、なおかつ外貨を獲得する切り札だった。
 1964年から73年(昭和39〜48年)までの20年間、韓国からベトナムに延べ約30万人の兵が派遣された。米国に次ぐ規模の派兵だった。ダナンに海兵隊第2旅団、クイニョンに首都ソウル防衛師団、ニンホアに第9師団が駐屯した。これらはそれぞれ「青龍部隊」「猛虎部隊」「白馬部隊」と名付けられた精鋭軍団であり、最も戦闘の激しいベトナム中部に送り込まれた。白馬部隊の第29連隊長は全斗煥、猛虎部隊の大隊長は盧泰愚だった。彼らはともに後に韓国の大統領になった。
 南ベトナムに派兵された韓国軍は最盛期には約5万名を数えた。産業資本の進出や出稼ぎにより技術者、ビジネスマン、労働者など、最盛期には約2万人の民間人がベトナムに進出した。兵士らにアメリカから支給された手当や労働者らの賃金、韓国企業の得た利益などは約10億ドルにものぼった。1969年には韓国の外貨収入の2割に達した。ベトナム特需は、アメリカによる軍事・経済援助、日韓基本条約による資金援助と合わせて、「漢江の奇跡」と呼ばれる韓国の驚異的な経済発展を可能にした。
 だが、韓国軍は、ベトナムにあまりも深い傷跡と多くの問題を残した。民間人多数の虐殺、婦女子の強姦、売春の強要、韓国人との混血児の遺棄等である。ページの頭へ

2.ベトナム戦争中に非道を告発される


 ベトナム戦争における韓国軍の暴虐は、戦争の最中から、海外に伝えられていた。アメリカのジャーナリスト、デビッド・コンデは、1969年(昭和44年)刊の著書『朝鮮――新しい危機の内幕』(新時代社)で、韓国軍の蛮行を伝えた。

 「1965年の9月と10月に猛虎部隊と青竜部隊の両師団がベトナムへ上陸した。『索敵殺害――"殺し尽くし、焼き尽くし、破壊し尽くせ"という作戦―』のなかでも最も残忍無比なことをやってのけたのは、他ならぬこれら両部隊だったのである。次に掲げる詳細なリストは、ハノイの日刊紙ニャンザン(人民)を含む、ハノイを通じて中継された解放民族戦線の報道に基づいたものである。
 1965年から1966年の間、プウエン省のタオ村で、韓国軍は、ほとんど大部分が婦人の村人42人を狩り立て、やがて小火器を浴びせ、全員を殺害した。1966年1月11日から19日の間、ジェファーソン作戦の展開されたビンディン省では、韓国軍は300人以上の住民を捕まえ、拷問を加え、更にまた400人以上のベトナム人を殺した。1965年12月から1966年1月の間に、韓国軍は、ビンディン省のプレアン村では数百戸の家々を炎上させ、一方キンタイ村を完全に掃討した。同じ省の九つの村々で韓国軍は、民間人に対して化学兵器を使用したのである。
 1966年1月1日から同月4日までの間に、ブン・トアフラおよびヨビン・ホアフラ地方で、韓国軍は、住民たちの所有物を残らず略奪したうえ、住民の家やカオダイ教の聖堂を焼き、さらに数千頭の家畜を殺した。彼らは、また仏教寺院から数トンもの貨幣をくすね、それから人民を殺したのである。『ある村が、わが軍の支配下に陥ると、その次の仕事はベトコンから村人たちを分け離すことなのだ』こう言ってのけたという韓国軍将校の話しが引用された。ナムフュン郡で、韓国軍は4人の老人と3人の妊婦を、防空壕の中へ押し込め、ナパームとガスで殺した。アンヤン省の三つの村では110人を、またポカン村では32人以上を、こうしたやり方で、殺したのである。  1966年2月26日、韓国軍部隊は、137人の婦人、それに40人の老人と76人の子供も一緒に、防空壕の中へ押し込めて、化学薬で殺したり、全員を盲にさせたりした。
 1966年3月26日から28日にかけて、ビンディン省で、韓国軍は、数千におよぶ農家と古寺院を炎上させ、若い女性や年老いた女性を集団強姦した。8月までに、勇猛な朝鮮人たちは、ビンディン省における焦土作戦を完了した。ブガツ省では、3万5千人の人たちが、死の谷に狩り立てられ、拷問を完膚なきまで加えられてから全員が殺された。10月には、メコン河流域では、裸で両手ないしは両足の19人の遺体が川から引揚げられた。これらは、いずれも陵辱された少女たちの遺骸であった。この事件に先立って、同じ地域で共同作戦中の米軍と韓国軍が、昼日中に結婚の行列を襲い、花嫁を含め7人の女性を強姦した、との報道もあった。かれらは、結婚式に呼ばれた客の宝石を残らず奪ったうえ、3人の女性を川の中へ投げ込んだ。
 放火、銃剣による突き殺し、拷問、強姦、強奪こんな記事は、ほとんど毎日のように続いている。母親の胸に抱かれたいたいけな乳幼児でさえも、非人間的な殺人行為を免れることができないのだ。これは、たった一都市に起きた南京大虐殺どころの話ではないのだ。これこそ、アメリカの新聞の力をもってしても、中国の南京で起こった話を語ることのできない、今日のベトナム民族大虐殺なのである。つまり今日では米軍および韓国軍の検閲官が全強権を発動し、事実が明るみに出るのを妨げているのである。
 (中略)なぜ在ベトナム韓国軍がかくも攻撃的で残酷であるかという理由は、彼らが、アメリカが与えてくれた援助に対してお返しをするためであり、さらにまたそれは韓国民に対して彼らが、アジアにおいて平定の役割を演ずることができるのだという誇りと確信の感情を与えるためである、と1967年5月、ソウル政府当局は日本人記者に説明した」

 後ろから2番目のパラグラフに「たった一都市に起きた南京大虐殺どころの話ではないのだ」とあるのは、著者コンデが「南京大虐殺」を史実と誤解しているものだが、東京裁判で捏造された「南京大虐殺」が一つの都市で一回行われた事柄であるのに対し、ベトナムでは数年間にわたり、広い地域で虐殺が何度も行われ、それを現地の報道機関が繰り返して報道していた。そのことが重要である。
 『週刊新潮』2013年(平成25年)12月12日号は、当時毎日新聞の特派員だったジャーナリストの徳岡孝夫氏の言葉を伝えている。徳岡氏は、サイゴンが陥落した1975年(昭和50年)4月のことを次のように述べている。
 「陥落の日、サイゴンの日本大使館に韓国の外交官が駆け込んできて、“我々はもともと日本国の一部だっただから匿ってくれ”と言うわけです。結局、断ったのですが、ベトナム人に対して残虐行為を繰り返していた韓国人にすれば、北ベトナム軍に復讐される恐怖は並大抵のものではなかったでしょう」と。ページの頭へ

 

3.韓国人が自国軍の所業を明らかに


 コンデが伝えたような韓国軍による蛮行は、ベトナム戦争当時は国際的にあまり注目されなかった。特に韓国では無視されてきた。その事情につき、ジャーナリストの佐藤和氏は、『SAPIO』2001年(平成13年)9月26日号に掲載された「被害者史観韓国を揺るがすベトナム民間人虐殺の加害責任」に、次のように書いた。
 「アメリカ軍によるソンミ事件などの虐殺行為がベトナム戦争当時から国際的に批判を受け議論の的となったのとは対照的に、韓国軍による虐殺行為については、こと韓国国内では長く沈黙が保たれてきた。
 冷戦時代、反共産主義が優先された韓国では、自国の恥部となり得る問題は隠されてきた。それどころか自国民が被害者となったケースでも、問題は隠されてきた。例えば朝鮮戦争下での米軍による韓国避難民大量虐殺の事実でさえ、韓国メディアで報道されたのは金泳三政権になってからの94年(註 1994年)である。
 また全斗煥・盧泰愚両大統領がベトナム戦争で武勲を挙げた軍人であったという政治事情もあり、ベトナム戦での過去は、韓国では幾重にもタブーであり続けた」

 ベトナム戦争は1973年(昭和48年)に和平協定が成立し、76年に南北ベトナムが統一された。韓国では87年から民主化が進められ、91年には世界的な冷戦が終結した。こうした変化の中で、ベトナム戦争における韓国軍の蛮行に関するタブーは破られていった。
 佐藤氏によると、最初にタブーを破ったのは、韓国の民主化の中で生まれたハンギョレ新聞社が発行する週刊誌『ハンギョレ21』だった。同誌は1999年(平成11年)5月6日号に、韓国軍がベトナム戦争で行った虐殺事件の記事を掲載した。
 「通信員」として記事を書いたのは、当時、ベトナム留学中だった大学院生のク・スジョン氏。ク氏はベトナム当局から韓国軍の残虐行為が記された資科を入手し、韓国の市民団体の一行とともにベトナム現地で検証を行った。徹底した現地取材と生存者へのインタビューを重ね、韓国軍による無差別殺戮の実態を報じた。
 記事は、ベトナム中部のビンディン省の村々で起きた凄惨な虐殺事件を生々しく伝えた。
 「1966年1月23日から2月26日までの1か月間、猛虎部隊3個小隊、2個保安大隊、3個民間自衛隊によってこの地域だけで計1200人の住民が虐殺され、その中には1人残らず皆殺しにされた家族が8世帯もあった」
 生存者の証言を元に韓国軍の民間人虐殺方式を整理すると、いくつかの共通したパターンが見られるという。

・大部分が女性や老人、子供たちである住民を一か所に集め、機関銃を乱射。
・子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったりして火に放り込む。
・女性を強姦してから殺害。
・妊産婦の腹を、胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。
・トンネルに追い詰めた村人を毒ガスで殺す。

等々である。
 ク氏は、『ハンギョレ21』1999年9月2日号では「ベトナム戦争では韓国軍は4万1400名の敵軍を射殺した。そして、公式の統計では集計されたことがないベトナム民間人の犠牲があった。ベトナム文化通信部(註 日本の省に当たる)は、韓国軍によって集団虐殺された民間人の数をおよそ5000人あまりと見ている。私は、最終的に韓国軍により引き起こされた80件あまりの民間人虐殺事件で9000人あまりが犠牲になったと推定している」と語った。
 翌年、米誌『ニューズウィーク』は、2000年(平成12年)4月21日号で、「暴かれた英雄の犯罪」と題してベトナム戦争での韓国軍の虐殺問題を取り上げた。ク氏らの調査を紹介し、「8000人以上の民間人を殺した韓国軍の虐殺行為の数々」が明らかにされつつあると、7ページにわたり大々的に報じた。それによって、韓国軍の暴虐は、国際的に注目を受けるようになった。
 ちょうど同じ時期、『ハンギョレ21』は、2000年4月27日号に、住民虐殺を行なったという元軍人による加害証言を掲載した。その元軍人は、「戦争当時、一般住民とゲリラを区別するのは難しく、我が身を守るためには仕方なかったのだ」と語った。しかし同時に、今やその行為に罪悪感を感じており、「韓国政府がベトナムに謝罪し被害者に補償することを望む」と述べた。
 ベトナム戦争における韓国軍の暴虐が伝えられると、韓国社会に衝撃が走った。戦争被害者だと思っていた自分たちが、一方ではベトナムで残虐非道の限りを尽くしていたからである。
 『ハンギョレ21』の記事に対して激しい反発も起こった。2000年6月27日、韓国・ソウルの『ハンギョレ新聞』本社が2000人を超える迷彩服姿のデモ隊に包囲された。彼らは「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」の会員だった。この会は米軍が散布した枯れ葉剤の被害に苦しむ退役ベトナム参戦軍人の団体である。ベトナム戦争では約5000人の韓国人が死んだ。彼らは、国のために闘った戦友を冒涜されたとハンギョレ新聞社に激しく抗議した。社屋に侵入したデモ隊の一部は暴徒化し、同社幹部らを監禁し、暴行を加え、コンピュータや地下駐車場の車を破壊した。ページの頭へ

 

4.ベトナム民間人を多数虐殺


 『週刊新潮』2013年(平成25年)12月12日号は、韓国兵がベトナムで行った虐殺を詳しく報じた。長文だが貴重な内容なので、虐殺に関する部分を転載する。

 ベトナムに派遣された韓国の精鋭部隊は、主に拠点防衛を任された。
 「元朝日新聞サイゴン支局長の井川一久氏が言う。
 『拠点防衛とは耳当たりの良い言葉ですが、要するにベトコンを帰討するため農村の“無人化”を行うのが韓国軍の任務だったのです。そうした場合、村に対して“何月何日までに村から出ないと攻撃する”と前もって通知するのが普通です。実際、米軍は飛行機から退去を命じるビラを撒いていた。ところが、韓国軍は事前予告なしに攻撃を加えることが多かったのです』
 韓国軍の手口は有無を言わせないものだった。
 『まず、誰も逃げ出せないように村を包囲して砲撃を加える。その後、歩兵が村に入り防空壕に逃げ込んだ村民を引っ張り出して片端から射殺する。村がゲリラの拠点だったとしても、男(兵士)は出かけていますから残っているのは女子供、そして老人ぐらい。それでも韓国軍は容赦なく虐殺したのです』
 井川氏が取材したベトナム中部のトイホア県では9つの村すべてで韓国軍による虐殺が行われていた。
 『一つの村で数十人から百数十人単位で殺されており、合わせた犠牲者は900人を数えていたと思います。日本でいう“郡”ぐらいの広さでこれだけの犠牲者ですから、全体で何人の村民を殺したのか見当もつきません』
 とりわけ酷かったのが、同じく中部のビンディン省ビンアン村で66年2月に起こった『ゴダイの虐殺』だといわれている。そのことを詳細に報じた地元紙『ビンディン新聞』(07年2月26日付)によると、
 『韓国兵たちのスローガンは「すべて燃やす、すべて壊す、すべて殺す」というものだった(中略)2月23日には、韓国兵によりビンアン村のチョン・ネンさんの家の庭に90人の住民が集められ、5連銃ですべての人が射殺された。その中には、一家全員が虐殺されてしまった家族が何組もあった。さらに26日に起きた酷い事件が、ゴダイ集落の虐殺である。これはビンディン省の歴史を振り返っても、最も多くの血と涙が流れた事件といってよい』
 『韓国兵に捕まった380人の村民はすべて1カ所に集められ、人間とは思えないほど野蛮で、まるで猛獣のような仕打ちを受けた。女性たちはレイプされた後、女性器に剣を突き付けられて殺された。さらに、子供たちは藁をかぶせられると、韓国兵は火をつけてそのまま焼き殺してしまった』
 また、ベトナム人ジャーナリストがビンアン村の生き残った住民に聞き取りをした08年12月30日付のレポートによると、
 『ダン・ヒュルク(男性)。韓国兵は家に入ると容赦なく銃を撃ち、家族を次々に射殺しました。とりわけ酷かったのがランさんとチュッさん(2人とも女性)の殺され方です。彼女たちは妊娠していたのですが、韓国兵はわざとその膨らんだお腹にむけて発砲したのです』
 『ゲン・バンスン(男性)。赤ん坊(妹)が大声で泣き出し、近くにいた韓国兵がこちらに気がつきました。すぐさま、1人の兵が母親の背中を撃ち、飛び散った血が私の顔にべったりと付きました。続いて兵士は赤ん坊も撃ち殺したのです』
 証言者たちは死んだふりをしたり、死体に隠れて奇跡的に難を逃れることができたというが、韓国兵の中には、敬虔なクリスチャンもいて良心の呵責にさいなまれ、自殺する者もいた。
 『虐殺命令に抗う兵士もいました。ただ、命令に背けばその場で上官から射殺されてしまうのです』(井川氏)
 こうした韓国軍による犠牲者は、分かっているだけでも9000人にのぼるというが、ビンディン省タイビン村で『猛虎部隊』の虐殺を取材したフォトジャーナリストの村山康文氏が言う。
 『タイビン村には今でも虐殺された50余名の名前が刻まれた慰霊塔が建っています。いわば“韓国憎悪塔”とでもいうべき碑ですが、そこには“韓国軍が行った非道は忘れない”という内容の文字が書かれている。こうした虐殺の記念碑は他の村にもあって、1つや2つではない。生き残ったベトナム人に当時のことを聞いても“あの時のことは思い出したくもない”と言う人が多いのですが、ようやく話を聞き出すと“韓国人の顔は二度と見たくない”“韓国という国は無くなればいい”と口を揃えて言いますよ』
 先述のゴダイ集落にも、当時の虐殺の様子を描いた大きな記念碑が建っている」

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5.今も残るライダイハン問題

 

韓国軍がベトナムで行ったのは、民間人多数の虐殺だけではない。ベトナム各地の韓国軍による虐殺、暴行事件の生存者の証言に共通する点に、婦女子の強姦がある。ベトナム戦争当時、南ベトナム解放民族戦線は、韓国軍による拷問虐殺事件、あるいは婦女子への暴行事件を連日、放送によって報じていた。戦闘終了後の治安維持期に入ると、韓国軍は兵士の行動への規律を強めたが、その後も兵士が村の娘を強姦して軍法会議にかけられる事件が頻発した。

ベトナム戦を経験した退役軍人の中には当時の非人道的行為を悔いる者もいた。元韓国海兵隊員の金栄萬氏は、次のように証言している。「越南に到着して、私が聞いた話は、『強姦をしたら必ず殺せ、殺さなかったら面倒が起きる、子供もベトコンだからみな殺さねばならない』といったものでした」と。(金賢娥著『戦争の記憶 記憶の戦争─韓国人のベトナム戦争』三元社刊)

 この証言から、暴行の後に婦女子を虐殺した例が多くあったことが推察される。その一方、婦女子を捕まえて、売春婦にするということも多く行われた。

元朝日新聞サイゴン支局長の井川一久氏は、次のように言う。

 「当時、軍と共にベトナムに入ったのが約1万5000人の民間の韓国人です。彼らが何をしたかというと軍が村を襲ったあと、命からがら逃げてきた少女らを捕まえて今度は売春婦にしたのです。今も覚えていますが、彼女たちは15分5ドルで兵士の相手をさせられていた。彼女たちの手元に残るのはそのうちせいぜい3ドルぐらい。韓国政府が問題にしている日本軍の慰安婦は、2〜3年も働けば今の金額にして2000万〜3000万になったというから、比べ物になりません」と。(『週刊新潮』平成25年12月12日号)

本年(平成25年)8月、韓国国防部の報道官は、米・ニュースサイト『グローバル・ポスト』の取材に対し、「韓国軍が組織的に民間人を虐殺することは不可能だ。わが軍隊は厳しい規律と命令系統の下で任務を遂行しており、ベトナム人女性の性的搾取もまったくない」と答えた。だが、それを裏付ける調査資料を示さなかった。

 実際にはベトナム戦争の時期、強姦されて生き延びた婦女子や、売春婦にされた婦女子の中には、望まぬ妊娠し子供を産んだ者が多数いる。また韓国人の兵士や労働者がベトナム女性の間に作った子供を捨てて帰国した場合もある。こうして生まれた混血児を「ライダイハン」という。

ライダイハンは蔑称である。ベトナム語で「ライ」は混血、「ダイハン(大韓)」は韓国を意味する。ライダイハンの人数には諸説あるが、『釜山日報』は最小5千人、最大3万人としており、概数を示すものと見られる。

ライダイハンは、ベトナムで大きな社会問題となっている。だが、韓国政府は積極的な支援をしていない。ライダンハンは1960年代後半から70年代前半の生まれゆえ、もはや年齢層は40歳代が中心となっている。米国は米国人との混血児を国内に受け入れる政策を取ったが、韓国は全く対処をしなかった。ライダイハンが韓国人の父親に対して認知を求める訴訟を起こし、判決により韓国国籍を取得した例もあるが、多くは父親がわからないか、父親に捨てられたままである。

韓国軍は、ベトナムにあまりも深い傷跡と多くの問題を残した。それを象徴するものの一つが、ライダイハンの存在である。ページの頭へ

 

6.韓国政府は謝罪していない

 

ベトナム戦争に派兵を決めた朴正煕大統領は、1976年(昭和51年)10月26日に暗殺された。政治家の崔圭夏(チェ・ギュハ)が後を継いだが、5・17クーデターによって軍部が政権を掌握し、ベトナム参戦の軍人・全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)が大統領職に就いた。その後、金泳三(キム・ヨンサム)が政党人で大統領となり、1998年(平成10年)に金大中(キム・デジュン)が大統領となった。その年、金大中は韓国大統領として初めてベトナムを訪問した。

ベトナム訪問中、金大中大統領は遺憾の意を表明した。これに対し、韓国政府の外交部(註 わが国の省に当たる)は「謝罪ではない」とコメントした。2001年(平成13年)8月24日、金大中は、ベトナム大統領として初めて訪韓したルオン大統領に対し、「我々が不幸な戦争に参加し、不本意ながらベトナム国民に苦痛を与えたことを申し訳なく思う」と一歩踏み込んだ発言をした。だが、野党や軍人が反発すると、金大中は自分の発言を取り消した。この時、野党ハンナラ党の副総裁だった朴槿恵氏(現大統領)は、金大中の発言は「(韓国軍)戦士の名誉を傷つけるものだ」と激しく批判した。

李明博(イ・ミョンパク)大統領の時代の2009年(平成21年)、ベトナム戦争の解釈をめぐって、韓国政府はベトナム政府と衝突した。韓国の国家報勲処が国家報勲制度に係る法案改正の趣旨説明文書を国会に提出した。文書はベトナム戦争参戦者を「世界平和の維持に貢献したベトナム戦争参戦勇士」と表現していた。これに対し、ベトナム政府は、「我々は被害者である。ベトナム戦争の目的が、なぜ世界平和の維持なのか」と強く反発した。また予定されていた大統領のベトナム訪問を拒否する方針も伝えた。韓国側は、柳明桓外交通商相をベトナムに派遣し、外相会談で「世界平和の維持に貢献」の文言を削除することを約束した。それによって、李大統領のベトナム訪問は予定通り行われた。この一連の外交交渉で、ベトナム政府は「侵略者は未来志向といった言葉を使いたがり、過去を忘れようとする」と韓国政府を批判した。だが、ベトナム政府は、その後も、韓国政府に対して、ベトナム戦争時代の韓国軍の虐殺や強姦に関して、正式に謝罪を求めてはいない。ページの頭へ

 

7.朴槿恵大統領の身勝手な姿勢

 

今日、韓国とベトナムはお互いを「戦略的協力パートナー」に位置づけ、政治的にも経済的にも緊密な関係にある。戦争に関する賠償問題は、韓国・ベトナム間の1992年の国交正常化の際に法的には解決している。日本と韓国の場合と同様、政府が個人補償の問題に関わることは、政府間の合意を反故にするものとなる。だが、韓国では日本に対して、個人補償を求める政治的な動きが強くなっている。その一方、韓国政府は今日まで、ベトナムでの虐殺や強姦等について調査したり、正式に謝罪したりしていない。自国軍がベトナムでやったことを、全く認めようともしていない。

韓国の国定歴史教科書には、日本軍が、慰安婦として若い朝鮮人女性を無理矢理連れ去ったという根拠のないことが大々的に書かれている。その一方、ベトナム戦争のことはほとんど記述されていない。韓国がわが国の歴史教科書について批判しているのとは、全く対照的である。極端なダブル・スタンダードであり、その姿勢は矛盾がはなはだしい。

朴槿恵氏は、本年(平成25年)2月、大統領に就任以来、「加害者と被害者の立場は1000年経っても変わることはない」、「日本は慰安婦を侮辱している」などとことあるごとに、日本に対して謝罪を求めている。5月には、『ワシントン・ポスト』紙に「日本は鏡を見て責任ある歴史認識を持て」と話した。だが、朴大統領は自国軍がベトナムで行ったことに対して、「責任ある歴史認識」を持とうとしていない。

朴槿恵大統領は、本年(平成25年)9月にベトナムを訪問した。朴槿恵氏はベトナム派兵を決めた朴正煕元大統領の実の娘である。そうした朴槿恵氏が就任後初のベトナム訪問で歴史問題にどう向き合うか、内外の注目が集まった。ところが朴大統領の選んだ選択肢は、「沈黙」だったとして、J−CASTの2013年9月10日付は、次のように報じた。

「朴大統領は9日、ベトナム建国の父ホー・チ・ミン元国家主席の廟を訪れ、型どおりに献花は行ったものの、チュオン・タン・サン国家主席らとの会談も含め、歴史問題については一切言及しなかった。過去に廟を参拝した金大中元大統領、盧武鉉元大統領がベトナム戦争参戦を謝罪したのとは対照的だ。

そもそも朴大統領はベトナムへの『謝罪外交』に批判的で、金大中元大統領による初の公式謝罪時にも『朝鮮戦争について金正日総書記に謝罪するのと同じ』『参戦勇士(元兵士)らの名誉を傷つける』などと厳しく攻撃している。こうした前歴とあわせて考えれば、今回の沈黙は意図的な『謝罪拒否』だったと取られても仕方あるまい。

中央日報などはこの『沈黙』も両国和解への意志を示したものと強弁するが、ライダイハン問題などを積極的に追及していることで知られる新聞・ハンギョレは社説で、日本への『歴史を直視せよ』との要求を引き合いに、朴大統領の態度を糾弾した。

『これは私たちが日本に歴史直視を要求していることと矛盾する。自分が受けた被害は是正を要求しながら、自分が負わせた加害は知らんふりする態度ではどこの誰からも本心からは信頼を得られない』」と。ページの頭へ

 

結びに

 

朴槿恵大統領を中心とする反日的な韓国人は、自らの国民の蛮行は一切認めず、他国民の行為に対しては、極度に誇張し、捏造さえ行って非難する。自己本位で身勝手このうえない。しかも悲劇的な被害者であることを強調しながら、実は凶悪な加害者であることは狡猾に隠している。およそ人類に広く見られる道徳の基本に反し、儒教の教えにも仏教の教えにもキリスト教の教えにも反した行為である。反日的な韓国人に対し、人間としての道徳性を疑わざるを得ない。

韓国政府は、韓国軍がベトナムで行った大虐殺と性的暴虐を認めるとともに、日本に対する根拠なき非難をやめるべきである。

われわれ日本人は、韓国側からの根拠なき批判や悪宣伝に対しては、史実を以て反論し、また日本とベトナムに対するダブル・スタンダードを明確に指摘し、相手側の矛盾した姿勢を徹底的に批判しなければならない。ページの頭へ

 

関連掲示

・拙稿「韓国の反日的な慰安婦戦略は破綻する」
・拙稿「戦後韓国の慰安婦制度こそ、真の国際人権問題
・拙稿「慰安婦問題は、虚偽と誤解に満ちている

・拙稿「現代の眺望と人類の課題

 

補説 韓国がベトナム戦争で慰安所を経営した決定的証拠

2015.4.30

 

 韓国では、朝鮮戦争時代、韓国軍は慰安婦を組織し、朝鮮戦争後は政府が売春業を主導した。このことは、韓国慶南大学の客員教授・キム・ギオク(金貴玉)氏が明らかにしており、米軍慰安婦について、国会の委員会で議員が朴正煕元大統領署名の公文書を提示して質問している。韓国政府は慰安婦たちを直接管理し、米軍相手に性労働をさせ、ドルを稼がせていた。このことは、拙稿「戦後韓国の慰安婦制度こそ、真の国際人権問題」に書いた。

 また、ク・スジョン氏は、ベトナム戦争に参戦した韓国軍による大虐殺や現地婦女子への性的暴行を報告している。強姦されたり売春婦にされたりした女性が産んだ「ライダイハン」と呼ばれる混血児が大きな社会問題になっている。このことは、本稿の項目5「今も残るライダイハン問題に書いた。
 韓国では、政府が直接経営し、慰安婦を管理する施設を持っていたのだから、韓国軍兵士が30万人も派兵されたベトナム戦争においても、現地で慰安所を開設していただろうことが容易に想像される。そのことを伝える証言は多数あった。
 このたび決定的な証拠となる文書が米国で発見された。TBSの山口敬之ワシントン支局長(当時)が発見したもので、『週刊文春』(平成27年4月2日号)に発表された。
 この文書は米軍からベトナム駐留韓国軍最高司令官、蔡命新将軍に宛てたもので、1969年ごろの通報と見られる。韓国陸軍幹部らによる米紙幣や米軍票などの不正操作事件を説明した文書で、調査対象の一つとして「トルコ風呂」が登場する。米軍は、これを「韓国軍による韓国兵専用の福祉センター(Welfare Center=慰安所)」と断定した。また、その証拠として韓国軍のスー・ユンウォン大佐の署名入りの書類を挙げた。ベトナム人女性が売春婦とされていた。
 韓国軍がベトナムで慰安所経営に関与していたことが、公文書として確認されたのは初めてである。旧日本軍の慰安婦を問題としてきた韓国に、大きな衝撃を与えている。
 この文書については、ZAKZAK平成27年3月31日付が詳しく書いている。その記事を以下に掲載する。

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ZAKZAK 平成27年3月31日

http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20150331/frn1503311140001-n1.htm
朴政権に衝撃「ベトナムに韓国軍慰安所」 TBS支局長『文春』でスクープ執筆

 韓国に炸裂した、超ド級スクープの展開が注目されている。26日発売の『週刊文春』が、米国の公文書などから、韓国軍がベトナム戦争中にサイゴン(現ホーチミン)に「慰安所」を設けていた証拠を発見したとリポートしているのだが、朴槿恵(パク・クネ)大統領や韓国政府、韓国メディアが目立った反応をしていないのだ。絶妙のタイミングで発表された、米紙による安倍晋三首相のインタビュー。韓国は「慰安婦=日本の性奴隷」という事実無根の誹謗中傷を流しているが、どう抗弁するのか。
 「このリポートは、慰安婦問題の大きな突破口になる可能性がある」
 慰安婦問題を徹底追及してきた、拓殖大学の藤岡信勝客員教授はこう語る。その解説は後述するとして、衝撃リポートの概要は以下の通りだ。
 筆者は、TBSワシントン支局長の山口敬之氏。赴任直前の2013年、外交関係者から「韓国軍がベトナムで慰安所を経営していた情報がある」と聞き、赴任後、ワシントン市内などの公文書館や、各地の米軍基地付属の図書館や資料館を訪ねて、関連する文書を精査したという。
 結果、サイゴン市の米軍司令部から、同市の韓国軍司令部に送られた書簡に、以下のような記述があったことが判明した。
 《(同市中心部の「トルコ風呂」という施設で)売春行為が行われていて、ベトナム人女性が働かされている》《この施設は、韓国軍による、韓国兵専用の慰安所である》
 米軍側は書簡で、韓国軍の施設と断定した根拠として、韓国軍大佐の署名入り書類に「韓国軍による韓国兵専用の慰安所である」と示されていたことなどを挙げていたという。
さらに、山口支局長は、ベトナム戦争を戦った元米軍海兵隊幹部へのインタビューの結果、(1)韓国軍の慰安所は確かにサイゴン市にあった(2)サイゴン市内にはさらに大きい別の慰安所もあった(3)これらの施設は内部が多くのブロックに分かれていて、1区画に20人前後のベトナム人女性が働かされていた−などの証言を得たとしている。
 まさに、足で稼いだ歴史的スクープといえる。
 韓国は、現在の朴大統領の父、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領時代の1964年、ベトナム戦争に参戦。73年までの8年間で、延べ約32万人を派兵した。「最精鋭部隊を投入した」と伝えられてきたが、北岡正敏、俊明兄弟が現地調査のうえで執筆した『韓国の大量虐殺事件を告発する−ベトナム戦争「参戦韓国軍」の真実』(展転社)は、膨大な民間人虐殺やレイプが行われたと指摘している。
 さらに、文春のリポートのようにベトナム人女性の慰安所まで設置していたとなると、韓国軍の本質・姿勢が問われることになる。慰安婦がどういう経緯で慰安所に連れてこられたのか、給料などが支払われていたのかなどは不明で、今後の取材・調査が注目される。
 朝日新聞が大誤報を認めたことで、日本の慰安婦問題の核心である「強制連行=性奴隷」は崩壊した。だが、朴大統領は「(慰安婦問題は)必ず解決すべき歴史的課題だ」などと、筋違いな要求を日本側に突きつけ続けている。
 今回のリポートが、慰安婦問題に与える影響について、前出の藤岡氏は次のように指摘する。
 「韓国軍は朝鮮戦争の際、性的サービス提供を業務とする女性部隊を編成していたとされ、ベトナムに軍直営慰安所を設けていたとしても、まったく不思議ではない。慰安婦問題をめぐり、朴大統領は日本政府に筋違いの要求を繰り返しているが、これで日本を非難する道理は完全になくなった。まずは、自国軍による他国の女性への人権侵害の実態を徹底調査すべきだ」
 『ディス・イズ・コリア』(産経新聞出版)がベストセラーになっているジャーナリストの室谷克実氏も「意義あるリポートだ。米国の公文書から発覚したのだから、韓国も言い逃れできないはずだ」と強調する。
 くしくも、文春報道の翌27日、米紙ワシントン・ポストは、安倍首相のインタビュー記事を掲載した。
 同紙によると、安倍首相は、慰安婦が「人身売買(ヒューマン・トラフィッキング)の犠牲となり、筆舌に尽くしがたい痛みと苦しみを経験されたことを思うと、心が痛む」と発言。さらに、「女性の人権が侵害された」「21世紀を人権侵害のない最初の世紀とすることを願っている」と語ったという。
 「人身売買」という表現を使った理由について、政府高官は「特別な意味はない」としながら、「人身売買には日本語の意味として強制連行は含まれない」と指摘している。米軍が1944年10月、ビルマ(現ミャンマー)で朝鮮人慰安婦20人を尋問した調書でも、「慰安婦は強制ではなく雇用されていた」と記されている。
 なぜ、TBS記者による衝撃スクープが、同局で報道されず、他社の媒体に掲載されたのか。夕刊フジの取材に対し、TBSは「社内のやり取りについては、従来よりお答えしておりません」と文書で回答した。

●週刊文春

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150402-00004979-sbunshun-int
「韓国軍慰安所」 山口レポートが米に広げた波紋
週刊文春 42()181分配信

 TBSワシントン支局長・山口敬之氏による本誌前号の調査報道「韓国軍にベトナム人慰安婦がいた!」が、ワシントンのアメリカ政府当局者やアジア専門家たちの間で波紋を広げている。
 326日の国務省記者会見で「米国立公文書館の文書がベトナム駐留の韓国軍が売春宿を運営していたことを証したという日本からの報道を知っているか」という質問が出た。ラトケ報道官は「知っている」と答えた。「この事例は人身売買だが、調査する意図はないか」「この問題で韓国政府と協議するか」などという関連質問も出た。報道官は確かな答えは与えなかったが、「韓国軍の慰安婦問題」が米側の国政の場で知られる結果となったのは確かだ。
 さらに、本誌報道は同26日、ワシントンのアジア関連ニュースレターの「ネルソン・リポート」でもほぼ全文の英訳が掲載された。同リポートは民主党リベラル派の活動家、クリス・ネルソン氏がアジアのニュースや評論を流すネット・サービスで、米側のアジア問題関係者らが購読し、投稿する。歴史問題では中韓両国の主張を優先して、日本を糾弾することが多い。
 そんな「ネルソン・リポート」が山口氏の調査報道を全文掲載したのは、その重みゆえだろう。ネルソン氏はこの報道が事実ならば「韓国側の偽善や二重基準が証される」と述べたが、同時に「この報道で日韓の歴史戦争はより醜くなる」とも記している。
 これに対して翌27日、慰安婦問題での長年の日本叩きで知られるコネチカット大学のアレクシス・ダデン教授が同リポートに「韓国も同じことをしていたという主張は日本の悪事を帳消しにはしない」という意見を寄せてきた。同教授は同リポートが本誌報道を紹介することがそもそもおかしいとも示唆していた。
 ダデン女史は安倍首相を「悪漢」とののしり、菅官房長官の言辞を「ペテン」と呼ぶほどの反日だ。今年1月には米紙「ニューヨーク・タイムズ」に「尖閣諸島も竹島も北方領土も国際的には日本の領土ではなく、安倍政権がその領有権を主張するのは危険な膨張主義」とまで書いている。そんな人物をたじたじとさせただけでも山口氏の調査報道の意義は大きいといえよう。
<週刊文春201549日号『THIS WEEK 国際』より>
古森 義久(在米ジャーナリスト)
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 さて、山口氏は、歴史的な大スクープをしたのだが、TBSは山口氏を15日間の出席停止処分とし、平成27年4月23日付でTBSワシントン支局長の任を解き、営業局ローカルタイム営業部への異動を命じた。山口氏は、フェイスブックに「この異動と懲戒処分に際しては、私の週刊文春への寄稿内容ではなく、寄稿に至る手続きが問題とされました。見解の相違はありますが、今回の懲戒処分がTBSの報道姿勢に直接リンクするものではない事は、ご理解をいただけたらと思います」と書いている。
 だが、ローカルタイム営業部とは関東ローカルの番組を扱う部署とのことゆえ、報道の第一線で活躍していた海外支局長を配属するのは、明らかに左遷である。TBSは在日韓国人を多く採用し、それらの社員が管理職に多く就いていると伝えられる。韓国寄りのTBSの報道姿勢では報道できない重大な事実を敢然と別の媒体で発表した山口氏に対し、記者の立場から外して営業職に移すことで、TBSは同社の記者として報道することをできなくしたのだろう。
 同年4月28日、訪米した安倍総理はオバマ大統領と歴史的な日米首脳会談を行った。山口氏は、翌29日フェイスブックに次のように書いた。
 「2001年の第一次小泉内閣発足以降、私は全ての日米首脳会談を何らかの形で取材し、原稿を書き、解説をして来ました。今回も、戦後70周年という節目の年に行われる歴史的首脳会談をどう伝えるか、ワシントン支局長として半年前から様々な準備を進めていました。ところが、記者廃業を宣告された今、このニュースをテレビで見ています。包丁なくした料理人。カメラを盗られたカメラマン。ペンを折られたジャーナリスト。こういう状況に置かれた時に、何を考えどう行動するか。何と闘い誰を赦すか。じっくり考えてます」と。

 「記者廃業を宣告された」「ペンを折られたジャーナリスト」――山口氏は、こう書いている。それが配属転換の意味である。
 山口氏には、これにめげずに、今後もジャーナリストとして活躍できる道に進んでほしいものである。
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